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祝日は単なる休日ではありません。単に休む日ということではなく、国民にとって特別な日、国民がこぞって祝う、おめでたい日であり、国民が忘れないようにすべき日が祝日です。しかし、2000年に「ハッピーマンデー法」という法律ができて、連休を作るために祝日を勝手に動かすという、とんでもないことを国会議員が行うようになりました。こうなると、祝日の意味が分からなくなります。おそらく、今、二十歳以下の若者は祝日にどういう意味があるか、ほとんど知らないと思います。感慨もなく、単なる休日として一日を過ごすのでしょう。これで自国の歴史や歩みに誇りが持てるはずがありません。
今年から「体育の日」が「スポーツの日」になりました。そして、本来は10月だった「体育の日」が今年だけ7月24日になるそうです。なぜなら7月24日が東京オリンピックの開会式の日だから、だそうです。これは暴挙としか言いようがありません。「体育」という言葉と「スポーツ」という言葉が全く違う、ということも今の国会議員は分からないのでしょうか? 「体育」という言葉には心身を鍛える、というニュアンスがありますが「スポーツ」は競技のことです。「体育」は勝ち負けを競うというニュアンスよりも、教育的なニュアンスが強い言葉です。日本の教育は本来「知育」「徳育」「体育」の三本柱でした。この三つがバランスよく機能して初めて教育的な効果が期待できるのです。日本の戦後の学校教育から「徳育」「体育」が抜けてバランスを欠いていることが、今回のような決定をする愚かな国会議員を生んでしまったのではないでしょうか。
1964年(昭和39年)10月10日、夏季オリンピックの開会式が東京で行われたことが「体育の日」の制定された理由です。当時の日本は大東亜戦争の敗戦から辛く、長い占領期を経て、国際社会に復帰してまだ20年しか経っていませんでした。空襲や原爆で国土が焦土となってからたった20年で夏のオリンピックが開催できるまでに復興したのです。アジアで日本に次いでオリンピックを開催したのは韓国ですが、ソウルオリンピックは1988年(昭和63年)、北京オリンピックは2008年(平成20年)です。それを考えると、東京オリンピックの開催がいかに快挙であったかが分かります。
前日は台風が接近していて天気が心配されましたが、開会式当日は秋晴れになりました。池田首相も開会式に参列していましたが、開会宣言をされたのは昭和天皇でした。天才作曲家といわれた古関裕而が作曲した「オリンピック・マーチ」に乗って入場行進が行われると、観衆の興奮は最高潮に達しました。
開会式に続く競技でも日本選手の活躍ぶりは戦争のブランクを感じさせないものでした。女子バレーボールで日本がソ連を破って優勝した決勝戦の視聴率は66.8%で、スポーツ中継としては歴代最高でした。東京オリンピックは敗戦の痛手から国民が立ち直り、自信を取り戻すきっかけになった、まさに民族の祭典でした。私にとって昭和39年のオリンピックの感動は忘れられないものでした。しかし、これからの世代は10月10日が記念すべき日であることも、先人がいかに戦後の復興のために努力したか、も知らないで過ごすことになります。祝日の日付を変えるということは民族の共通の記憶を消すということです。記憶を消されたら、民族としての絆や共同体が崩れてゆきます。
「体育の日」が「スポーツの日」に変わることに伴って「日本体育協会」が「日本スポーツ協会」に、「国民体育大会」が「国民スポーツ大会」に変更されることになりました。カタカナ語を漢字の中に入れることも違和感がありますが、なぜそうまでして「体育」を「スポーツ」に変えなければならないのか、が不思議です。ここからは私の推測ですが、2015年に「スポーツ庁」という庁が文部科学省の外局として設置されました。ここからさまざまな政治的な動きが始まったようです。
省庁の利権と目先のポストのために、役人が議員を動かして日本語を破壊し、くだらない法律をまた一つ作った、ということでしょうか。くだらない法律はあっという間にできるのに、肝心な憲法改正はいつまで経ってもできないのが今の日本です。
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