マダムの部屋

愛国女性のつどい花時計代表でもあるマダムが思った事など書いています。

2017年05月

沖縄の祖国復帰から45年

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 今年は沖縄が日本に復帰してから45年目の節目の年です。しかしその記念日であるはずの515日、沖縄ではこれといったお祝いの式典がなかったようです。かつて日の丸の小旗を振り、万歳を叫んで本土復帰を祝ったことを沖縄の人たちは忘れてしまったのでしょうか?

 戦後、沖縄に外部から入り込んだ、いわゆる市民活動家(その中には朝鮮人、中国人も)によって沖縄、といえば「反基地」「反日」のイメージが定着するほど沖縄は政治的な情報工作の舞台となってしまいました。しかし本来、沖縄の人たちは底抜けに明るく、愛国心が強かったのです。

昭和20年(1945年)326日、米軍が慶良間諸島を攻撃したことによって沖縄戦が始まった、とされています。しかし実際には米軍が沖縄に上陸する直前、上陸を阻止するために石垣島から「独立飛行隊第23中隊」計10名が飛び立っていました。彼らは慶良間諸島に集結していた米軍艦隊に体当たり攻撃を敢行し大型航空母艦1隻を撃沈、中型航空母艦、戦艦各1隻を撃破、という素晴らしい戦果をあげました。「独立飛行隊第23中隊」の隊長は伊舎堂用久、24歳でした。

 伊舎堂用久の短い人生を描いた『「軍神」を忘れた沖縄~戦後生まれの第一線記者が沖縄戦史の空白に迫る~』(閣文社・1,550円)を読みました。著者は石垣市出身、今は「八重山日報」編集長の仲新城誠さんです

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 この本の中に伊舎堂用久の写真がありますが、これを見た時、何となく「森田必勝に雰囲気が似ているな~」と思いました。森田必勝というのは三島由紀夫が自決した時、ともに自決した「盾の会」隊長のことです。三島由紀夫と違って森田必勝は自分のことについて何も書き残さなかったので、その人物像はまったく知られていませんが、底抜けに明るい人だったそうです。伊舎堂用久という人も、関係者の話によれば底抜けに明るい人、だったそうです。

 平成25年(2013年)、石垣島に「伊舎堂中佐と隊員の顕彰碑」が建てられました。碑には伊舎堂用久の辞世の句「指折りて 待ちに待ちたる機ぞ来る 千尋の海に  ちるぞ楽しき」が彫り込まれています。

 特攻という作戦の是非はともかくとして、自分の国は自分で守る、という確固たる信念を持って特攻した伊舎堂用久の物語は今こそ読まれるべきではないか、と思います。


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天皇は戦前から「象徴」だった

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 天皇陛下のご譲位についての報道が最近、増えていますがその報道の中に嘘が多い、と感じます。テレビや新聞はおそらく意図的に事実をゆがめて報道しているのでしょうが、こんな報道では皇室について誤解する人が増えるのではないでしょうか? そこで皇室について正しい知識を得たい人にお勧めの本があります。ジャーナリスト、水間政憲氏が編集した『ひと目でわかる「戦前の昭和天皇と皇室」の真実』(PHP1,500円)です。水間氏の「ひと目でわかる」シリーズはもうこれで10冊目ですが写真が中心なので、あっという間に読んでしまいます。今ではもう見ることのできない貴重な写真が満載です。

 昭和天皇、というと晩年のお姿しか知らなかったのですがこの本の1ページ目にいきなり大正10年(1921年)、昭和天皇が皇太子時代にヨーロッパを歴訪された際にイギリスで撮影された写真が登場します。イギリスから贈られた陸軍大将の軍服姿の凛々しさに思わずドキッ! ページをめくると即位の「御大礼」の際の正装された天皇皇后両陛下のお写真。まさにお雛様と内裏様そのものです。

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 昭和天皇は大正101125日、摂政にご就任されました。大正天皇の御病気に伴う措置でした。この本を読むと摂政という地位がどのようなものであるか、が実例として載っています。昭和天皇は摂政として「祭祀」も執り行っています。この前例に従えば、今上天皇も必ずしも譲位されなくても皇太子殿下が摂政をお勤めになれるのではないか、という気がするのですが。

