マダムの部屋

愛国女性のつどい花時計代表でもあるマダムが思った事など書いています。

2020年07月

消された「体育の日」

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祝日は単なる休日ではありません。単に休む日ということではなく、国民にとって特別な日、国民がこぞって祝う、おめでたい日であり、国民が忘れないようにすべき日が祝日です。しかし、2000年に「ハッピーマンデー法」という法律ができて、連休を作るために祝日を勝手に動かすという、とんでもないことを国会議員が行うようになりました。こうなると、祝日の意味が分からなくなります。おそらく、今、二十歳以下の若者は祝日にどういう意味があるか、ほとんど知らないと思います。感慨もなく、単なる休日として一日を過ごすのでしょう。これで自国の歴史や歩みに誇りが持てるはずがありません。

 今年から「体育の日」が「スポーツの日」になりました。そして、本来は10月だった「体育の日」が今年だけ724日になるそうです。なぜなら724日が東京オリンピックの開会式の日だから、だそうです。これは暴挙としか言いようがありません。「体育」という言葉と「スポーツ」という言葉が全く違う、ということも今の国会議員は分からないのでしょうか? 「体育」という言葉には心身を鍛える、というニュアンスがありますが「スポーツ」は競技のことです。「体育」は勝ち負けを競うというニュアンスよりも、教育的なニュアンスが強い言葉です。日本の教育は本来「知育」「徳育」「体育」の三本柱でした。この三つがバランスよく機能して初めて教育的な効果が期待できるのです。日本の戦後の学校教育から「徳育」「体育」が抜けてバランスを欠いていることが、今回のような決定をする愚かな国会議員を生んでしまったのではないでしょうか。

 1964年(昭和39年)1010日、夏季オリンピックの開会式が東京で行われたことが「体育の日」の制定された理由です。当時の日本は大東亜戦争の敗戦から辛く、長い占領期を経て、国際社会に復帰してまだ20年しか経っていませんでした。空襲や原爆で国土が焦土となってからたった20年で夏のオリンピックが開催できるまでに復興したのです。アジアで日本に次いでオリンピックを開催したのは韓国ですが、ソウルオリンピックは1988年(昭和63年)、北京オリンピックは2008年(平成20年)です。それを考えると、東京オリンピックの開催がいかに快挙であったかが分かります。

 前日は台風が接近していて天気が心配されましたが、開会式当日は秋晴れになりました。池田首相も開会式に参列していましたが、開会宣言をされたのは昭和天皇でした。天才作曲家といわれた古関裕而が作曲した「オリンピック・マーチ」に乗って入場行進が行われると、観衆の興奮は最高潮に達しました。

 開会式に続く競技でも日本選手の活躍ぶりは戦争のブランクを感じさせないものでした。女子バレーボールで日本がソ連を破って優勝した決勝戦の視聴率は66.8%で、スポーツ中継としては歴代最高でした。東京オリンピックは敗戦の痛手から国民が立ち直り、自信を取り戻すきっかけになった、まさに民族の祭典でした。私にとって昭和39年のオリンピックの感動は忘れられないものでした。しかし、これからの世代は1010日が記念すべき日であることも、先人がいかに戦後の復興のために努力したか、も知らないで過ごすことになります。祝日の日付を変えるということは民族の共通の記憶を消すということです。記憶を消されたら、民族としての絆や共同体が崩れてゆきます。

 「体育の日」が「スポーツの日」に変わることに伴って「日本体育協会」が「日本スポーツ協会」に、「国民体育大会」が「国民スポーツ大会」に変更されることになりました。カタカナ語を漢字の中に入れることも違和感がありますが、なぜそうまでして「体育」を「スポーツ」に変えなければならないのか、が不思議です。ここからは私の推測ですが、2015年に「スポーツ庁」という庁が文部科学省の外局として設置されました。ここからさまざまな政治的な動きが始まったようです。

 省庁の利権と目先のポストのために、役人が議員を動かして日本語を破壊し、くだらない法律をまた一つ作った、ということでしょうか。くだらない法律はあっという間にできるのに、肝心な憲法改正はいつまで経ってもできないのが今の日本です。



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朴元ソウル市長がやったこと

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韓国・ソウルの朴元淳元市長が遺体で見つかったことがメディアを騒がしています。自殺か、あるいは他殺か、ということはまだ分かりません。もしかしたら、これからも分からないかも知れません。現職のソウル市長が謎の死を遂げたのですから、日本のメディアも大騒ぎです。しかし、この人が生前、何をしたのか、ということについて日本のメディアは正確に伝えているのでしょうか? 私は死者に鞭打つようなことはしたくありませんが、朴元淳元市長があの温和な表情の陰で何をやっていたか、について私たち日本人は知るべきだと思いますので、知っていることをお伝えしたいと思います。

 朴元淳氏は現在、三期目の途中でした。次の韓国大統領の呼び声も高かった人物です。1956年、慶尚南道に生まれました。ソウルの京畿高等学校からソウル大学に進学したので、韓国のエリートコースに乗ったと言えるでしょう。しかし1975年、大学生の時に朴正熙政権に反対する学生運動に関わって「緊急措置法」違反で拘束されます。大学は除籍になりますが、その後、壇国大学に入学し直して卒業します。1980年、司法試験に合格して弁護士になります。文在寅大統領とは司法修習生時代の同期生です。弁護士から政治家に転身したという点も、文在寅大統領と同じです。大統領の盟友、と言っていい存在でした。

文在寅大統領はもしかしたら朝鮮労働党の隠れ党員ではないか、ということがネットの中で囁かれています。朴元市長は思想的には文在寅よりも左、と言われているので彼も朝鮮労働党の党員だったのかも知れません。左翼活動家の中で朴元淳の名前を一躍、有名にしたのは200012月にNHKが放映した「女性国際戦犯法廷」でした。元朝日新聞記者の松井やより氏などが中心となって仕掛けた「日本軍による朝鮮人慰安婦強制連行を裁く」模擬裁判でした。なんと昭和天皇を有罪にするという、左派のプロパガンダ番組だった訳ですが、この裁判の韓国側の代表検事だったのが朴元淳氏です。NHKは今回、朴元淳の死を伝える時に、このことをちゃんと報道したのでしょうか?

