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東京上野の国立科学博物館で開催されているラスコー展を見てきました。
ラスコー洞窟の壁画は、今から2万年前にクロマニョン人によって描かれたものです。1979年に世界遺産に登録されています。現在は、壁画を保護するために洞窟は閉鎖されていて実物を見ることはできません。展覧会では最新テクノロジーを駆使して、完全に近い形で再現された壁画を見ることができました。

本当に洞窟の中にいるような演出が施されていて、なかなか臨場感に溢れたものでした。ライトアップされた絵が幻想的に浮かび上がる演出など、現代的な手法が活用されていて壁画の全体像がつかみやすく、エンターテイメントとしても楽しめる内容になっていました。でもやっぱり実物を見てみたかったですね。



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洞窟内に描かれた壁画を初めて見つけたのは地元で生活していた子供だったそうです。洞窟の壁面には様々な鉱物があり、自然な状態でも多くの色が交じり合って見えるはずなのに、そこに絵が描かれていると気づいたわけですから、その観察力には驚きます。子供の眼はさすがに鋭いですね。大人は洞窟の壁面には関心がなかったのでしょうか。それともいつも見てはいたけれど気づかなかっただけなのでしょうか。



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壁画を描く顔料として、天然の石や粘土を砕いたりすり潰したりして作った天然原料の絵具が使用されていました。赤、黒、茶色、黄色などの色があります。水や油などに溶かして作ったのでしょうか。今に至るまで消えないほど耐久性のある顔料が作られていたとは驚きますね。インクの発祥を見るようで大変興味深いです。

水に浸されたり地震等で壁面がゆがんだりすることもあったはずなのに、ここまで長大な時間を経ても壁画の形が保たれてきたのは天然原料の耐久性によるものなのでしょうか。自然の力に驚異を感じずにはいられません。

壁面に顔料を塗り付ける方法としては、指や動物の毛、スタンプ、吹き付けなどがありました。また線刻するための道具には彫器と呼ばれる石器が使われました。以降、石器の多様化が進むようになると、石のほかに動物の骨やトナカイの角、象牙などの素材を活用した道具が発明されました。これらは壁画を描くだけではなく、石板への彫刻に使われたり、ビーズやペンダントなどのアクセサリーにもなりました。装飾品の始まりですね。
模様を刻んでいく作業では、硬い石より弾性に富む角や骨のほうが彫りやすかったとされています。骨に穴を開けて作られた笛も展示されていました。この時代から音への意識が芽生え始めたのでしょうか。絵だけではなく音によっても感情や意思が表現されていたのだと推測します。

獲物を捕るための道具も作られるようになり、小石刃や角製槍先といった狩猟具が使われました。襲ってくるホラアナグマから身を守るための護身用にも用いられました。展示物で見たものも、どれも鋭く刃先が研磨されていて精巧な形をしていました。洞窟の中にまで入ってきたクマに襲われるようなことがあったのでしょうか。毎日の生活自体が命がけだったんですね。


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暗い洞窟の中で壁画を描くには灯りが必要です。洞窟内を明るく照らすために使われたのは、岩を削った石のランプです。石の窪みに動物の脂を置いて火を灯しました。獣脂と言われるものが火をおこす燃料です。石の中にネギノキという小枝を芯として入れていたようです。こうして暗闇の中に明るさを確保していたのです。
赤色砂岩製のランプは丁寧に作り込まれていることで有名みたいです。


ラスコー洞窟には複数の通路と部屋があり、多くの壁に壁画が描かれています。すべてつなぐと約200ⅿもの長さになるそうです。洞窟の奥のほうまで入っていって描いていたんですね。ただ、普段は入り口付近を生活の場としていて奥のほうまで入っていくことはほとんどなかったようです。

壁画に描かれているのは牛、馬、鹿、バイソンなどの動物が多いようですが、動物以外に描かれたものがあったのかどうか興味があります。展示の中で見たのは動物だけだったように思いますが気になるところです。
もしかするとまだ公開されていない壁画の中に、空や地平線などの風景や植物、人物像などもあるのかもしれないですね。

