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 韓国では815日を「光復節(光が戻った日)」と呼び、毎年、盛大な記念式典が開かれます。なぜ「光が戻った日」というか、というと日本の過酷な植民地支配から解放された日だから、だそうです。しかし実際には、わが国がポツダム宣言を受諾して降伏したからといって、その日を境に韓国が独立できたわけではありません。統治者が日本からアメリカに変わっただけです。大韓民国の建国は1945年ではなく1948815日です。三年間、アメリカの信託統治下にあったわけです。

 日本が敗戦したことによって韓国は三年間の信託統治を経て棚からボタ餅的に独立したわけです。自力で独立したのではないのですが、事実をそのまま教えると韓国人の自尊心(?)が傷つくので韓国の教科書では「独立運動家が上海に集結し、大韓民国臨時政府を樹立して光復軍を組織、日本に宣戦布告して連合軍と連絡を取りながら独立運動を展開した。そして中国軍やイギリス軍と連合して日本と戦い、ついに光復を勝ち取った」と書かれているそうです。いつものことながら韓国人のファンタジー史観には驚かされます。

上海に「大韓民国臨時政府」があったことは確かです。しかし臨時政府を樹立した李承晩は日本統治の間、ずっとアメリカに亡命していて国内に支持者はほとんどいませんでした。李承晩はアメリカの後押しで韓国の初代大統領になりますが国民の支持は得られず、結局学生運動によって政権は倒され、再びアメリカに亡命することになります。日本の敗戦後、上海から帰国した金九は民族主義者で国民の支持もありましたが、帰国後、暗殺されます。李承晩がライバルである金九に刺客を放ったといわれています。

 朝鮮半島の統治に関してはアメリカとソ連の間で綱引きが行われ、朝鮮人の意思は無視されていました。アメリカは「朝鮮人に統治能力はない」と見ていました。朝鮮総督府によって保たれていた日本時代の秩序は崩壊し、朝鮮内部の右派と左派の対立が激化しました。19463月、ソウルで米ソ共同委員会が開かれ「民主主義臨時政府」の樹立が話し合われましたがアメリカとソ連の意見が合わず、決裂しました。朝鮮半島の指導者を選ぶ選挙も朝鮮全土で行うことはできず、結局、38度線の南のみで行われ、198名の国会議員が選出されました。

 朝鮮半島の伝統に「党争」というものがあります。同じ民族でありながら常に足を引っ張り合い、意見を一つにまとめることができません。それは李氏朝鮮の時代から今に至るまで変わらない朝鮮人の民族性そのものです。困ったときは外国に頼り、自力で問題を解決しようとしません。だから朝鮮半島はいつまで経っても統一できないのです。

 「日本の植民地時代は過酷だった」とか「日本に搾取された」とかいう嘘をいつまでも韓国が言い続けるのは、自力で独立できなかった負い目によるものなのかも知れません。悪いことはいつも日本のせいにしていれば、自分を直視しないで済むからかも知れませんね。

 

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