 メディアの論調を聞いていると戦前の天皇は絶対的な権力を持っていたように言っていますが日本は立憲君主制で、天皇がなさることは憲法に規定されていることだけです。天皇が持っていたのは権力ではなく権威です。昭和天皇は大東亜戦争の終戦を自ら決断されましたが、それは政府が事実上、機能していない非常時(緊急時)だからであって、平時に天皇が政治に口を出すことはありません。そういう意味では戦前も天皇は国民にとって精神的な支えであり、日本文化の「象徴」だったのです。

 今上陛下は被災地訪問や戦没者の慰霊などに大変、ご熱心ですが昭和天皇も皇太子時代、摂政時代を通じて数多くの行啓をなさり、国民と触れ合っていらっしゃいます。昭和天皇には三人の弟宮(秩父宮、高松宮、三笠宮)がいらっしゃり、なかでも秩父宮殿下はスポーツがお好きで、自らさまざまなスポーツに挑戦なさっています。皇族方のご公務は戦前も活発に行われていたことが分かります。

 今上陛下は昨年夏の「お言葉」の中で、高齢化に伴って天皇としての務めが果たせなくなることに対する不安を口になさっていらっしゃいましたが、昭和天皇は病床にあっても最期まで国民のことを気にかけていらっしゃいました。それで充分、天皇としての務めは果たしていらっしゃったのではないでしょうか? 親日家で有名だったフランス大使、ポール・クローデルは次のような言葉を残しています。

天皇は日本では魂のように現存している。つねに存在し、持続するものである。それがどのようにして始まったかは誰も正確には知らないが、終わることがないであろうということは知っている。天皇が何か特別の役目を果たさなければならないと考えるのは不適切であるし、敬意を欠くことになろう」(ポール・クローデル著『朝日の中の黒い鳥』より)

 皇室は125代続いたご存在そのものが貴いのです。

 

 


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五月二十七日は「海軍記念日」

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 今から112年前の明治38年(1905年)527日、大日本帝国海軍は対馬沖でロシアのバルチック艦隊を迎え撃ちこれを破り、日露戦争での勝利を確実なものにしました。この日を記念して翌年、527日は「海軍記念日」に制定されました。しかし大東亜戦争の敗戦後、GHQ(連合国軍総司令部)によって「海軍記念日」は廃止されました。

当時の日本海軍とロシア海軍の戦力を比較すると日本は戦艦4、装甲巡洋艦8、装甲海防艦1、巡洋艦12であるのに対してバルチック艦隊は戦艦8、装甲巡洋艦3、装甲海防艦3、巡洋艦6戦艦の数では日本海軍はロシアの半分に過ぎませんでした。白人国家の大国であるロシアと極東の小国、日本では勝負にならない、との観測が圧倒的でした。では、なぜわが国はロシアに勝つことができたのでしょうか?

バルチック艦隊がロシアのリバウ軍港を出航したのは明治37年(1904年)1015日でした。それは陸軍の乃木希助率いる第三軍が旅順要塞に対する第2回総攻撃を開始する11日前でした。ロシア海軍にしてみればバルチック艦隊を極東に派遣して、旅順港にいる太平洋艦隊と合流して日本海軍と戦えば、日本のほぼ2倍の戦力となるので、勝利して制海権を確保できる、と考えたわけですが、バルチック海から極東に向かう航海は地球を半周するほどの距離があり、苛酷な長旅でした。

当時の艦船の燃料は石炭でした。石炭は燃料効率が悪いので途中の港で大量の石炭を何度も補給しなければなりませんでした。しかし、太平洋の主な石炭保有港はイギリスの植民地にあり、イギリスは日本と日英同盟を結んでいました。バルチック艦隊は思うように燃料補給ができず、寄港を断られた港もあり、水兵は陸に上がることもままならなかったそうです。そんな航海を半年以上続けたのですから、ロシアの将兵は疲労困憊していたことでしょう。

