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今年は沖縄が日本に復帰してから45年目の節目の年です。しかしその記念日であるはずの5月15日、沖縄ではこれといったお祝いの式典がなかったようです。かつて日の丸の小旗を振り、万歳を叫んで本土復帰を祝ったことを沖縄の人たちは忘れてしまったのでしょうか?
戦後、沖縄に外部から入り込んだ、いわゆる市民活動家(その中には朝鮮人、中国人も)によって沖縄、といえば「反基地」「反日」のイメージが定着するほど沖縄は政治的な情報工作の舞台となってしまいました。しかし本来、沖縄の人たちは底抜けに明るく、愛国心が強かったのです。
昭和20年(1945年)3月26日、米軍が慶良間諸島を攻撃したことによって沖縄戦が始まった、とされています。しかし実際には米軍が沖縄に上陸する直前、上陸を阻止するために石垣島から「独立飛行隊第23中隊」計10名が飛び立っていました。彼らは慶良間諸島に集結していた米軍艦隊に体当たり攻撃を敢行し大型航空母艦1隻を撃沈、中型航空母艦、戦艦各1隻を撃破、という素晴らしい戦果をあげました。「独立飛行隊第23中隊」の隊長は伊舎堂用久、24歳でした。
伊舎堂用久の短い人生を描いた『「軍神」を忘れた沖縄~戦後生まれの第一線記者が沖縄戦史の空白に迫る~』(閣文社・1,550円)を読みました。著者は石垣市出身、今は「八重山日報」編集長の仲新城誠さんです。
この本の中に伊舎堂用久の写真がありますが、これを見た時、何となく「森田必勝に雰囲気が似ているな~」と思いました。森田必勝というのは三島由紀夫が自決した時、ともに自決した「盾の会」隊長のことです。三島由紀夫と違って森田必勝は自分のことについて何も書き残さなかったので、その人物像はまったく知られていませんが、底抜けに明るい人だったそうです。伊舎堂用久という人も、関係者の話によれば底抜けに明るい人、だったそうです。
平成25年(2013年)、石垣島に「伊舎堂中佐と隊員の顕彰碑」が建てられました。碑には伊舎堂用久の辞世の句「指折りて 待ちに待ちたる機ぞ来る 千尋の海に ちるぞ楽しき」が彫り込まれています。
特攻という作戦の是非はともかくとして、自分の国は自分で守る、という確固たる信念を持って特攻した伊舎堂用久の物語は今こそ読まれるべきではないか、と思います。
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