マダムの部屋

愛国女性のつどい花時計代表でもあるマダムが思った事など書いています。

2020年08月

語られなくなった「靖国参拝」

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令和282817時、安部首相が辞任表明をなさいました。民主党政権下で最悪だった経済状況を立て直し、アメリカとの良好な関係を築いた功績、特にトランプ大統領との関係は素晴らしかったと思います。第二次安倍政権は20121226日に発足し、78か月続きました。安倍首相の前の首相には1年で退陣する人もいました。諸外国からも「日本の首相はコロコロ変わる。名前がとても覚えられない」と言われる始末でした。せっかく佐藤栄作首相を抜いて歴代一位の長期政権になったのに、その直後の辞任は残念としか言いようがありません

 記者会見の様子はテレビ中継されたので、見ることができました。時折涙をにじませて、悲痛な表情でした。安倍首相の78か月の間には光と闇があり、それは見る人によって全く違って見えると思います。左翼マスメディアの記者たちは政策には興味がもともとないようで、何でもいいから安倍首相を貶めたいという姿勢が露骨でした。安倍首相の悪口さえ言っていれば仕事になるのですから楽でしょうね。安倍首相の辞任表明を一番残念に思っているのは、もしかしたら左翼メディアかも知れません。メディアの質の劣化は昨日の記者会見を見ていてもよく分かりました。くだらない質問をダラダラと、メリハリなくする記者が少なくありません。内容も面白くなくて、これで、よく給料をもらっているな、と呆れるようなレベルの質問でした。低レベルの記者をいつも相手にしているから安倍首相の病気が悪化したのではないでしょうか。

 昨日の記者会見を見ていて、いくつか疑問に思ったことがあります。安倍首相は8月初旬の慶応病院での検査の結果が思わしくなかったとおっしゃっていました。その後、24日にも検査を再度、受けられたようです。おそらく8月中旬頃には、自分は来年9月の任期満了まで勤められないかも知れないと感じていらしたでしょう。それならなぜ今年の815日に靖国神社を参拝なさらなかったのでしょうか。

 第一次安倍政権は2006926日に発足し、ちょうど1年後の2007926日に終わりました。今回と同じ、御病気が悪化しての辞任でした。辞任会見の時、安部さんは靖国神社に参拝できなかったことが「痛恨の極み」だとおっしゃいました。「痛恨の極み」という言葉は決して軽くありません。本心から悔しかったのだと思います。それなら、なぜ第二次安倍政権でもっと頻繁に靖国参拝をしなかったのでしょうか。78か月の長期政権でありながら、結局、靖国神社に参拝なさったのはたったの1回でした。これは納得ができません。保守の期待の星として登場した総理としては情けない結果です。今年は中国も韓国もそれぞれ国内事情が問題山積で、日本に擦り寄ってくる有様でしたから、たとえ安部首相が靖国神社を参拝しても、何も言えなかったでしょう。たとえメディアから批判されても、失うものは何もない状態だったはずです。安倍首相は記者会見でも靖国神社のことには一言も触れませんでした。

 「拉致問題を解決できなかったのは痛恨の極み」とおっしゃいましたが、拉致は憲法改正をしなければ解決できない難問です。拉致や北方領土問題は相手と交渉して行かなければなりません。いわばヤクザを相手に交渉するようなものだから大変なのは分かります。しかし靖国神社に参拝することは自分の決意一つでできることです。

 幸い、安部首相は首相を辞めても議員を続けられるそうです。私が安倍首相に一議員としてやって頂きたいことは台湾を訪問する事、それから後継者を育てることです。ご自分は難病を抱えているのですから首相という激務は辞めた方が良いです。ストレスは腸の病気には禁物です。安倍首相の理念を継ぐ保守の後継者をしっかりと育てて欲しいです。

 安部首相、お疲れ様でした。

 


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日本は「侵略戦争」をしたのか

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 令和二年の「終戦の日」の靖国神社は熱風が吹いていました。37度以上あったと思います。武漢肺炎の感染拡大も言われているので(実際はほとんど死者も重症者も増えていませんが)、今年の参拝客は少ないだろう、と思っていました。ところが実際には、例年と比べてさほど減っていないという印象でした。本殿の前には参拝を待つ人の列が延々と続きました。1時間半位、炎天下で待たなければ参拝できないのではないか、という状態でした。815日の靖国神社はいつも人であふれています。政治家や閣僚があまり参拝しないのを国民が心配して、自分が行かなければ、という気持ちで参拝しているのでしょうか。

 靖国神社の英霊に国民が感謝の誠をささげるのは当然の事なのですが、私たちはそれだけで満足してはいけないと思います。戦後の日本は平和になった、と教育を通じて、あるいはメディアを通して刷り込まれてきましたが、戦後の日本は決して平和ではありませんでした。1945815日迄は、戦闘行為はやっていましたが、日本人は自信と誇りに満ちていました。国家と国民は一体化して、団結して戦っていました。しかし815日以降の日本はまったく違ってしまいました。日本は「侵略戦争をやった悪い国」という嘘をGHQによって刷り込まれ、日本人は萎縮して、自信を失ってしまいました。精神的に敗北状態が続いています。たった一度、戦争に負けただけでここまで痛めつけられた国が他にあったでしょうか?

