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 フィリピンのマニラに旅行した時、ある教会で偶然、一枚の絵を見ました。一見して武士と分かる甲冑をつけた男が少女の指に針を刺して拷問している様子を描いた絵です。しかし、戦国時代の武士と見られる男が少女を拷問する場面がどうして絵に描かれているのか、なぜその絵が教会にあるのか、よく分かりませんでした。しかしカトリック教会が日本を敵視していた時代がかつてあったのだ、ということは何となく分かりました。

 フィリピンという国名から分かるように、フィリピンはスペインによって征服され、スペインの植民地にされました。だからフィリピンは今でもほとんどがカトリック教徒です。スペインやポルトガルは今はヨーロッパの一国に過ぎませんが、かつては世界制覇を夢見たこともある大国でした。大航海時代、彼らはアジアやアフリカにまで出てゆき、未開の地に文明をもたらすことは自分たちの使命だという勝手な思い込みで侵略を繰り返しました。その尖兵となったのがカトリックの宣教師でした。宣教師は布教を名目に現地に入りこみ、現地の情報を集めて本国に知らせていました。その情報はやがて来る軍隊が現地を制圧するのに非常に役に立ちました。

 イエズス会の宣教師は日本へもやって来ました。日本の教科書には彼らが平和の使者であるかのように美化して書いてありますが、彼らの目的は日本人を油断させて、やがては日本を制圧することでした。最初はキリスト教に興味を持ち、南蛮渡来の品々に興味を抱いた豊臣秀吉ですが、彼らの目的が布教ではなく貿易であり、自分たちは文明国であるといいながら奴隷貿易に手を染めることを恥じないことに驚愕しました。

 日本は歴史上、奴隷を持たない国です。古代には奴婢という階層もいましたが、奴婢にも土地が与えられていました。しかし当時の大国はみな、当たり前に奴隷貿易を行っていました。白人は自分たちよりも進んだ文明を持っていると当時の日本人は思いこんでいましたが、実際に白人を見てその人種差別のひどさ、残酷さに愕然とし、恐怖を抱きました。天正15年(1587年)、秀吉は「宣教師追放令」を発布しました。その中には、ポルトガル商人による日本人奴隷の売買を厳しく禁じた規定があります。秀吉は日本人を守るために宣教師を追放したのです。これでもキリシタンは弾圧された被害者だったのでしょうか? なぜキリスト教が禁止されたのか、その背景をよーく考えなければなりません。

 ユネスコ(国連教育・科学・文化機関)の世界遺産に長崎と天草地方の「潜伏キリシタン」が登録された、というニュースが630日、流れました。現地の人たちは観光客が増えるということで喜んでいるようですが、このことがキリスト教のプロパガンダに悪用されるのではないか、と思うと心配です。これから長崎などに(おそらく)建てられる博物館や碑の説明文などに目を光らせて、間違った歴史が世界中に広まらないようにしなければなりません。

 観光客が落とすお金はほんの一時のものですが、日本の歴史がもし歪曲されたら、それを正すのには何十年も、あるいは何百年もかかるのです。

 

 

 

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