マダムの部屋

愛国女性のつどい花時計代表でもあるマダムが思った事など書いています。

2019年03月

元号を決めるのは誰なのか

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41日に新元号を発表する過程が明らかになって来ました。「元号に関する懇談会」というものが41日に開かれ、決定した元号を菅官房長官がお昼までに発表するそうです。そのあと、安倍首相が談話を発表するそうですが、なぜこんな手順が必要なのでしょうか? 41日に初めて顔を合わせた「有識者」がその場で12時間話し合って新元号を決められるはずはありません。そもそも日本史の専門家も漢文の専門家も東洋思想の専門家も「有識者」の中にはいません。いつも思うことですが、なぜこんな畑違いの人たちを税金使ってわざわざ集めるのでしょうか?

 313日の参議院予算委員会で内閣官房の担当参事官が言っているように、41日の「元号に関する懇談会」の席に出される複数の案は既に「本当の有識者」によって考案されています。おそらく五つ程度に絞られた中から「形だけの有識者」が一つを選ぶわけです。おそらく、反対の少ない案が採用されるのでしょう。今回は中国の古典からだけでなく、日本の古典から選ばれるかも知れない、と言われています。それはまあ良いとして、問題はなぜこんな大騒ぎをするのか、ということです。「元号フィーバー」と言ってもいいぐらいの異常な騒ぎ方です。

普段、元号のことなど考えたこともないであろう人たち、どちらかというと元号なんか面倒だ、西暦に統一すればいいのに、と思っている人が実際、多いはずです。特にマスメディアや経団連などに巣くう反日思想を持つグローバリストたちが元号のことを真面目に考えるとはとても思えません。それなのに、なぜこんな演出が必要なのだろうか、と非常にうさん臭いものを感じます。

 メディアは相変わらず「天皇の退位」という言葉を使っていますが、本来「退位」ではなく「ご譲位」のはずです。皇室の歴史上「譲位」「禅譲」は何度もありましたが「退位」は一度もありませんでした。「退位」というのは何か問題のあった天皇を無理やりに引きずりおろす、というニュアンスがあります。天皇と皇室を敵視する共産主義者の特殊な政治語彙です。こんな言葉をメディアが使うという事自体、不穏なものを感じます。

 菅官房長官は「新しい時代にふさわしい元号」と言っていますが、わざわざ「新しい時代」と強調する意味が分かりません。皇室は二千六百年以上、継続している訳であり、これまでの伝統をそのまま受け継げばいい訳です。これまで続けてきたことを愚直にやり続けることが伝統なのだと思います。新しく「何か」をやろうと、政治家や官僚がもし考えているとしたら、不敬の極みです。

 今回の元号制定から皇位継承に至る一連の儀式を仕切っているのは菅官房長官と内閣法制局だと言われています。しかし、新元号を決めるのは本来、新天皇であるべきではないのでしょうか? 菅官房長官が元号を発表した後、新天皇にご報告する、というのは何となく皇室よりも内閣の方が上にいるような感じで順序がおかしいと思います。

 戦前は皇族会議というものがあって、皇室にとって大切なことはそこで皇族方が話し合って決めていました。しかし大東亜戦争敗戦後「皇族会議」は廃止され、今は似て非なる「皇室会議」というものがあるだけです。元号も戦後、天皇から引き離されてしまいましたが、本来は天皇がお決めになるものだと思います。

 御代替わりに当たって、日本の伝統が破壊されないことを祈るばかりです。

 

 

 

 

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「韓国経験者」がこのレベル

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今、発売中の『月刊 文藝春秋』20194月号が「特集 日韓断交完全シミュレーション」という記事を載せています。韓国にかつて駐在していた企業関係者や新聞記者などによる座談会で「日韓断交」がテーマです。しかし、読んでみると結局、彼らが言いたいことは要するに「日韓断交なんて勇ましいことを言っていてもそれは現実的ではないからやめた方がいい」ということのようです。最初から結論ありきという感じで、こんな雑誌をわざわざ買って読む必要ないなあ、と思いました。

