映画「リメンバー・ミー」を観ました。
ミゲルは伝説のミュージシャン、デラクルスに憧れて自分もミュージシャンを目指そうとします。しかしミゲル一家の間では音楽を楽しむことは一切禁じられているのです。ミゲルはある音楽コンテストに出場しようとしますが、大事な自分のギターを祖母に壊されてしまい、代わりのギターを調達しようとします。その道中で死の国に迷い込んでしまうのですが、そこからデラクルスを探す旅が始まります。

叔母にギターを壊されたときのミゲルの悲しみの表情がとてもリアルでした。細かい目の動きには、悲しみと悔しさに暮れる感情がよく表れていました。ギターという楽器は活動的なミゲルにはぴったりです。

秘めた才能を思うように表現できず、くすぶっているもどかしさが伝わってきます。音楽への情熱を家族から否定されても、へこたれずに突き進んでいくミゲルの姿は爽快に映ります。
音楽とミュージシャンに憧れを抱く、純真な感性を讃えたいです。
ミゲルは自宅の屋根裏に隠れ家を持っていて、自分のギターを大事に置いています。家族と同居しながらも、独立した自分の世界を確保しているところなど、厳格な家族に配慮しながらも自立の気運に溢れているミゲルの若々しさが爽やかでいいですね。

デラクルスと対面したミゲルは、憧れていたデラクルスが虚像だったことが分かり失望します。虚栄に目が眩んだ大人の世界を知ることになるのです。後になって写真の折れた部分にある秘密が明らかになって、本当の歌の作者が分かり衝撃が走ります。
また、ここでヘクター夫婦の誤解が解けて、よりが戻るところなど、大人のストーリーを絡めています。

死者の国へつながる橋の上には黄金の花が敷き詰められています。端から下へ溢れんばかりにこぼれ落ちていく様子は、黄金の滝と呼べるような美しい光景です。死者の国というより、おとぎの国の橋のように思えました。

メキシコの街の様子が背景になっていますが、その煌びやかな街の光景は、まるで天空の要塞のような近未来の光景を見ているように感じられます。死者の国をというのは、実は現実社会の未来の姿ではないかと思えました。ロボットは登場しませんでしたが・・・。でも生者の世界と死者の世界との往来で記憶認証が行われるところなどを見ると、人の記憶までが認証の対象になることが起こり得るようにも思われ、どこか怖さを感じました。

歌い始めるミゲルを叔母が遮ろうとする場面で、父が叔母を制止してミゲルを歌わせてあげます。この父親の行為は、今までミゲル一家のなかにずっと染み付いていた音楽を嫌悪する空気に大きく風穴を開ける勇気ある決断です。ミゲルが独り立ちしようとした勇気に父親が感化されて、音楽に情熱を傾けるミゲルの望みを尊重したのです。家庭の中で大きな影響力を持っている祖母に対して、これまで異議を唱えることがままならなかった父親の心境を考えると複雑なものがありますね。年長者の家族に対して敬意を示すことはもっともですが、それでも家族一人一人の考え方も尊重してほしいという、父親の複雑な感情が汲み取れます。子どもの成長に親が感化を受けて、一人の大人としての独自の考えを尊重するようになるという、一族が大きな変化を遂げる瞬間です。長い間、一家の共通認識とされてきた音楽を嫌悪する慣習をミゲルは見事に打ち破ったのです。

寡黙なママココがミゲルの歌に合わせて一緒に歌い始める姿は感動的です。穏やかで抑制がきいたメロディは子守唄のように優しく響いてきました。ディズニー映画のテーマソングとしては、大人っぽく落ち着きの感じられる曲になっています。
ミゲルが歌うシーンでは、歌を聴き終わった後、きれいなメロディの余韻に浸っていたい気持ちに反して、さらっと場面転換するのですが、さりげない展開の仕方が映画を見終わった後に大きな感動の余韻を残します。

この映画は、音楽にといいストーリーの展開といいい、大人のテイストが強く感じられます。ミゲルが成長していく姿に自分のそれを重ねて見ることで懐かしさがこみ上げてくるのを感じます。ミゲルが死者の国で先祖を見たように、自分もミゲルと同じ年頃の時代にタイムスリップして、若かりし頃の自分の姿が重なって見えてくる。この作品は大人のための映画なのです。