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 428日は何の日だか知っていますか? 昭和27年(1952年)428日はサンフランシスコ講和条約が発効しわが国が「主権を回復した日」です。この日をもってGHQ(連合国軍総司令部)の長く不当な軍事占領が終わったんだ~!やった~! ということで本来は大変めでたい日のはずです。しかし未だに428日は祝日ではなく、政府主催の式典も行われていません。国民の中の有志が民間で式典を執り行っている状態です。これでは日本は本当の主権国家とは言えないのではないでしょうか?

 GHQによって占領されていた約7年(!)の間に日本の憲法は変えられ、教育基本法は変えられ、皇室典範も変えられました。いくら戦争に勝ったからといって相手国の法律を変えることは国際法違反です。野蛮国のやることです。だから本当は昭和27428日の翌日に、占領中に変えられた法律は無効にすべきでした。しかし7年の間に日本の政界も官界も教育界も顔ぶれが一変していました。GHQの「公職追放令」によっておびただしい数の指導的立場にあった人たちが職場を追われ、その隙間を埋めた人たちはGHQのお蔭でその職にありついた人たち(敗戦利得者)です。彼らはGHQが決めたことを覆すことはできませんでした。

 GHQによって押し付けられた憲法を変えない限り、日本は本当の主権国家とはいえないでしょう。そしてGHQが占領統治をスムーズにするために裁判という体裁を取っただけの「東京裁判」で「戦犯」の汚名を着せられた人たちの名誉を回復することもとても大切です。この人たちは単に裁判の体裁を整えただけの復讐劇の犠牲者なのですから。

 ノンフィクション作家、早坂隆氏が書いた『松井石根と南京事件の真実』(文春新書817870円)を読みました。松井石根(まついいわね)は「東京裁判」で南京で民間人に対する殺戮があったことの責任を問われてA級戦犯として絞首刑にされた人です。しかし松井石根は帝国陸軍の中でも屈指の中国通であり、陸軍の中で「シナ屋の長老」と呼ばれていた人でした。中国国民党の蒋介石と親しく、蒋介石に期待もし、結局、裏切られた人でもありました。

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 陸軍幼年学校時代の松井がもっとも影響を受けたのは川上操六でした。川上の思想はざっくりいえば「日本軍の存在理由は東洋の平和確保のため」というものでした。日本が将来、ロシアとの戦争を回避するのは困難であり、その備えとしてアジア全体の秩序を構築しなおすべき、そのためには日本とシナ(中国)との提携が必要、という考え方でした。川上は日本の安全保障のためにシナとの提携を主張したのだと思いますが、松井という人はより理想主義的にシナへの思いをどんどん深めていきました。南京攻防戦の最中、孫文の陵(中山陵)に対する攻撃を松井が禁じたことは有名です。孫文の陵以外にも寺などの歴史遺産に対する攻撃も松井は禁じています。そのような松井の命令のために砲撃が制限され、前線の部隊では思うように作戦を実施できず、日本側の被害が拡大するという事態を招きもしました。そのために部下の反発を招きもしました。

 このような人物が南京で民間人に対する虐殺を指示した、という理由で戦犯にされたのです。松井自身もさぞ驚いたことでしょう。このこと一つをとっても、いかに「東京裁判」がデタラメなものだったか、がよく分かります。

 「南京大虐殺はあった」「いや、なかった」という議論は何度も繰り返され、数多くの本が出版されています。しかし南京攻防戦の主役であった松井石根の存在はなぜかまったく語られません。松井の存在はタブーになっているのです。おそらく「南京大虐殺はあった」派の人たちにとって松井は存在してはいけない人物なのかも知れません。松井の生涯を知れば「南京大虐殺」など、あるはずないことが小学生にでも分かるからです。

 

 

 

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