 たとえば産経新聞ソウル駐在特別記者兼論説委員の黒田勝弘氏は「制裁や断交は現実的ではないし、無理だ」とおっしゃっています。しかし、なぜ現実的ではないのか、なぜ無理なのかという説明はありません。国と国との関係で相手が約束を守らず、事実に基づかない誹謗中傷をしたら、どんな小国でも怒って対抗措置を取ります。対抗措置を取らない方が非現実的です。対抗措置を取らなければ、相手は調子に乗ってますます約束破りを続けるので、国益が損なわれるからです。国と国との関係の基本は「信頼」であり、それが損なわれたら報復するのが当たり前です。

 黒田氏はこうもおっしゃいます。「日本人が韓国討つべし! と感情が高ぶる理由は韓国との歴史的、文化的あるいは人種的な近親関係から来るDNAのせいではないだろうか」・・・・これには本当に呆れました。日本人はめったに「感情が高ぶる」ことなどありません。日本人ほどおとなしい民族はないのではないか、と思うほど最近の日本人は牙を抜かれています。ささいなことで激し、すぐに暴力的になる韓国人と日本人の民族性はまったく対照的です。そんな、おとなしい日本人が韓国に対して珍しく怒っているのです。なぜ黒田氏はそれほどの無礼を働く韓国を批判しないで、日本人が感情的になり過ぎている、という論調になるのでしょうか? これでは韓国の代理人、と言われても仕方がないのではないでしょうか。

 去年の1110日、AbemaTVの「みのもんたの よるズバッ!」という番組で武藤正敏氏が「日本の韓国統治は植民地支配です」と発言したのを聞いて椅子から転げ落ちるほど驚きました。武藤正敏氏というのは戦後の外交官の中では初めて「朝鮮語のできる駐韓大使」だった人です。おそらく外務省の中では「韓国通」として知られている人でしょう。雑誌やテレビによく登場するので、顔を知っている人もいるでしょう。そんな「韓国通」がテレビで堂々と間違ったことを言うのですから、驚かざるを得ません。やはり東大を卒業して(武藤氏が東大かどうかは知りませんが)外務省に入省すると、こうなってしまうのでしょうか?

 企業人にしろ役人にしろ、外国に長く住んで仕事に携わればどうしてもその国の人と付き合わざるを得ません。韓国に住めば韓国人と付き合わざるを得ないし、韓国人とお酒を飲む機会も増えます。韓国人は接待上手で、相手の心を掴む術も知っています。日本人のように「誠意を見せる」だけでなく、さまざまな手段で接待をしてきます。だから韓国に行くと、大抵の人が「韓国大好き」になりがちです。しかし、だからといって歴史的事実関係で韓国の主張にお墨付きを与え、結果として日本人を裏切るのでは日本人としてあまりにも情けないと言わざるを得ません。特に役人は「公僕」なのです。武藤氏はおそらく勉強家なのでしょうから、日本と韓国の歴史をもっと勉強してほしいものです。

 それにしても『月刊 文藝春秋』はなぜ、このタイミングでこういう特集を組むのでしょうか? 日本人が珍しく怒って日韓断交を本気で政府に求めることが何か都合でも悪いのでしょうか? 日本の雑誌ならば「韓国の日本に対する無礼は断じて許せない! 断交しろ!」という論調で特集を組んだ方が読者に受けるのではないか、と思うのですが。それとも、どこかから裏金でももらっているのでしょうか?