 ありもしなかった「南京大虐殺」とか「慰安婦の強制連行」という嘘が、未だに教科書に書かれているのは、日本人自身が自分の国を「侵略戦争をやった悪い国」と思い込んでいるからです。そこに中国や韓国が付けこんでいるのであって、中国や韓国を批判して済む話ではありません。竹島を奪還できないのも、拉致被害者を奪還できないのも、日本人自身が自分の国を誇りに思えないからです。私たちの先人は侵略戦争などやっていません。アメリカは自分たちがやった残虐行為や国際法違反(原爆投下、東京大虐殺など)を正当化するために、徹底的に日本人に嘘を刷り込みました。75年経っても、この嘘をまだ日本人は覆すことができていません。これで平和とはとても言える状態ではありません。

 自虐史観を刷り込まれると、正常な思考力が止まってしまうのか、中国による尖閣諸島への脅威も、ほとんどの日本人は脅威だと感じていないようです。このままでは、尖閣諸島は奪われ、沖縄も中国の侵略にさらされることになるでしょう。その時、戦後の日本は実は平和ではなかった、と気づいても遅いのです。

 どこの国にも必ず「戦争記念館」というものがあります。各戦争ごとに記念館がある国もあります。しかし、日本は日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦の勝者でありながら「戦争記念館」がありません。なぜないのか、といえば戦後の政治家が戦争の総括をすることから逃げてきたからです。大東亜戦争はどういう性格の戦争であったか、という総括を政治家がしなければ「戦争記念館」を作ることもできません。これでは英霊も浮かばれません。

 安部首相は今年も靖国神社を815日に参拝しませんでした。来年ももし靖国神社を参拝しなければ、7年以上も首相の座にありながら、たった1回しか参拝しなかった、という情けない首相で終わってしまいます

 英霊は今の日本に対して決して怒ってはいないでしょうが、心から心配していると思います。自分の国を「侵略戦争をやった悪い国」と思い込むような国民が多いと、国を守ることは至難の技だからです。英霊に安心してもらうためにも「日本は侵略戦争などしていない」という認識を日本人が共有しなければなりません。

 

 

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『アサヒ芸能』のスクープ

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先日、週刊『アサヒ芸能』に驚くべき記事が載りました。文部科学省の教科書課の主任調査官が北朝鮮の工作員ではないか、という疑惑が持ち上がっている、という記事でした。俄かには信じられない内容です。記事の内容によると、韓国で脱北者の組織を家宅捜索した韓国の諜報機関「韓国情報院」が北朝鮮の工作員の氏名が載ったリストを入手したそうです。「韓国情報院」はそのリストをアメリカのCIAに送りました。CIAがそれを日本の公安に送ってきたのですが、その中に教科書課の主任調査官の名前があったそうです。中前吾郎という人物だそうです。現在、目白大学大学院の教授だそうです

 日本の中学の歴史と公民の教科書は4年ごとに改定されます。その都度、検定を受けなければならないとされていて、検定に合格した教科書の中から各学校がどの教科書を採用するかを決めます。しかし、教科書の記述内容が(特に歴史)が自虐的で偏向している、という指摘は以前から何度もありました。安倍内閣になって教育基本法や学習指導要領がかなり是正されたにもかかわらず、教科書の記述内容が一向に改まりません。たとえば中国共産党が主張する「南京大虐殺」が事実であるかのように相変わらず書かれ、犠牲者が「30万人」という、ありえない数字が未だに是正されません。なぜ、このような教科書が検定にパスするのか不思議です。おそらく教科書の調査官に中国や韓国、あるいは北朝鮮の工作の手が伸びているからでしょう。他に理由が考えられません。

 中前吾郎という人物は以前、毛沢東を賛美する著作を発表しているそうです。また韓国の霊山大学という大学で講師をしていた経験もあるそうです。普通ならこのような人物が日本の中学生が使う教科書を選ぶ調査官(しかも主任)に採用されるはずがありません。中前氏を採用した時の教科書課の課長は永山賀久という人物で、のちに初等中等教育局長に昇進したそうです。前川喜平氏と同じ出世コースです。永山氏の後任の教科書課の課長は望月氏だそうですが、望月課長の時に共産党系の出版社「学び舎」の歴史教科書が検定に合格しています。内容を見てみましたが、これが日本の教科書だろうか、と信じられない思いでした。まるで中国の教科書です。このような教科書を押し付けられる今の子供は本当に可哀そうだ、と思いました。これでは日本人に生まれた喜びや誇り、自覚などが育まれないでしょう。

