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16日、韓国の『朝鮮日報』が「知韓派、河村建夫議員 今月末に政界引退」と報じました。自民党の河村議員が次の衆議院議員選挙への出馬を見送り、事実上の引退を決めた、という記事です。記事は「河村氏は日韓議員連盟の幹事長を務めるなど、日本の政界では代表的な知韓派議員として知られ、両国関係が困難な状況にある時にもメディアの前で韓日交流や友好増進などを訴えてきた」と河村氏の政界引退を惜しんでいます。河村建夫が韓国にとっていかに重要な人物であったかがよく分かります。「日本の政界では代表的な知韓派議員として知られ」なんて書いていますが、日本人で河村建夫が知韓派議員だということを知る人は多くないでしょう。そもそも「知韓派議員」ってなに? という反応をする人がほとんどでしょう。

 韓国では「知韓派」、つまり韓国に詳しい人、韓国に友好的な人、という言い方をしますが日本語では「親韓派」という意味です。自民党には「親韓派議員」が多い事は確かで、日韓議員連盟も発足当初はほとんどが自民党議員でした。そのことを理解するには時代背景を知る必要があります。日韓議員連盟の前身である「日韓議員懇親会」が発足したのは冷戦真っただ中の1972年でした。1975年に「日韓議員連盟」と改称。ソ連など共産主義国に対抗するために日本と韓国を団結させようとするアメリカの意向によって出来た組織でした。当時の韓国は反共産主義を標榜する国で、軍事政権でした。しかし時代は劇的に変わりました。

 韓国にとっての民主化とは共産化であり左傾化でした。文民政権になってからの韓国は北朝鮮や中国に擦り寄り、本来、大切にしなければならない日本との関係を軽視するようになりました。朝鮮半島の赤化統一を諦めない北朝鮮の執拗な工作活動によって韓国人自体が変質しました。文在寅大統領は15日に岸田総理大臣と初の電話会談をしましたが、そこでも相変わらずの暴言を吐きました。本来、首相になった岸田氏に祝辞を述べることが目的の電話会談のはずです。しかし、またもや慰安婦問題を持ち出し「生存している被害者のお婆さんが13人であるため、解決のための時間が多くない」と言いました。そもそも慰安婦は「被害者」ではないし、慰安婦問題は日韓合意で決着済みではないのでしょうか。岸田首相は日韓合意の時の外相ですから、さすがに腹が立ったのか「日韓関係は引き続き厳しい状況にある。健全な関係に戻すため、韓国側に適切な対応を強く求める」と返したそうです。こんな人間が大統領をつとめる国と「健全な関係に戻す」なんて、これからも無理でしょうね。

 日韓議員連盟という組織は冷戦時代の遺物であり、本来なら冷戦が終了した時点で消滅するべき組織でした。しかし日本では、いったんできた法律を変えることも、いったん成立した組織を消滅させることも至難の技です。かくして日韓議連は単なる「お達者クラブ」として生き残りました。韓国の国会議員と定期的に会合を重ね、飲食をし、ゴルフをして交流するだけの組織になり果てました。単に税金で遊ぶだけならまだしも(それでも腹が立ちますが)韓国側の「要望」を聞く、まるで御用聞きのような組織でした。河村建夫は頻繁に韓国を訪れ、韓国側の日本政府に対する要望(というか勝手な妄想)をそのまま伝えていました。

 2007117日、在日本大韓民国民団(民団)が主催する「永住外国人に地方参政権を! 117全国決起大会」に河村氏は参加し、「この問題に取り組んでいきたいのでここに来ました。私ども日韓議員連盟の合同総会ではちゃんとやろうと決議していて、要望書をきちんと福田康夫総裁に渡し、実現へ全力をあげることを強く求めて行きます」と挨拶しています。日本の国会議員ならまず外国人に参政権を与えるべきなのかどうか、という問題意識を持つべきです。こんな議員が自民党にはたくさんいるのですから、これでよく外国人参政権法案がこれまで国会を通過しなかったものだ、と怖くなります。

 今回、河村氏が引退を表明したのは選挙区の事情によるものですが、一つの時代の変わり目を象徴する出来事だったような気がします。韓国はもはや西側陣営の国とはいえない状況になっています。在韓米軍の撤退もささやかれています。今なら日韓関係を根本的に見直しても、アメリカも文句を言わないでしょう。いくら助けてあげても感謝をしない、礼儀をわきまえない国をいつまでも「友好国」扱いする必要はないと思います。