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 「日韓基本条約」が結ばれたのは1965年ですから今年で締結52年になります。この約半世紀の間、日本にとって何か得したことはあったのでしょうか? 国家と国家が結んだ条約であるにもかかわらず、韓国は大統領が変わるたびに条約を守らず、前言をコロコロと翻してきました。「日韓基本条約」と同時に結ばれた「日韓請求権協定」では「個人の請求権はすべてこれを放棄する」と定められました。

我が国は1910年の日韓併合後、莫大な予算を組んで朝鮮半島に投資してきました。鉄道や道路、港湾設備などのインフラ整備は戦後、韓国が経済発展を成し遂げた土台になったはずです。朝鮮総督府が学校を作って人材を育成した結果、戦後の韓国の発展をささえた人材が育ったはずです。日本人が技術を教え、金銭的な援助を惜しまなかった結果、農業国であった韓国に工業が育ったのです。なのにお礼を言われるどころか、ありもしなかった「慰安婦の強制連行」などの悪口雑言を今も浴びせられています。何かと言えば「謝れ」「賠償しろ」と言われ、日本政府はそれに対してきちんとした反論をしてきませんでした。まったく損ばかり、さんざんな半世紀でした

 「日韓基本条約」は締結するまでになんと! 14年もかかっています。条件が互いに折り合わず、というか日本政府としては得することがないのですから、無理に締結することもなかったのです。それでも結局、締結することになったのには二つの理由があります。一つはアメリカの圧力、もう一つは韓国に人質をとられていたから、です。人質、というのは日本の漁民たちです。

 韓国の初代大統領、李承晩は19511月、海の上にある日突然「李承晩ライン」というものを引きました。もちろん目に見えるラインではないのですから、漁民たちはいつものように漁に出ます。すると「お前は李承晩ラインを超えただろ~!」と言われて韓国警備隊に拿捕され、釜山港に連行されたのです。そして拷問によって自白を引き出され、多くの漁民が有罪判決を言い渡されました。

 狭い獄中に20人も押し込められ、横になることもできないほどのすし詰め状態だったそうです。食事はカビの生えた麦や腐った魚など。こんな状態で何年も閉じ込められていた漁民は栄養失調になり、病死した者、餓死者まで出る惨状でした。「日韓基本条約」が締結されるまでに抑留された漁民は3,929名、死傷者は44名、被害総額は90億円といわれています。

 「日韓基本条約」締結後、囚われていた漁民の返還と交換条件で、日本政府は獄中にいた朝鮮人の凶悪犯罪者472人を釈放しています。その472名は朝鮮に強制送還されることもなく、そのまま日本に「特別永住者」として居座りました。その子孫が今も日本に「特別永住者」として住んでいます。

 平成32年度以降に導入される小・中学校の教科書の学習指導要領の解説書の全容が明らかになりました。そのなかに「領土周辺で日本の船舶の拿捕や船員の死傷者が出た事件」が書かれるそうですが、果たして「李承晩ライン」のことがきちんと教科書に載るのでしょうか? 文部科学省の英断に期待したいと思います。

 

花時計Q&A「竹島について」こちらもぜひ、ご覧ください!

http://www.hanadokei2010.com/faq_detail.php?faq_category_no=7

 

 

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