 最近の文藝春秋は首をかしげるような論調が少なくありません。菊池寛も泉下で嘆いているでしょう。

 

 

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「3・1独立運動」の真実

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31日、韓国ではいつも「31節」という記念日で式典をやり、大統領が演説をやることになっています。しかし、この「3・1節」って何のことだか知っていますか? 現在の韓国人は「191931日は日本の過酷な植民地支配に対抗して韓民族が立ち上がった日」と教えられています。しかし、これは事実と違います。今年の「31節」に文在寅大統領は「日本の官憲によって7500人の韓国人が殺害された」と言ったそうですが、よくもそういう嘘が平気で言えるなあ、と感心するばかりです。7500人? 一体、どこからそういう数字を引っ張り出してくるんでしょうね。

 当時、日本の領土である朝鮮の首都、京城(ソウル)で発行されていた日本語の「京城日報」という新聞があります。この新聞は国会図書館に行けば見られます。191931日の「京城日報」には「3・1独立運動」のことなど一行も書いてありません。この日の新聞は「李太王の薨去」の話題で持ちきりです。「李太王」とは李氏朝鮮王朝の王だった高宗のことです。もう退位した、かつての王が亡くなったのでその葬儀が31日に執り行われたのです。

 日本が韓国を併合する前、まだ大韓帝国が独立国だった時、高宗は王でした。しかし自分の父である大院君と自分の妻である閔妃が宮廷で権力争いを繰り広げ、高宗はその板挟みになってただ悩むだけでした。無力で優柔不断な王様でした。結局、「ハーグ密使事件」というものを起して伊藤博文の怒りを買い、退位しました。その高宗が亡くなったわけですが、新聞を読むと、この葬儀がいかに盛大に執り行われたか、がよく分かります。遺族である李王家の一族の顔写真も大きく出ています。李王家は日本の皇族と同じ扱いを受けています。記事の内容も亡き高宗を最大限、持ち上げています。驚くべきことに日本政府は既に退位した、かつての王の葬儀をまるで国葬のように執り行っていたのです。現代の韓国人に是非とも知ってもらいたい歴史の事実です。

 いわゆる「3・1独立運動」という言葉は戦後の韓国で捏造された言葉です。当時の新聞には「騒擾」とか「盲動」という言葉で表現されています。31日の葬儀が無事に終わったかと思われた矢先、民衆の一部が暴徒化して略奪、放火、交番に対する襲撃、巡査の殺害などがあった、と書いてあります。京城で始まった「騒擾」はやがて全国に飛び火します。地方でもかなりの被害があったようです。では、一体、誰がこの「騒擾」を起したのでしょうか? 新聞は何日かしたのち、首謀者について伝え始めています。それによると、「騒擾」は自然発生的に起きたのではなく、特定の人物によって主導されています。主導者の中心はかつての朝鮮では貴族階級だった「両班」と呼ばれた人たちです。知識人であり、特権階級だった人たちです。彼らは日本に併合され、特権を奪われたことに対して不満を持っていたのでしょう。

 首謀者の一人として「宋秉畯」の名前が挙げられています。宋秉畯は「一進会」の元リーダーで、一時は大臣までやった人物です。「一進会」は日本と韓国の対等な合邦を願って運動していた団体でした。日露戦争の時、日本の勝利を願って日本軍になんと! 25万円もの寄付をしたという団体です。しかし日本政府は「一進会」の内部の対立やあまりにも政治的に積極的すぎる点などから徐々に距離を置き始め、最終的には解散を命じました。日韓併合は「一進会」が望んだ対等な「合邦」ではなく「併合」でした。そのことが宋秉畯が「騒擾」に加わった動機だったでしょう。その他にも首謀者にキリスト教の宣教師がいたこと、ミッション系の学校の生徒が多く加わっていたことなどが新聞に書かれています。

 つまり「3・1独立運動」は一般の韓国人が起こしたものではなく、さまざまな動機を持った特定の主謀者がいたということです。イデオロギー的な背景もあったでしょう。しかし、今の韓国人にはそのような歴史的事実は教えられず、ただ日本の統治が過酷であったから、と分かりやすい嘘が教えられています。そのことの方がよほど問題ではないでしょうか。

