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 今日は128日です。76年前の今日、ハワイ、真珠湾の米太平洋艦隊の基地を攻撃することによってわが国は日米戦争を始めました。戦争に負けたことによって、戦後、アメリカによってこの戦争は「太平洋戦争」と呼ぶことを日本人は強要されましたが、本当は「大東亜(東アジア)戦争」と呼ぶべきです。戦域は太平洋だけでなく東アジアの広範囲な地域だったのだし、戦争の目的の一つが大東亜共栄圏の実現だったからです。

 戦後72年経った今でも、大東亜戦争は日本にとって「無謀な戦争だった」と言われつづけています。そして開戦の決断をした軍部は「愚かだった」と繰り返し、貶められつづけています。しかし、なぜそんな愚かな決断を私たちの先人はしたのでしょうか? 当時の日本の指導者はそれほど無能で無責任だったのでしょうか? そしてなぜ陸軍は「愚かだった」と非難されるのに、海軍は「開明的だった」と評価されているのでしょうか? 東條英機は本当に愚将だったのでしょうか? 山本五十六連合艦隊司令長官は本当に名将だったのか? そのような疑問を持った一人の研究者が一冊の本を著しました。『日米開戦―「秋丸機関」の最終報告書』(祥伝社新書429800円)です。著者は長年、日本の近現代史研究に取り組んでこられた林千勝氏です。

 林さんが「秋丸機関」と呼ばれた研究班の存在に気が付いたのはほんの偶然だったそうです。昭和16年(1941年)81日、アメリカは対日全面禁輸措置を打ち出し、イギリス、オランダもそれに追従しました。当時の日本は、石油はなんと9割をアメリカからの輸入に頼り、それ以外の国民生活に必要な物資も多くをアメリカに頼っていました。それを止められるということは、国民の最低限の生活すら立ち行かないということを意味します。これは日本に対する宣戦布告と同じです。こと、ここに至って帝国陸軍は戦争に突入した場合のシミュレーションをせざるを得なくなりました。そして戦争と経済は一体であるという認識のもとに、経済的側面からの戦争戦略を練る機関を作りました。それが「秋丸機関」でした。秋丸次朗中佐という人がリーダーだったからです。

 秋丸次朗は昭和7年、陸軍経理学校をトップで卒業したあと、東京大学経済学部で三年間、学びました。満州に渡り、関東軍参謀付きの経済参謀として満州国経済建設の主任をしていました。昭和14年、つまり日米開戦の二年前に秋丸中佐は満州から呼び戻されて新しい任務を任されます。来るべき日米戦争に備えて敵国の経済力、戦力を詳細に分析して相手の弱点をつかみ、日本の経済力、戦力の持久度を見極める、という恐ろしく重要な任務でした。

林千勝
 この本の第一章は数字や表が多く、退屈に感じる読者もいるでしょう。これは「陸軍省戦争経済研究班(秋丸機関)」の報告書をそのまま読者に見てもらおう、という林氏の考え方の表れだと思います。報告書を読者が読みながら当時の陸軍省内部でどのように開戦が決断されていったのか、という過程を追体験する、というのが本書の仕掛けです。

 第一章を読み終えれば第二章「帝国陸軍の科学性と合理性が、大東亜戦争の開戦を決めた」は楽に読めることでしょう。そして第三章「山本五十六連合艦隊司令長官が、大東亜戦争を壊した」で衝撃の事実が明らかになります。もしこれが事実なら、これまで大東亜戦争を論じ、陸軍を断罪してきた歴史学者や作家の視点は180度、覆ることになります。

 「陸軍が暴走して戦争を引き起こした」「国民は軍部に騙された被害者だった」と信じている人に是非、読んでもらいたい一冊です

 

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