マダムの部屋

愛国女性のつどい花時計代表でもあるマダムが思った事など書いています。

2022年02月

2月22日は「竹島の日」

 ブログランキングを始めました!クリックしてもらえると嬉しいです。


人気ブログランキングへ   



 今日は島根県隠岐郡に属する竹島がわが国の領土であることを確認し、奪還するために何をすべきか、考えたいものです。毎年、松江市で「竹島の日」記念式典が開かれています。これは本来、政府主催で行わなくては意味のないものですが「竹島の日」制定以来、一度も政府主催で行われていません。自民党は「竹島の日」式典を政府主催で行うと公約に謳ったにもかかわらず、政権を取ると知らん顔です。公約を守らない政権がなぜ支持されるのか不思議です。国民が舐められているからでしょう。今年も政府は小寺裕雄内閣府政務官を派遣するそうです。二之湯領土問題担当大臣は記者会見で「私にも案内はあったが諸般の事情を検討し、今年も政務官派遣となった」と述べました。領土問題を解決する気がないのなら、領土問題担当大臣は不要でしょう。

 「竹島の日」は平成17年(2005年)に制定されたので今年で17年目です。地元の関係者の間からは「政府が主催しない式典を民間で開催する」ことに対する無力感、絶望感が聞かれます。そもそも領土というものは式典を開いたからといって奪還できる訳ではありません。相手が韓国なのですから話し合いなど無駄で、それよりも経済制裁をすればいいだけです。日本国内でもやれる事はいくらでもあります。しかし自民党(と公明党)が何もやらないので、島根県がこんな苦労をしなければならない訳です。

 朝鮮半島の東海岸に鬱陵島という島があります。かつて日本の漁民は鬱陵島に渡るために竹島を経由地として利用していました。1618年、鳥取藩米子の漁民、大谷甚吉と村川市兵衛の二人が幕府の許可を得て鬱陵島を拝領しました。1661年には竹島も拝領しました。ところが1693年、安龍福という朝鮮人が鬱陵島に来て日本人の漁を邪魔して捕らえられました。朝鮮政府は安龍福を処罰し、幕府に謝罪しましたが幕府は朝鮮との関係に配慮して鬱陵島への日本人の渡航を禁止しました。つまり、日本と朝鮮との間で揉めていたのは鬱陵島の問題であって、竹島が問題になったことは一度もありません。

 しかし大東亜戦争敗戦後、わが国は7年間、GHQに軍事占領されていました。昭和27年(1952年)118日、韓国の大統領、李承晩は突然北緯38度、東経13250分までを「韓国の排他的主権領域」だと宣言しました。もちろん、何の根拠もありません。ある日突然、海の上に線を引かれても、日本の漁民には分かりません。昨日と同じように竹島のほうへ漁に出た漁民に韓国の警備艇が近づいて、機関銃をぶっ放しました。多数の漁民が負傷し、船は奪われました。昭和40年(1965年)に日韓基本条約、日韓漁業協定が結ばれるまでに釜山に連行され、抑留された漁民は3929人に上ります。まさに、これこそが「強制連行」でしょう。拿捕された船の数は328隻、死傷者はなんと! 44人です。殺された漁民の中には子供が生まれたばかりの人もいました。

 竹島は理不尽に暴力的に韓国に奪われ、今は軍事占領されています。いくら人の住まない島とはいえ、領土を何の根拠もなく奪われてそのままにしておくのは主権国家として異常です。漁民の無念を私たちは忘れてはいけないと思います。

 韓国の教科書には「日本は日露戦争中、強制的に独島(竹島のことを韓国では「独島」と呼ぶ)を日本の領土にした」と書いてあります。嘘も百回いえば真実になるとはいえ、これはあまりにも無理があります。竹島は日露戦争とは何の関係もありません。明治政府が竹島を領土に編入する手続きを取ったのは中井善三郎という漁民から要請されたからです。竹島にはアシカが生息していました。アシカの肉は塩漬けにすれば貯蔵が効きます。皮下脂肪は油になるし皮は帽子のひさしや防寒服になります。ロシアの原野を行軍する将兵の軍服にもなるという事で乱獲され、200頭もいたアシカが激減しました。それを心配した中井善三郎が政府に「アシカを保護して欲しい」と要望したのです。

 政府が閣議にもとづいて島を島根県に編入したのが明治38年(1905年)128日で、たまたま日露戦争の最中でした。この時、島は「竹島」と命名されました。もし韓国人に「日本は日露戦争のどさくさに紛れて竹島を奪っただろう!」と因縁をつけられたら丁寧に、真実を教えてあげましょう。

 

 

殉職自衛官に名誉を!