 韓国人には、もっと自国の歴史を学んでほしいものです。

 


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三月十日は「陸軍記念日」だった

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 今日、310日が「東京大空襲」の日だという事はテレビでもやります。しかし、なぜ310日に「東京大空襲」という、前代未聞の規模の一般人に対する攻撃がおこなわれたのでしょうか? 大東亜戦争の特徴の一つは一般人の犠牲の大きさです。軍人だけが亡くなったわけではなくおびただしい数の普通の市民が亡くなっていて、そのほとんどは空襲の犠牲者です。その中でも一晩のうちに10万人(!)が亡くなったといわれる「東京大空襲」は「東京大虐殺」と言うべき、民間人を狙った大量虐殺でした。

 アメリカはこの攻撃をするために、わざわざ日本の木造家屋を砂漠に作って予行練習までした、と言われています。相当、計画的に行われた攻撃だったわけですが、なぜ310日だったのでしょうか? 偶然、ではないと思います。当時のアメリカの行動を知れば知るほどアメリカ人というのは記念日にこだわる民族だということが分かるからです。ここからは推測ですが、310日は帝国陸軍の「陸軍記念日」だったからではないでしょうか。

 戦前の小学生の通信簿には記念日を書く欄がありました。アメリカは日本の歴史や文化、日本人の民族性など徹底的に研究していましたから、日本人が310日を誇りにしていることは分かったでしょう。310日は日露戦争における「奉天会戦」で日本軍が勝利した日で、その後、この日は「陸軍記念日」に定められました。

 ロシアは当時、世界一の陸軍大国でした。国力の点からも陸軍の装備の点からも到底、勝ち目はないと戦う前は言われていました。しかし日本軍は武器弾薬の不足を「肉弾」で補い、なんとか辛勝を続け、ついに陸における「関ヶ原」ともいうべき「奉天会戦」を迎えました。明治38年(1905年)310日のことでした。

 「奉天会戦」は地味なせいか、日露戦争を描いた映画などではあまり大きく取り上げられません。「旅順の戦い」や「遼陽の会戦」のほうが有名です。しかし「奉天会戦」にロシア軍は32万という、世界戦史最大の兵力を集中させました。対する日本軍の兵力は25万、大砲992門、砲兵の弾薬は50万発でした。奉天は今、中国の「瀋陽」という都市になっています。「奉天会戦」は砲兵戦で、両軍がバンバン大砲を撃ち合い、その砲声は山河を揺るがした、といわれています。

 227日から始まった戦いは約一週間、不眠不休で続けられ、37日、ロシアの砲声にやや衰えが感じられました。その時、司令部で戦況の判断に神経をとがらせていた大山巌がいきなり「児玉どん、進軍じゃ!」と言ったそうです。児玉どん=児玉源太郎です。砲術の権威である大山巌の判断は正しく、ロシア軍はこの時、まさに退却の準備をしていました。日本軍は奉天街道を埋めるようにして逃走するロシア軍を追撃し、攪乱させました。「奉天会戦」での日本軍の死者は約7万で、ロシア軍とほぼ同じでした。しかしロシア兵2万人を捕虜にし、大砲48門を鹵獲しています。

 「奉天会戦」は圧倒的勝利ではありませんでしたが世界の戦史に名を残す戦いでした。しかし、今の日本人で「奉天会戦」を知っている人がどれほどいるでしょうか? 負けた戦争であれ勝った戦争であれ、戦争の歴史は正しく伝えられるべきだと思います。日露戦争は日本に勝ち目はないと思われていただけに、日本勝利のニュースは世界を驚かせました。東洋の小国、日本が日露戦争に勝利したことで一躍、世界の五大国の一つになったのです。しかし、アメリカはこの日本の勝利を喜ぶ半面、あまりにも急激な日本の台頭に警戒心を抱くようになりました。それが、のちのシナをめぐる日本とアメリカの対立につながったとも言われています。勝利と敗北、歴史はいつもあざなえる縄のように、つながっています。

