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213日、マレーシアの首都、クアラルンプールの空港で北朝鮮の金正恩の異母兄である金正男が殺害されました。在マレーシア北朝鮮大使館関係者は金正男の遺体が解剖される前に遺体を引き渡すように求めていましたが、マレーシア当局は拒否したそうです。そりゃ、そうでしょう。自国の領土内で怪しい事件があれば遺体を解剖して調べるのは当たり前です。しかし北朝鮮大使館関係者は解剖するために遺体が安置されている病院の前に車4台で乗りつけて、なぜか病院に張り付いているそうです。この振る舞いの異常さから察するに、やはり北朝鮮の工作員が金正男を毒殺したのは間違いないでしょう。

 このニュースを聞いて思い出したのが、金大中拉致事件です。197388日、東京、九段のホテルグランドパレスに宿泊中だった当時、野党の政治家だった金大中氏が白昼、拉致されました。犯人が韓国の中央情報部(KCIA)の工作員だということは後に判明しました。工作員たちはホテルの部屋から出てきた金大中にクロロホルムを嗅がせ、意識が朦朧としたところを外に連れ出し、待たせていた車に押し込んだそうです。金大中は当時の大統領、朴正煕(現在の朴大統領の父親)の政敵でした。ちょっとした失言で朴正煕の機嫌を損ねた中央情報部長、李厚洛は、何とか名誉挽回に朴正煕の政敵である金大中を拉致、暗殺することを企んだわけです。それにしてもいやしくも国家の機関の一員(公務員)がヤクザ顔負けの暗殺を白昼堂々と、しかも他国の領土の中で行うというのは何という野蛮さでしょうか? とうてい近代国家とは言えません。北も南もやはり同じ民族なんですね

 さて明治時代、当時の知識人の誰よりも朝鮮に関心を寄せていたのは福澤諭吉でした。福澤が創設した慶應義塾では朝鮮からの正式な留学生の第1号として兪吉澹が学んでおり、福澤は兪を通じて朝鮮への理解を深め、ハングル文字の使用が朝鮮近代化と民衆の教化に必要と考えていました。その福澤が「朝鮮の近代化など到底、無理だ」と見切りをつけた(と見られる)「脱亜論」を書くに至った経緯をご存知でしょうか?

 事実上、中国(清)の属国だった祖国を独立させるためには日本の援助が必要だと考えた朝鮮の開化派の政治家、金玉均が政権打倒のクーデター(甲申事変)を起こしたのは1884年でした。しかしクーデターは清の介入で失敗し、わずか3日間の政権で終わりました。金玉均は福澤の弟子の井上角五郎らの助けで日本に亡命します。しかしやがて王妃、閔妃のはなった刺客に上海で暗殺されます。閔妃は金玉均の死体をわざわざ上海から朝鮮まで清の軍艦で運ばせます。

 いくら権力闘争をしていても政敵が死ねば普通はそれで終わり、です。しかしシナや朝鮮の権力闘争はそんな生やさしいものではありません。実に血なまぐさいものです。金玉均の遺体はバラバラにされ、胴体は川に捨てられ、首は京畿道の竹山、片手と片足は慶尚道、他の手足は感鏡道(今の北朝鮮)と、見せしめのためにあちらこちらにさらされました。金玉均に期待し、支援を惜しまなかった福澤の嘆きは深いものでした。福澤は朝鮮民族の野蛮さ、残酷さに激怒しました。

 朝鮮人は200年経っても何も変わっていません。民族性というものは100年、200年で変わるものではありません。もし金正男の遺体が北朝鮮に引き渡されれば、見せしめのために朝鮮の山河に野ざらしにされることでしょう。

 

 

 

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