 ブログランキングを始めました!クリックしてもらえると嬉しいです。


人気ブログランキングへ   



 131日、石川県の航空自衛隊小松基地から飛び立ったF15が離陸直後に突然、墜落しました。F151980年の配備後、11件の墜落事故があるそうですが離陸直後に墜落したのは初めてだそうです。飛行前の点検では異常が確認されませんでした。フライトレコーダーはこれから回収されますから、いずれ事故原因が分かるはずですが、それにしても異常な事故です。F15は午後5時半に要撃戦闘訓練のため離陸しました。5時半ならもう暗かったでしょう。離陸から2分後、北側に大きく右旋回した瞬間、管制官が西北西の空に「オレンジ色の発光」を発見し、無線で呼びかけたが応答はなかったそうです。墜落したのは基地から西北西に約5キロの地点と見られています。

 車でちょうど帰宅中だった住民が海上に「赤い火柱を目撃した」ことを地元の『北國新聞』が報じています。「オレンジ色の発光」とか「赤い火柱」という文章を見ると、実は単なる事故ではなくて撃墜されたのではないか、と素人ながら思ってしまいます。日本海は北朝鮮、韓国、それにロシアや中国などとの覇権争いの海域に既になっているのではないでしょうか?

 今回の事故は基地関係者に衝撃を与えたようです。というのも二名の乗務員はいずれもベテランパイロットで操縦ミスは考えづらいからです。F15に乗っていたのは田中公司一等空佐(大佐?)と植田竜生一等空尉(大尉?)ですが、田中公司一等空佐はかつてブルーインパルス隊長も務めたことのある基地最年長のベテランで、総飛行時間は2800時間の精鋭だったそうです。もし機体に何らかの不備があって故障したのなら2名とも脱出できたはずですが、脱出出来なかったという事はあっという間の出来事だったという事です。一体、F15に何が起きたのでしょうか?

 私の友人に元航空自衛隊のパイロットがいます。彼は優秀だったのですが視力が少し弱くてパイロットになれず、結局、自衛官を辞めたそうです。パイロットになるには頑強な体、優秀な頭脳を持つだけでなく意志も強く、厳しい訓練に耐えられる人物でなければなりません。長期間の訓練を経てようやく一人前のパイロットになるのです。それなのに、その貴重な人材が一瞬で亡くなってしまった訳です。訓練に事故は付き物とはいえ、あまりにも残念だし、日本にとっての損失、国防の危機とすら言えるのではないでしょうか?

 それにしても防衛省は、というか日本政府はいつまで自衛官を単なる特殊公務員にしておくつもりなのでしょうか? 今回の事故がもし撃墜されたものだったら、二名の自衛官は名誉の戦死であって、靖国神社に祀られなくてはなりません。しかし、戦後の日本は平和だったという前提で万事動いていますから「名誉の戦死者」を出すなんてあり得ないということになります。もし今回の事故が事故でなかったとしても、防衛省は真相を公開しないでしょうし遺族も真相を知らされることはないでしょう。そんなことでこれから自衛官を目指そうという若者が果たしているでしょうか? 

 自衛官だけでなく警官や消防士など、危険を伴う任務に一身を捧げる者には、それに見合う名誉を与えるのが当たり前です。しかし戦後の日本は国家とは到底いえないので、その当たり前のことを放棄してきました。いつまでそんな偽善と欺瞞を続けるのでしょうか? 安部元首相は憲法に自衛隊を明記することを主張していましたが、自衛隊という名前自体が欺瞞です。なぜ「国軍」にしないのでしょうか? 自衛隊などという呼称は外国では通用しません。なにかボーイスカウトのような組織か、と誤解されるだけです。

 憲法改正は92項の削除か、あるいは「国軍」明記のどちらかにして下さい。

 

「緊急事態条項」は要注意!

