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 824日付けの朝日新聞によると「小池都知事は、91日に市民団体の日朝協会が主催する関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に都知事名の追悼文を送らない方針を決めた。東京都建設局の担当者は[毎年91日に都慰霊協会の主催で関東大震災の犠牲者全体を追悼する行事があり、知事が追悼の辞を寄せている。個々の追悼行事への対応はやめることにした]と説明した」そうです。この記事を読んで「えっ、関東大震災の犠牲者の追悼式ってそんなにいくつもあるの?」と不思議に思う読者は多いはずです。実は毎年、都立横綱公園で行われている関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式には都知事の名前で追悼文が寄せられてきました。石原慎太郎都知事の時代もそうでした。去年、小池都知事も「多くの在日朝鮮人の方々がいわれのない被害を受け、犠牲になられたという事件は、わが国の歴史の中でもまれに見る、まことに痛ましい出来事」という文面を主催者に送っていました。しかし今年はその慣例が見直された、ということです。

 大正12年(1923年)91日に起きた関東大震災の際、騒乱の中で罪のない朝鮮人が日本人自警団によって虐殺された、という話は長い間、真実のように語られてきました。しかし殺された朝鮮人の人数の根拠として語られてきたのは当時、上海にあった大韓民国臨時政府の「六千人の朝鮮人が虐殺された」という調査結果です。地震直後の大混乱の中で上海にある臨時政府が一体どうやって黒焦げの遺体を「これは朝鮮人、これは日本人」と見分けることができたのでしょうか? 関東大震災の朝鮮人犠牲者の大半が地震と火災による死者であることはいうまでもないことです。それを「すべて自警団による虐殺」と断定する主宰者の主張に都知事が追悼文を寄せることによってお墨付きを与えてきたのはおかしいし、今回、小池都知事が見直しを決めたのは良かったと思います。

 ノンフィクション作家の工藤美代子さんの著書『「朝鮮人虐殺」の真実』によれば、地震発生直後、朝鮮人が放火や強姦、強盗、略奪などをはたらいたという「デマ」を流したのは当時、警視庁官房主事で、のちに読売新聞社社主となった正力松太郎だったそうです。正力松太郎は当初、新聞記者たちに「朝鮮人が地震発生直後、各地で悪事をはたらいている」と語りましたが、のちにそれを打ち消しています。その背景には当時の内務大臣兼帝都復興院総裁だった後藤新平の正力松太郎への働きかけがあったそうです。

 後藤新平が恐れていたのは自警団によって抑え込まれた朝鮮人の一部過激派が天皇暗殺を企てることでした。というのも大正8年(1919年)、上海に大韓民国臨時政府が結成されて以来、独立運動家によるテロがしばしば起きていたからです。上海で、北京で、平壌や京城(今のソウル)で爆弾テロが頻繁に起きていました。警察署が襲撃されたり鉄道の爆破計画が発覚したりしていました。そんな社会の雰囲気の中で、過激派による報復を後藤は恐れていました。大正131月に「義烈団」メンバー、金祉燮が皇居、二重橋爆破未遂事件を起こし、朝鮮人アナーキスト、白貞基が昭和天皇暗殺計画を立てていたことからも、後藤の心配が決して杞憂ではなかったことが分かります。

 大正時代というのは大正ロマン、大正デモクラシーという言葉で語られる反面、テロが横行していた時代でした。そんな不穏な空気の中で関東大震災が起きたという背景をまず知るべきだと思います。震災を政治的に利用するのではなく、すべての犠牲者をしずかに悼む雰囲気で今年の91日が迎えられるといいな、と思います。

 

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