日々、狩猟することで自分たちの命をつないでいたわけですから、クロマニョン人にとって動物というのは最大の関心の対象だったのでしょう。彼らの記憶の中における存在の大きさを物語っているように思います。
捕らえた動物を洞窟の中まで運んできて、獲物を眼の前にしながら壁画を描いたのでしょうか。おそらくそうではないだろうと思います。記憶を頼りに描いたに違いありません。動物がすぐ眼の前にいないにもかかわらず、はっきりと輪郭をとらえて描くことができたのは、毎日同じ動物と対面し格闘することが彼らの日常であったからこそなのでしょう。
展示の解説文の中にこのような一文がありました。「揺らめく炎で、描いた動物たちに生命を吹き込んでいたのかもしれません」
多くの壁画の中には、自分たちの命の糧になっている動物に対しての深い畏敬の念が込められているように想像します。



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今から約5万年前にアフリカで生活していたネアンデルタール人が世界中に拡散しました。その中でヨーロッパに渡ってきた集団がクロマニョン人ということになっているようです。アフリカからの移民なんですね。
ネアンデルタール人の文化には芸術的要素は見当たらないそうです。後期旧石器時代(4万2千年~1万4500年前頃)のクロマニョン人の時代になってから様々な文化の萌芽が見られるようになったと言われています。
ネアンデルタール人とクロマニョン人との関係については諸説あるようですが、人類の進化の謎が秘められているようでとても興味深いものがあります。ネアンデルタール人が滅びた理由についても、いまだ謎に包まれたままです。

展示の解説の中で、民俗学者・先史学者アンドレ・ハロワ・グーランの見解が紹介されていました。
彼によると、動物がそれぞれの類に分類されて描かれていると言います。V字形、鳥形、棍棒形、星形、棒状、十字形、扇形、短い線、点状、四角形、枝分かれといった謎の記号によって分けられていて、描かれた場所というのは動物像がある論理に沿って配置された聖域であった、と解釈しています。
また動物像について、「ラスコーは単なる具象表現ではなく、共通の思考を表している」との見解を示し、記号については、「ラスコー洞窟ではそれが書字に近いものであると私は信じている」と言っています。

すごいですね。壁画はただ無造作に描かれたものではなく、ある論理のもとに分類されているとういうのですね。驚きます。でもよく考えてみると、これだけの優れた絵が描ける芸術的能力があるのなら、それ相応の深い思考力も同時に備わっていたというのは理解できるような気がします。芸術的な感性と論理思考とが重なり合うことによって、記号や物語のような意味が吹き込まれながら壁画として残されたのかもしれません。

グーラン氏が言う、「書字に近いもの」という部分に特に関心を持ちました。絵と記号を用いて自分の思考や感情を表現しようとしたのでしょう。この過程を経て文字の誕生につながっていくわけですね。「絵」と「文字」と「言葉」と「思考」と「感情」。表現する人間の原点に迫るようで好奇心が掻き立てられます。

それにしても、なぜ洞窟内の壁面に描いたのでしょうか。何もない壁をずっと眺めていて、ある時そこに描こうとしたのは何が動機だったのか気になります。何かを表現したいという強い欲求が先にあったのか、あるいは何もない平板な壁を眺めているうちに何かできるかもしれないと考えたのか、どちらでしょうか。いずれにしても描けるカンバスを見つけたということは大きな発見だったわけです。一度壁に描くことを経験したことによって、そこに喜びや楽しさを見い出し、次々に新たな発想が生まれていったに違いありません。
暗闇の中であかりを灯すことを思いついて、壁という大きなカンバスを見つけることができたことは、表現の歴史において画期的な出来事だったのです。

洞窟の壁は1枚の紙と同じだと思います。余白を見ているうちに発想が膨らみ、何かを表現したくなる。そういう意味では壁画が描かれたこの時代と現代は同じようです。人の表現しようとする人の欲望はあまり変わっていないのかもしれません。
彼らの時代には現在のような高度な記憶媒体はなく、自分の記憶だけが頼りだったわけです。獣を探したりするにも、いつも遠くを見ていたわけです。だから視力も良かったのです。私たちは遠くを見るような機会が少なくなりました。自分の手の中を一生懸命眺めることのほうが多くなっています。
「もっと遠くを見なさい。正面を向きなさい」。ラスコー洞窟の壁画を見て耳を澄ましていると、クロマニョン人の小さな囁きが聞こえてきました。