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「義和団事件」と聞いてもすぐにピンとくる人はあまり多くないでしょう。「北京の55日」というハリウッド映画を見た人はよく知っているかも知れませんが、映画は残念ながら日本人を中心に描かれてはいません。「義和団事件」は明治33年(1900年)に起きた、当時、世界を揺るがすほどの大事件でした。社会が混乱期にある時、中国ではよく起こる民間信仰の宗教団体による反政府暴動でしたが、それが反政府暴動から外国人排斥へ、キリスト教徒排斥へと膨れ上がってゆきました。

 日清戦争で日本が勝利し、中国(清)は欧米列強に土地を切り売りするような形で分割されつつありました。「租界」と呼ばれる外国人居住地域に各国の役人や商人が住みつき、キリスト教の布教が認められて教会の力がどんどん強くなっていました。しかし宣教師の横暴な振る舞いに反感を持つ清国人とのトラブルも多く発生していました。そんな時代背景の中で「義和団事件」が起きます。清朝末期、皇帝はいたものの実権は皇帝の叔母に当たる西太后が握っていました。

 自国の暴動なのですから本来、清が責任を持って鎮圧するべきです。しかし信じられないことに清国軍は義和団の力を抑えられず、積極的に介入することを避ける有様。援軍もなかなか到着せず、欧米列強の公使や家族、計11か国、925人は狭い場所に籠城し、絶体絶命の危機に陥ったのです。

 約二か月間にわたる、手に汗握る籠城戦を描いた『黄砂の籠城』(上下 講談社文庫)を読みました。探偵もので多くのシリーズを持つ人気作家、松岡圭祐が初めて手掛けた歴史小説です。小説なので登場人物は架空の人物ですが、主役の上官にあたる柴五郎は実在の人物です。

 柴五郎は「義和団事件」で一躍有名になり、のちに何冊かの本を著しています。もっとも有名なのが石光真人編著による『ある明治人の記録』(中公文庫)です。幕末の会津若松藩藩士の家に生まれた柴五郎は戊辰戦争で祖母、母、姉妹を亡くしています。賊軍側にいたわけですが、成長して陸軍幼年学校に入学します。「義和団事件」の時は陸軍中佐で、日本公使館付き駐在武官でした。

 日清戦争に勝ったとはいえ、欧米列強の中で唯一、有色人種である日本人は北京の外国人社会の中では低く見られていました。籠城戦を共に戦うといっても言葉の壁もあり、人種的偏見もあってなかなかうまく行きません。白人国家同士もそれぞれ自国の利益を主張するばかりで、団結して義和団と戦う、という機運が盛り上がりません。そんな中、冷静沈着で淡々と情報収集に励む柴五郎は徐々に周囲の尊敬と信頼を集めてゆきます。

 初代駐日イギリス大使、サー・クロード・マックスウェル・マクドナルドはのちに公の場で「日本人こそ最高の勇気と不屈の闘志、類まれなる知性と行動力を示した、素晴らしい英雄たちである」と述べています。やがて日英同盟が結ばれ、それが日露戦争の勝利につながったことを考えると、柴五郎と日本軍の果たした役割がいかに大きかったか、よく分かります。

 血湧き肉躍るエンターテインメントとして読んでも十分楽しめる一冊です

 

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