ロシアの同盟国であるフランス領のマダガスカル島のノシベ港にたどりついたバルチック艦隊は物資の補給を行なった後、316日にノシベ港を出港しましたが、この時点では乃木軍の活躍で既に旅順要塞は陥落していました。旅順港に停泊していたロシアの太平洋艦隊も壊滅していたため、日本艦隊に対する圧倒的優位を確保するというロシア軍の当初の目論見は完全に外れました

 そして、決め手になったのは東郷平八郎の判断の正確さでした。当時はレーダーなどないのでバルチック艦隊の航路を知る術はありませんでした。バルチック艦隊がウラジオストックに戻るのに、果たしてどういう航路を取るのか? しかし東郷平八郎は「長旅で疲労しているバルチック艦隊が津軽海峡や宗谷海峡を通るはずがない」と考え、対馬海峡に全艦隊を集結させました。これが勝敗を分けました。 

 対馬沖海戦でバルチック艦隊を構成していた8隻の戦艦のうち6隻が沈没し2隻が捕獲されました。装甲巡洋艦5隻が沈み1隻が自沈、巡洋艦アルマーズがウラジオストックに、海防艦3隻がマニラに逃げ、駆逐艦は9隻中の5隻が撃沈され、2隻がウラジオストックに逃げました。ロシア側の人的被害は戦死5046名、負傷809名、捕虜6106名。対する日本側の損害は、水雷艇3隻、戦死者116名、負傷538名。まさに完勝でした。

 527日は私たち日本人が決して忘れてはいけない日です。

 ※ブログ「しばやんの日々」を参考にさせていただきました。

 

 

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小野田議員が米国籍を離脱

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 521日、自民党の小野田紀美参議院議員が自身のツイッターで米国籍を離脱したことを報告しました。小野田さんは去年(2016年)7月、参議院議員に初当選しましたがその頃、民進党の蓮舫議員の「二重国籍問題」が世間を騒がせていました。小野田さんは父親がアメリカ人、母親が日本人の二重国籍者だったので「もしかしたら自分も・・・」と思い、確認したところ米国籍離脱ができていないことが判明したそうです。それから米国籍離脱の手続きに入ったのでしょうから、米国籍離脱に半年以上かかったことになります。これで小野田さんの「二重国籍状態」は解消されたわけですが、ああ、良かった、良かった、と済ませられるような話ではありません。

 日本の「国籍法」第142項には「日本の国籍の選択は、外国の国籍を離脱することによるほかは(中略)日本の国籍を選択し、かつ外国の国籍を放棄する旨の宣言をすることによってする」とあります。小野田さんは参議院議員選挙出馬前に「米国籍を放棄する」宣言をしたそうですが、米国籍離脱の手続きは取っていなかったわけです。「国籍法」第161項には「選択の宣言をした日本国民は、外国の国籍の離脱に努めなければならない」とありますから、小野田さんは去年7月、参議院議員に当選した段階では「国籍法」第16条に違反していたわけで、本来なら当選は無効にされなければならなかったはずです。

 また小野田さんは参議院議員選挙に出馬する前に東京都北区の区議会議員を2期、勤めて2期目の途中で辞めて参議院議員選挙に出馬したそうですが、区議会議員選挙に出馬する資格はそもそもあったのでしょうか? いやしくも議員になろうとする人間が、自分が日本の国籍法に抵触していることすら自覚していないわけです。こういう人間が出馬できてしまう(選挙管理委員会は何をしていたのか? 法務大臣は何をしているのか?)、当選できてしまうのです。ただ、残念ながら日本の国籍法には罰則がない(!)ので違反していても法律違反ではない(?)と開き直れるわけです。こんな国籍法は悪用しようと思えばいくらでも悪用できます。

法律を作る立場にある公務員が法律を守っていない、ということが問題でないはずはありません。なぜ日本のメディアはこのことを取り上げないのでしょうか? 最近、よくコンプライアンス(法令順守)という言葉を聞きますが、民間企業のコンプライアンスが取りざたされるのに公務員のコンプライアンスが問題にされないのはおかしい。しかも国会議員は機密情報に接することのできる公務員なのです。異常な事態です。