 ブログランキングを始めました!クリックしてもらえると嬉しいです。


人気ブログランキングへ   



 「平和の祭典」とは真逆の、とんでもない事態が毎日、怒涛のように起きている北京。まあ、北京で五輪をやれば当然、こうなるだろうと予想はしてましたが、まさかここまで中国がやりたい放題をしてくるとは思いませんでした。IOC(国際オリンピック委員会)を買収しているから強気に出られるんでしょうね、きっと。ルールも何もお構いなし。ジャンプの高梨選手など本当に気の毒ですが、これを契機にして若者が中国という国の正体を少しでも感じ取ってくれたらそれは無駄な体験にはなりません。人権なんてハナからない国で競技をすればこういう目に遭うということを選手が学び、より逞しくなってくれたら、と願うばかりです。中共に性善説は通用しません。

 さて「二回接種すれば、もうそれで終わりだ」と信じ込まされていたワクチンですが、政府も自治体も3回目を当然のようにごり押ししています。これが終わったら今度は4回目、また少し経ったら5回目・・・いつまで続くんでしょうね、この茶番劇は。政府や厚生労働省が国民との約束を破ったのだから国民も政府の言いなりにならなくても良いのに、なぜか政府の言うことを信じる日本人が多いのに驚きます。便器よりも不潔なマスクを一日中、顔に貼り付けていて苦しくないのでしょうか? 苦しくないはずがありません。それでもマスクは「感染防止に有効」だと信じている人たちにしてみれば、マスクをしない人間は「裏切り者」「非国民」のように見えるんでしょうか・・・

 26日、北海道・釧路を950分に離陸し羽田に向かう予定だったAIRDO機に乗り込んだ呉市議会議員の谷本誠一氏がマスク着用を拒否したという理由で飛行機から降ろされるという事件が起こりました。谷本氏と同行の男性の二人は機から降ろされた後、釧路署でなんと二時間も(!)事情聴取されたというのですが、これ、本当なのでしょうか? この二人は何か犯罪を犯したのでしょうか?マスクをしないというのは「犯罪」なのでしょうか? もはや笑い話、いやしかし、これは怖い話でもあります。

 AIRDO側の言い分は「他の客に不快感や迷惑を及ぼす恐れ、または他の客の安全や健康に危害を及ぼす恐れがある」というものだそうですが、なぜマスクを着用しない人間が二人飛行機に乗っているというだけで、他の客が不快に思うのでしょうか? 他の客と席を離せばいいだけのことです。他の客にとっては飛行機が遅れることの方がはるかに迷惑でしょう。「他の客の安全や健康に危害を及ぼす恐れがある」という理由づけに至っては正気の沙汰ではありません。

 今回の事件と同様の事件は以前、何度も起きています。そういう際の航空会社の対応も今回と同じもので、この理不尽な対応はマニュアル通りなのです。これを指示しているのは監督官庁である国土交通省でしょう。国土交通省といえば、御存知、公明党の唯一の大臣ポストになっている官庁です。国民に対する人権侵害に相当する(と私は思います)対応を航空会社に指示しているのは公明党の大臣なのです。自民党は今夏の参議院選挙では公明党と選挙協力をしないそうです。それなら、国土交通省の大臣を公明党以外の人間に変えるべきです。そうしたら、少しはマシになるでしょう。

 マスクを着用することは国民の義務ではありません。法的な裏付けはなく、単なる「お願い」に過ぎません。それでも、マスクを着用しなかったというだけでこれだけの制裁を受けるのです。これで、もし憲法に「緊急事態条項」が入ったらどうなるのでしょうか? マスク着用を拒否したら罰金とか、収監されるという事態になるのではないでしょうか? 今、欧州で起きているのと同じことが日本でも起きるのではないでしょうか? 恐怖の管理社会につながるのではないか、という危惧を私は持っています。

