はないかだ43 Jtrim作品 7色額縁


額縁の背後に 虹色の超新星をおいて

268-完3
268-完-2








268-完

はないかだ43 旅 高野山 吉野山へ

高野山 吉野山への旅      2018.4.10.11

吉野山の満開の桜の写真を見る度に、いつかは行ってみたいと思っていた。

昨年 桜井市にある談山神社を訪れた際、吉野山へ車で20分と書かれた立て札が 確か立っていた。意外と近いんだと心に残った。談山神社は飛鳥時代、藤原鎌足が国政を立て直そうと中大兄皇子と大化の改新の相談をした神社と言われている。

今年になって ツアーのパンフレットを見ていたら、表記のツアーの募集が出ていて、早速申し込んだ。

この春は暖気の訪れが早く、桜の開花も早まりそうだった。日程を早めに変更しようとしたが、かなわなず 仕方なく初めの日程通りで出発した。残りの花が少しでも咲き残っていればいいが と心中祈りながら。

慈尊院バスが最初に連れて行ってくれたのは、高野山の麓にある慈尊院という寺であった。そこは女人高野とも言われる寺である。なぜなら、高野山にこもって修行する息子空海に会いたさのあまり、空海の母がわざわざ四国善通寺から、高齢を押して訪ねてきた。しかし、高野山は女人禁制なので、入山が叶わず止む無く慈尊院に滞在していた。それを伝え聞いた空海は高野山から、20キロ離れたこの慈尊院まで 月に9回も母に会いに山を下りて来たという。それ故、その寺のある町を九度山町と言う。


九度山
 どこかで聞いたことがある地名だと思っていたら、一昨年のテレビドラマで真田幸村をとりあげた際、真田親子が戦に敗れて隠れ住んだところでもあった。町ではその幸村にちなんで町おこしをしているということである。

 

高野山は人口わずか3人という寺一色の町で さすが聖域といった雰囲気にあふれたところであった。まず、奥の院に参る。門を入ると、広い敷地を持つ大企業の墓地が建ち並ぶ。奥に行くに従い、昔の武将やら歴代天皇の墓などがある。高野山は真言宗ではあるが、宗派を問わず、弔ってくれるということで、親鸞上人の墓などもあった。

行燈
 最奥に弘法太師御廟があり、そこは撮影禁止であるが、ガイドの案内に従い説明を受ける。私が珍しいと思ったのは、天井一杯に行灯というかランタンが吊り下げられていることであった。信者の奉納したものらしい.

 
高野山は一帯が針葉樹に覆われた山である。中でも有名なのは高野槙という樹木で、墓に供えられているのは生花ではなく 高野槙の枝である。生花はじきに枯れてしまうが、槙は枯れにくいからだという。

 

壇上伽藍という境内には、大きな多宝塔があった。成田山にあるのが日本一を誇る大きさだそうで、ここの塔はそれに次ぐ大きさであるとのことであった。また境内には、三鈷の松があった。空海が遠い唐から、三鈷を放り投げたら、落ちたのがこの高野山であったと伝えられ、それ故 ここに寺を開いたのだという。また、そこに生えた松を三鈷の松と称している。松葉は普通2葉であるが、まれに3葉のものがあるらしい。それを見つけられたら、幸いが訪れると言い伝えられているという。

   IMG_0546
宿は宿坊であった。門構え、玄関が立派である。閑院宮家の菩提所でもあるとのこと。部屋は少々粗末であったが、風呂は改装したものらしく新しくて気持ち良かった。食事は 夕朝とも 宿坊故 精進料理である。胡麻豆腐 野菜の天ぷら 麩の煮物などである。時節柄 筍料理も出た。

精進料理夕








 驚いたのは、外国人の宿泊客が多いことだった。私達グループ以外は全部外国人である。個人客もあり、グループ客もいる。グループ客は 顔だちも違い 話す言葉も英語でないと思ったら、メキシコからの客たちであった。宿坊は 朝 和尚の読経がある。メキシコ人たちも多数座していた。読経の後の説教を 日本人のガイドが英語に訳し、更にメキシコ人ガイドがスペイン語なのか別言語に直して、説明していた。ここまで 外国人観光客が押し寄せてきているんだと改めて実感した。

      

翌日は 吉野山に行った。桜は 大方咲き終わっていたが、道筋に咲きの遅い八重桜やら枝垂れ桜が あちこちに咲いていた。金峯山寺(きんぷさんじ)は 吉野山の中心的な寺らしい。丁度 護摩焚きの行事がある日に当たり、修験者姿の人達がお経を唱えたり 護摩をたいたりしているさまを目の前で見ることができた。特別御開帳だという3体の権現様も拝むことができた。

                       

IMG_0572
 行者が蔵王権現のお姿を山桜の木に彫刻したことから、山桜がご神木として保護されることになり、桜の名所となったという。吉野山は峰に沿って 下千本 中千本 奥千本に分かれているが、中千本にある竹林院には、秀吉が吉野観桜の宴を開いた際に 千利休が築庭したと言われる石 池を配置した見事な庭園があった






一目千本

竹林院


 吉野山には 歴史的事象に基づく数々の建造物遺物が多い。吉水神社には、日本最古の形式と言われる書院があり、義経が頼朝の追討から逃れ、静と共に隠れ住んだ所であり、また後醍醐天皇が南朝の皇居としたところでもある。岬のように突き出たところに建てられており その入り口からの眺めは 有名な一目千本であった。そこからの眺めは、桜が既に咲き終わっているものの、芽だしした葉の色だろうか、ほのかに赤い色の樹木がずーっと奥の院まで続いていた。満開時には 見事な桜の連山になるのが、うなずかれた。






 

 

今回のツアーは 添乗員の他にガイドも付くツアーであったので、時間的制約が付くのが難点ではあるが、詳細な歴史上の話も聞けて、非常に有意義であった。個人で行ったのなら、慈尊院 九度山のことなど見逃したりしたであろう。また 空海は生前の名、没後の呼称が弘法大師であることなどの知見を得た。

 

 

はないかだ43 Jtrimでハート型に写真を埋め込む

JTrimで ハート型を作り、それぞれに画像をはめてみました。
六義園の夜景を
六義園 

東京ドイツ村を東京ドイツ村









房総 千倉の花たちを
ハート4つ-4