 それにしても民進党の蓮舫党首の「二重国籍問題」はその後、どうなったのでしょうか? 野党第一党の党首が(!)二重国籍者ではないか、という疑惑を晴らせずにいるのです。なぜ党内から「党首は二重国籍疑惑を晴らすために戸籍を開示するべきだ」という声が上がらないのでしょうか? 国会では華々しく自民党批判を繰り広げている蓮舫さん、まずは自身の潔白を証明して見せないと、誰もあなたの言うことを信用しなくなりますよ~

 

 

 

 

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朝日新聞が消える日

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 朝日新聞の劣化が止まりません。子供が自殺をして悲しみにくれている遺族の気持ちなどお構いなしに、インタビューもせずに(インタビューをしたことにして)勝手に「遺族の気持ち」なる文章を捏造して紙面に載せました。かと思うと、愛媛県今治市の学校法人「加計学園」の獣医学部新設問題に関して517日、一面トップで大見出しに「総理の意向」という言葉を使い、さも安部総理が新設許可に特別の配慮をした、といわんばかりの記事を載せました。「加計学園」の理事長と安部総理が友人であることは確かのようですが、だからといって安部総理が特別の配慮などしていないことは明らかです。そもそも狂牛病や口蹄疫が発生した時、獣医不足が原因の一つだと叫ばれていたのですから獣医を増やすこと自体は必要なことなのです。しかし朝日新聞は「安部憎し」しか眼中にないようです。何でもいいから安部批判につながりそうなネタがあったら、きちんと取材もせずにいい加減なことを書き散らす。朝日新聞はもはや新聞の体を成していない、としか言いようがありません。

 「残紙」という言葉をご存知ですか? 「押し紙」とは、実際には売れないのに新聞社が部数水増しのために販売店に無理やり買わせている新聞のことですが「残紙」とは「押し紙」と「積み紙=販売店が折り込みチラシの広告代を稼ぐために自発的に購入している新聞」を合わせたものです。新聞広告の料金は基本的に部数によって決まります。新聞社が部数を水増しして広告主に実際より高い広告料金を請求するということは一種の詐欺行為です。朝日新聞は実は新聞社の中でもこの「残紙」の比率がもっとも高い、といわれています。この件で朝日新聞は20163月、公正取引委員会から「注意」を受けました。

 メディアの問題に詳しい経済評論家、渡邉哲也氏の『メディアの敗北』(ワック出版・900円)を読みました。トランプ大統領の登場によって私たちは「フェイクニュース(=嘘ニュース)」という言葉を知ったわけですが、渡邉氏によれば日本もアメリカに負けず劣らず「フェイクニュースだらけ」だそうです。これまでは新聞、テレビぐらいしか情報を得る手段がなかったので、そもそもフェイクニュースかどうかを判別することすら難しかったのですがネットの登場によって状況はガラッと変わりました。最近の若者はスマホさえあればその日の主なニュースを歩きながらでも知ることができるのです。良くも悪くも時代は確実に変わっています。紙媒体のメディアは将来、もしかしたら消えるのかも知れません。

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 朝日新聞の社旗は旭日旗を模したものです。戦前、軍部よりも戦争に熱心だったのは朝日新聞をはじめとするメディアでした。しかしわが国が戦争に負け、GHQ(連合国軍総司令部)に占領されるとメディアは占領軍の検閲を受けることになりました。朝日新聞はGHQによって一度、発行停止処分を食らうと180度、論調を変えました。「戦前の日本は暗黒時代だった」「言論の自由もなかった」「軍部は国民を欺いていた」というGHQの宣伝をそのまま忠実に紙面に載せるようになりました。そして数々の日本を貶める嘘のニュースを流してきました。南京大虐殺しかり、慰安婦の強制連行しかり、です。読者からの批判もどこ吹く風、で傲慢さは相変わらずです。

 祖国を貶め、同胞を騙してきた朝日新聞の末路がこれからどうなるか、今から楽しみです

 

 

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