 去年(2019年)の教科書検定で、これまでなかった「一発不合格制度」が導入されました。これまでは検定をして「意見」がついた箇所を執筆者が訂正すれば、大体、合格していました。しかし「一発不合格制度」では、いくら訂正しても問答無用で不合格になるそうです。これでは、調査官が気に入らない教科書はいくら訂正してもダメだ、ということです。この「一発不合格制度」によって自由社の歴史の教科書が不合格になりました(地理は合格しました)。「新しい歴史教科書をつくる会」が作成した自由社の教科書を検定にパスさせないために「一発不合格制度」という制度まで作った、ということでしょう。それほど自由社の教科書を通したくない勢力が文科省の教科書課の中に巣くっている、ということでしょう。

 中前吾郎氏はおそらく韓国で講師をしていた時に北朝鮮の工作活動に取り込まれたのだろうと思います。

文科省の自浄作用が機能していないということが分かった以上、政治が取り組みを強めなければなりません。日本の子供たちに何を教えるか、ということは主権の行使であり、国家の根幹にかかわる問題です。そこに外国勢力の浸透があるとしたら、日本は主権国家とは言えない状態だということです。

 萩生田文部科学大臣はこの問題から逃げては行けません。「近隣諸国条項」もさっさと撤廃するべきです。

 

 

 

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「奇跡の人生」を終えた李登輝元総統

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台湾の元総統、李登輝先生が7月30日、御逝去されました。謹んで哀悼の意を表します。

 

 中国共産党が日本のメディアに圧力をかけているせいか、李登輝元総統の事を誤解している日本人もあるかと思うので、私なりに李登輝先生の事を書いてみたいと思います。もし激動の時代に生まれなければ李登輝さんは学者として穏やかな人生を送られたか、あるいは宣教師になっていたかも知れません。私たちがイメージする政治家、という感じの方ではありません。お目にかかると哲学者のような風貌で、政治の話などしたことがありません。人生について、日本について、世界について、ご自分の思うことを率直に語って下さいました。

 日本統治下の台湾で李登輝さんは1923年に生まれました。お兄様はマニラで戦死なさって、靖国神社に祀られています。李登輝さんも学徒出陣で出征していますが、やがて終戦になり、台湾へ戻ります。台湾は蒋介石率いる中国国民党がなし崩し的に占領し、李登輝さんは22歳で日本人から突然、中華民国国民になりました。ここからが苦難の人生の始まりでした。

中国国民党政権は日本を否定し、日本統治時代のエリートたちを弾圧し、多くの人が海外へ亡命しました。今の台湾からは想像もできませんが、台湾には世界でもっとも長い、30年以上も戒厳令が敷かれていました。言論の自由もなく、政府を批判する自由もありませんでした。日本語と台湾語を話すことは禁止され、北京語ができないと仕事に就くこともできないという時代が長く続きました。

 李登輝さんはアメリカで博士号を取り、台湾大学の教授になります。しかし学者の道を進みながらも中国国民党に入党します。この決断が台湾を民主化に導く政治家としての李登輝さんを生み出しました。蒋介石の息子の蒋経国のもとで政治家としてのキャリアを積み、台北市長になります。

 蒋経国が突然、急死したことによって副総統になってまだ四年目の李登輝さんは総統になります。台湾生まれの初めての総統でした。この時はまだ台湾は普通選挙が行えない状態でした。しかし李登輝さんは

中国国民党の長老たちを説得し、普通選挙の実現にこぎつけ、選挙に立候補して堂々と、改めて総統の座に就きました。

 李登輝さんは「親日家」として有名ですが、親日家という表現では不十分です。「愛日家」と言った方が良いと思います。日本を愛し、日本語を愛し、日本の俳句や文学を愛していらっしゃいました。岩波書店から本を取り寄せて読んでいらっしゃいました。日本語での執筆、講演などご高齢になっても旺盛な活動をなさっていました。そのエネルギーの根源は少年時代に受けた日本の教育だったと思います。

 台湾を訪れる日本の各界の人達と頻繁に会っては、日本人を励ますメッセージを送っていらっしゃいました。本来なら中国共産党の脅威にさらされている台湾を日本が支える立場のはずなのに、逆でした。これからは李登輝さんの御遺志を引き継いで、日本の政治家が中国共産党の脅威と戦わなければなりません。

 李登輝さんは激動の時代が生み出したアジアの哲人政治家でした。

 

 

 

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