 日本国憲法はそもそもGHQに押し付けられた「占領憲法」です。だから憲法改正は保守派の悲願でもあります。しかし、どの部分をどう変えるか、が問題です。92項の削除から自民党が逃げ、国民の反対がなるべく少なそうな「緊急事態条項」を入れる可能性があります。その場合、今、私たちが享受している言論の自由、移動の自由、行動の自由などが奪われる怖れがあります。そんな憲法改正なら、しない方が良いかも知れません。

 「憲法改正あり」ではなく、どこの部分をどう変えるか、に私たちは目を光らせるべきです。

 

 

もう聞けない「慎太郎節」

 ブログランキングを始めました!クリックしてもらえると嬉しいです。


人気ブログランキングへ   




 昨日(21日)、石原慎太郎氏が逝去されました。享年89歳。男性としては長寿であり、大往生だと思います。衷心よりお悔やみ申し上げます。

 日本のテレビや新聞が報じることに、あまり疑いを持たなかった頃のバカな私は石原氏に対してあまり良い感情を持っていませんでした。テレビや新聞が作り上げる「右翼政治家」「タカ派」「女性差別者」といったイメージが先行して、石原氏の話される中身に目を向け、きちんと聞こうという姿勢が足りませんでした。今、思えば彼が予言していた「日本の危機」は間違いなく存在していた訳ですが、それを国民がきちんとキャッチできないように左派メディアが印象操作していた訳です。彼らは、どこから指示されてそれをやっていたのでしょうか? 日本のメディアがどこの御用報道機関であるかも、今は徐々に明らかになっていますが。

 石原氏が提案した尖閣諸島を東京都が買うというアイデアに多くの国民が賛同し、15億円の寄付金が都に集まりました。しかし、その後、民主党政権(野田首相)が国有化するということになりました。その時、もっと反対すれば良かったと今、悔やんでいます。あの時、東京都の所有になっていたら、今の尖閣諸島の危機はもう少しマシなものになっていたのではないでしょうか? 民主党政権は国有化したと言いながら結局、何もしませんでした。石原氏がいくつか出していた具体案はどれも実行されませんでした。

その後、、自民党は「もし政権を取ったら尖閣諸島に公務員を常駐させる」と公約に謳いながら、それをしませんでした。史上、記録的な長期政権になった安倍政権でも、公務員の常駐どころか尖閣に船着き場を作ることすらできませんでした。自民党政権も決して民主党政権を批判できる訳ではありません。

 石原氏は個人的にはいくつかの弱点がありました。四人の息子さんを溺愛していらしたようですが、政治家というのは独特の個性であり、向かない人間が世襲で政治家になったら本人も大変だし、国民にとっては迷惑なだけです。今の政治家が与党も野党も二世、三世ばかりになってしまったことが、日本の政治が活気を失った原因の一つです。晩年には「日本維新の会」を橋本徹氏と共に立ち上げましたが、橋本徹のような人間を信用し、期待したのも間違いでした。

 もしかしたら石原さんというのは情にもろい、普通の日本人だったのかも知れません。それでも戦前の教育を受け、戦争を知っている日本人の気概と情熱というものを私たちに見せてくださった事は大きなことでした。三島由紀夫が去り、石原慎太郎が去った今、憂国の思いを熱く語る政治家はほとんどいなくなってしまいました。今の若い世代は政治家といえば「利権にさといだけのへらへらした薄っぺらな人間」だというイメージを抱くことになるのではないでしょうか?

 記者会見の席上で記者と一対一で向き合い、「君の考えはどうなんだ? 君の考えを言ってみろよ。俺の靖国参拝に賛成なのか、反対なのか、君の考えを言ってみろ」と堂々と言える政治家はもう出て来ないかも知れません。日本の歴史を大切にし、大衆におもねることなく堂々と持論を述べる教養人でした。

 石原さん、お疲れ様でした。有難うございました。

 

 

ブログランキングに参加しています

人気ブログランキングへ

愛国女性のつどい花時計
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