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元朝日新聞記者の植村隆氏が平成3(1991)年に書いた、韓国人の元慰安婦に関する記事をジャーナリストの櫻井よしこ氏が「事実に基づかない意図的な偏向記事」「捏造記事」だと批判していたことに対し植村氏は平成27年、「名誉棄損だ」と提訴していました。裁判は長く続いていましたが1118日、ようやく最高裁の判決が出ました。最高裁は一審、二審の判決通り、植村氏の控訴を退けました。植村氏の敗訴が確定しました。慰安婦の強制連行は事実無根で結局、朝日新聞が作り上げたものであることが改めて判明したわけです。

 1991年8月11日、植村元記者が書いた「元従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」という記事は当時、大スクープとして話題になりました。これまで噂でしかなかった「慰安婦の強制連行」はやはり事実だったのだ、と読者は衝撃を受けました。植村記者の記事の出だしは「日中戦争や第二次世界大戦の際『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人がソウル市内に生存していることが分かり『韓国挺身隊問題対策協議会』が聞き取り作業を始めた」となっています。その3日後、「元慰安婦だった」と称する金学順という人物が記者会見を開きました。初めて元慰安婦が名乗り出たのです。彼女が何を語るか、日本のメディアも韓国のメディアも注目していました。ところが金学順は会見で「母親によって妓生(キーセン)の養成所に売られた」「17歳の時に検番の養父に慰安所に連れて行かれた」と言い、「女子挺身隊として強制連行された」とは言わなかったのです。植村記者の記事の内容と食い違っています。

8月11日の記事が「朝日新聞ソウル支局植村隆」の名前で配信されていますが、これもおかしいです。植村はこの時、大阪支局社会部の記者だったからです。つまり植村は8月14日に記者会見があることを予め知っていて、それに合わせて11日の記事を書いたと思われます。

 植村記者がなぜ記者会見があることことを知っていたのか、ということは後に判明しました。約四か月後の12月6日、金学順ら三名の元慰安婦を含む32名の原告が日本政府を相手取って慰安婦に対する損害賠償を求める初の裁判を起こしたのです。この裁判を支援していた「太平洋戦争犠牲者遺族会」の幹部、梁順任は植村隆の妻の母親(義理の母)でした。つまり植村氏は自分の身内が関わる裁判を原告側に有利に進めるために記事を書き、しかも金学順の証言にもない内容を勝手に付け加えたことになります。これは事実の歪曲というよりは捏造でしょう。植村が捏造記者だという櫻井よしこ氏の指摘は間違ってはいませんでした。

 そもそも「女子挺身隊」というのは慰安婦とは何の関係もありません。男性が出征し、内地が人手不足になったので女学生が学業を一時中断し、軍事工場などで勤労奉仕することです。当時は朝鮮も日本の一部ですから女性が徴用されてもおかしくありませんが、軍需工場があまりない朝鮮半島では女性が勤労奉仕に駆り出されることはほとんどありませんでした。女子挺身勤労令」は1944(昭和19)年8月に公布されていますが、半島では実際には志願制でした。植村氏の記事は「女子挺身隊」と慰安婦を混同して書いているのか、あるいは読者に混同させようとしているような印象を受けます。

 植村記者の記事のせいで日本の国益が著しく失われました。各地に「慰安婦の像」と称する醜悪な像が建ち、像はアメリカやドイツにまで建てられてしまいました。現地に住む日本人の子弟が韓国人にいじめられたり、学校で嫌な目に遭うという悲惨な目に遭わされました。日本の軍人の名誉は傷つけられ、それはもう取り返しのつかないことです。植村氏はこれから一生かかって、自らの犯した罪を償うべきです。

 新聞の記事というものに日本人は信用を置き過ぎだと思います。ジャーナリストは真実を追求すべきものですが、残念ながら真実をゆがめるジャーナリストが多いのも事実なのです。記事を読む側がそれを鵜呑みにしないように警戒する必要があります。

 

 

 

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