 去年の710日、朴元淳は韓国紙「中央日報」のインタビューの中で日本の輸出管理厳格化について「日本の経済報復は盗人猛々しい行為」という発言をしています。東京都はこういう発言をする人物が首長をやっているソウル市と姉妹提携関係にあった訳ですが、小池百合子都知事は彼のこの発言をどう思われていたのでしょうか? もうこれだけで姉妹都市関係を解消するのに十分な理由になるのではないか、と思うのですが。

 ソウルの日本大使館前(今現在、日本大使館は別の場所にあります)に、「慰安婦の像」という醜悪な像が建立されたのは201112月で、朴元淳がソウル市長に初当選した二か月後です。これは推測に過ぎませんが、この像の建立には朴元淳の指示、あるいは協力があったのではないでしょうか?

 201192日、ソウル駅の前に姜宇奎という男の銅像が建ちました。「慰安婦の像」よりも遥かに大きい像で、右手に手榴弾を持って、今にも投げつけようという格好をしています。「慰安婦の像」よりもよほど物騒で、駅前という人目につく場所にあるのに、この像のことはなぜか日本のメディアも韓国のメディアも無視しています。

 姜宇奎という男は何をやったのでしょうか? 彼は1919年(大正8年)92日、南大門停車場(現ソウル駅)で赴任したばかりの斎藤実朝鮮総督に爆弾を投げつけたテロリストです。幸い、総督は無事でした。斎藤総督は第三代目の総督であり、そのあともう一度、第五代の総督もなさっています。第30代内閣総理大臣であり、内大臣も務めました。帝国海軍の中でも国際派の軍人でした。

 姜宇奎という男がなぜ斎藤総督に爆弾を投げたか、については長くなるので省きます。問題はなぜ今、この銅像がソウルの玄関口といえる場所に建っているのか、ということです。これは邪推かも知れませんが、私はこれにも朴元淳が関わっていたのではないか、と疑っています。駅前に大きな銅像を建てる、ということはかなりの政治力が必要でしょうし、反対派を抑える根回しも必要だったでしょう。

 朴元淳元市長は自分がセクハラで訴えられたことを知っていたようです。彼の死がセクハラ疑惑によるものなのかどうか、は分かりません。もしかしたら、北朝鮮の中枢の政変とも何か関係があるのかも知れません。元慰安婦の支援団体の内紛とも関係があるのかも知れません。朝鮮半島情勢はますます目が離せなくなっています。

 

 

 

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マスクはしても良いし、しなくても良い

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最近、暑くなってきたのでマスクをするのが苦痛になって来ました。でも道を行く人や電車の中の約9割(?)の人がマスクをしています。これはなぜなのでしょうか? 私はあまりマスクの必要性を感じていないのですが、何となく周囲の雰囲気で「マスクをしないと、いけないのかなあ・・でも、したくないなあ」と思っていました。

 今、発売中の雑誌『月刊 Hanada』八月号に岩田健太郎氏(神戸大学医学研究科微生物感染症学講座感染治療学分野教授)が「マスクはしてもしなくてもいい」という文を寄稿しています。この文章は極めて常識的で、私は何の違和感もなく読みました。興味のある人には読んでほしいのですが、要するにマスクは「着ける必要はない」のではなく、着けても着けなくともいい、そうです。ここいら辺が微妙ですね。着けたい、というか着けることによって安心できる人は着けたらいい、という意味だと思います。

 「マスクに特段の効果がないことは知っているが、無自覚に感染しているかも知れない。だから、周囲の人にうつすと悪いのでマスクを着けている」と言う人がよくいます。この考え方は一見、非常にまともに聞こえます。しかし、岩田氏も触れていますが、自覚症状がない、ということは咳もくしゃみもしないし、喉が痛い訳でもない、ということです。そういう人が他人にうつすことはまずあり得ません。咳もくしゃみもしないのに、どうやって他人にうつすのでしょうか? 少なくとも傍にいる人と会話しない場合、例えばスーパーの中とか電車の中で他人にうつすということはあり得ません。

 私が最近、気になるのは子供にマスクをさせているケースを時々、見かけることです。大人でさえ息苦しいのに、子供はどれほど煩わしいでしょうか。岩田氏も子供にマスクをさせると、夏場は熱中症や脱水症状を起こしやすくなる、と言っています。当然のことです。子供は武漢肺炎の罹患率が極めて低い、というか、子供の感染者はほとんどいない(中国にはいました)のですから、子供に無理やりマスクをさせるのは可哀そうです。

 今年の2月から約5か月の累計感染者数は約18000人で、そのうち約16000人が退院しています。感染したとしても重症化する人はごく僅かです。今現在の死者数は975人です(630日現在)。感染しても、インフルエンザよりも軽症の風邪で済む、というのが今、現在の数字から判断できる被害状況ではないでしょうか。

 マスクを絶対、しなくてはいけないとなったら、これは全体主義です。マスクを着けている人が着けていない人に「なんで、お前はマスクをしていないんだ」と言ったというニュースを聞いたことがありますが、言語道断です。各自が各自の判断で、着けたければ着ければいいし、着けたくなければ着けなくていい、というのが自由で成熟した社会です。

 政府や厚労省の発表に一喜一憂することなく、楽しく夏を過ごしたいものです。

 

 

 

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