310日はさまざまな意味で日本の節目となった日です。私たち日本人が忘れてはいけない日だと思います。

 

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「日韓併合」の愚を繰り返してはいけない

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 昨年の韓国海軍艦艇によるわが自衛隊哨戒機に対するレーダー照射と、その後の韓国の対応はまったくヒドイものでした。誠意のかけらも見られず、これが「友好国」に対する態度か、と唖然とした人が多かったでしょう。しかし、そのお蔭でようやく韓国が歴史に関してこれまで日本に対して数々の嘘をついてきたという事実を知る日本人が増えました。これも「怪我の功名(?)」というものでしょうか。

 「日本はかつて韓国を植民地にし、搾取した」という嘘を未だに信じている日本人がたくさんいます。しかし1910年の「日韓併合」とは果たして韓国を「植民地」にしたことだったのでしょうか? 明治43829日、明治天皇は「韓国併合詔書」というものを出されています。その冒頭にはこうあります。「朕東洋の平和を永遠に維持し帝国の安全を将来に保障するの必要なるを念ひ(ねがい)又常に韓国が禍乱の淵源たるを顧み、ここに朕の政府をして韓国政府と協定せしめ韓国を帝国の保護の下に置き以て禍源を杜絶し平和を確保せむことを期せり」・・・・・・・・この文章が語っているように東洋の平和を願った当時の日本政府と韓国政府の「協定」によって日本は韓国を合法的に併合したのです。もちろん武力で威嚇したり、無理やりに日本のいう事を韓国に呑ませた訳ではありません。

 1910年から1945年までの日本による韓国統治とは、いかなるものであったのでしょうか? 今、韓国の歴史教科書は、こと日本統治時代に関する記述は嘘、嘘、嘘のオンパレードです。韓国の歴史教科書とは、事実を書くことが目的ではなく、韓国という国の建国の正統性を偽造し、子供たちを洗脳することが目的だからです。よその国の教科書に嘘が書いてあるのはまあ、仕方がないにしても日本の教科書までが韓国に迎合し、子供たちに嘘を教えている現状は到底、許せることではありません。これでは日本は主権国家とは言えません。

 韓国の中学校「国史」教科書の記述を取り上げて分析し、真実の歴史を暴いた『歴史を偽造する韓国―韓国併合と搾取された日本』(徳間書店・1600円)を読みました。著者の中川八洋氏は「昭和20年生まれ、筑波大学教授」と著者プロフィールにあります。国際政治学と近代哲学思想がご専門だそうです。平成14年に出版されたこの本の中で中川氏は既に今日の異常な日韓関係を予見し、「日韓断交」を主張なさっています。非常に先見の明がある方です。

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朝鮮総督府(日本の朝鮮統治における行政機関)は巨額の財政を日本国民に負担させ、朝鮮の近代化を推進しました。朝鮮が日本に搾取されたのではなく、日本国民こそが朝鮮の近代化のために搾取されたのです。当時の日本は決して豊かではなかったにもかかわらず、朝鮮に莫大な投資をし、優秀な人材を役所や学校や警察に投入しました。そのお蔭で朝鮮の人口は1313万人(1910年)から2553万人(1942年)へと約二倍になりました。一人当たりの国内総支出も58円(1910年)から119円(1938年)へと約二倍になりました。たった35年間でこれだけの成果を上げたのです。世界の歴史にも例を見ない、特殊な「自国民よりも他国民を優遇する統治」でした。しかし、それが日本の国益を無視した「愚行」であった、と中川氏は喝破します。

 日韓併合の「愚」を日本は二度と犯してはいけません。トランプ大統領の進めている「メキシコとの壁」同様、韓国とはできるだけ高い壁を、物理的にも精神的にも築いていく政策が必要でしょう。

 

 

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