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近衛文麿、と聞いてあなたはどんなイメージを持つでしょうか? 近衛家は日本の五摂家の筆頭の家柄です。五摂家というのは藤原不比等の息子、藤原房前の末裔である藤原北家が五つに分かれた近衛、九条、一条、二条、鷹司の各家をいいます。歴代天皇の皇后は五摂家から選ばれることが多かったです。近衛家といえば日本の名門中の名門、といって良いでしょう。近衛文麿はその毛並みの良さと敗戦時、潔く自決した宰相というイメージから一般に「悲劇の宰相」のような受け止められ方をしているのではないでしょうか? しかし、もし近衛文麿の死が自殺ではなかったと仮定すると、人物像はまったく違って見えてきます。

 皇室の親戚の家柄に生まれ、本来なら皇室の藩屏にならなければならないはずの近衛文麿が実は共産主義者だった・・・これだけでも十分驚きますが、さらに意図的に日本を敗戦に追い込み、敗戦後の日本で革命を起こそうとして暗躍していたという衝撃的な本『近衛文麿 野望と挫折』(ワック出版・2300円)を読みました。もしこれが本当なら、日本の近現代史の定説は根底から覆されることになります。日本史における歴史的な重要性だけでなく、近衛文麿という一人の人間を追った評伝としても読めるし、推理小説のようなスリリングな面白さも味わえる、画期的な本です。

 近衛文麿にもっとも近い存在だったとしてこの本で描かれているのが尾崎秀実と風見章です。尾崎秀実はゾルゲ事件で逮捕され、死刑になった朝日新聞の記者です。風見章も共産主義者として有名なのですが、戦後の日本で風見が果たした役割は意外と知られていません。

 風見章は昭和27年の衆議院選挙で「平和憲法擁護」と「日中・日ソ国交回復」を公約として立候補し、当選します。昭和28年の国会では風見が音頭を取って「日中貿易促進の決議」が採択されました。このころから国会議員を率いて訪中団を結成し、中国共産党との交流の日本側窓口になります。昭和29年、「憲法擁護国民連合」代表委員に就任。昭和30年には社会党に入党。さらに「日ソ協会」副会長、「日中国交回復国民会議」理事長に就任します。昭和32年、風見章はモスクワでフルシチョフ第一書記と会い、すぐに北京で周恩来首相と会い、さらに平壌で金日成主席と会見し、くわえてベトナムに招待されてホー・チミン主席と会ったそうです。なぜ風見はこんな大物と次々と会うことができたのか、どこに行っても歓迎されたのはなぜなのか・・・そんな疑問もこの本を読むと次第に分かってきます。

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最近、歴史の専門家ではなく、畑違いのお仕事をしながら日本の近現代史の探求を続ける在野の研究者が増えてきましたが、この本の著者である林千勝氏もそのお一人です。林氏は東大経済学部を卒業後、みずほ銀行に入社なさいます。現在、不動産投資開発会社の役員だそうですが、『日米開戦陸軍の勝算』につづいて既に二冊目の著書を上梓なさいました。

歴史学会や大学の指導教授の縛りから自由でいられる在野の歴史家の手によって、ようやくシナ事変や満州事変、大東亜戦争の真相に迫る本が読める時代になったのかも知れません。そう考えるとワクワクしますね~

 

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