少し前に「Forbes Japan」の電子版に「神経科学が示す、目標を書きだすことの重要性」というタイトルの記事が出ていました。書くことの意味を科学的な側面から示した興味深い内容です。
「ある目標を達成したい時は、それを書き留めておくべき」という主張で、「自分の目標を明確に書いて表現することは、目標達成へ強力に結びつく」というのです。
書いて表現するという行為には、外部記憶とエンコーディング(記号化)という2つの段階があり、このうち外部記憶というのは自分の目標に含まれる情報を、いつでも見返すことのできる場所(例えば1枚の紙など)に保存することです。
書いた紙は、仕事場や冷蔵庫などに張り出すと良いとされ、ビジュアル的に訴えるもの(リマインダー)を毎日目にすれば、より記憶に残りやすい、というものです。
そしてもう一つ、エンコーディングというより複雑な現象が起きていることを挙げています。これは、知覚したものが脳の海馬へ送られ分析されるという生物学的プロセスです。海馬に送られた情報は、長期記憶として保存されるものと、破棄されるものに分けられます。書く行為によって、このエンコーディング処理は改善されます。つまり、書くことにより、記憶される可能性がより高まるのです。
自分で作り出したものの方が、ただ読んだだけのものよりも記憶に残りやすいという事象を、神経心理学者は「生成効果(generation effect)」と呼びます。目標を書き出す時には、この生成効果が2度起きて、1度目は、目標を立てる(頭の中に思い描く)時、2度目はそれを書いて表現する時です。
目標を書き出すことで、頭の中に描いたイメージが再処理・再生成されます。頭の中の絵について再び考えて紙の上に表現し、ものを配置・計測し、空間的な関係を考えたり、表情を描いたりする必要があり、そこでは多くの認知プロセスが起きています。つまり、目標を2回にわたり打ち付けることで、脳内に焼き付けるのです。
書くことで改善するのは、一般的な記憶力だけではありません。書いて表現することで、真に重要な情報に対する記憶力も改善します。授業で教師が言うことの中には、本当に重要なこと(テストに出るもの)と、さほど重要でないこと(テストに出ないもの)があります。
ある研究によると、授業中にノートをとらない場合、重要な情報と同じだけ重要でない情報も記憶してしまっていることがわかっています。一方、ノートをとった人は、重要な情報の方をより多く記憶していたのです。
メモをとれば、記憶力が高まるだけでなく、真に重要なことに集中することで思考を効率化できます。そして自分の目標とは、真に重要なことの一つであるはずです。
ざっくり、以上のような内容になります。
目標の実現ということは、目指すものがはっきりしていることが条件となります。言葉はそれを可能にします。書くことによって明確になることの効果が、目標の達成などの結果として見られるということなのでしょう。感覚で分かっていることも重要ですが、強調して刻み込んでおくためには、やはり明確な言葉で残されていることには大きな意味があります。書物が生き延びてこれたのもこうした理由によります。
書くことは、核心的な部分がどこにあるのかを探る行為でもあります。どこが肝なのかが浮き彫りにされるのです。さほど重要ではないと思われる部分に実は核心的なポイントが含まれていたりすることも多く、表面的な感覚に頼るだけでは見逃してしまうことを留めておくためにも意味があります。
これは、絶対に忘れたくないもの、残しておきたいことにに対する頑ななこだわりを示すものでもあり、それを意識していることの表明でもあります。記憶というのは何かきっかけがないと、呼び戻せないものですが、どこかに書き記しておくことで、そのきっかけをいつでも手元に置いておけるわけです。そうすることで思い出すきっかけが残せます。感覚でなんとなく理解していることでも、明快に表現された言葉として持っていたいという欲求もあります。漠然としたものが明確になることによって、それが行動を後押しする力になる場合も少なくありません。
書くことで、自分が何らかの引っ掛かりを持ったということが記されるとともに、思考を巡らせた軌跡を刻むことにもなります。
あとは書いたことを折に触れて読み返す機会が持てればいいですね。1回、2回読み返してもその時はなるほどと思うのですが、やっぱり次第に忘れてしまいます。繰り返し読み返せる環境にあることは重要ですね。
これは読書でも経験していることで、自分が心を動かされた表現というものは何度繰り返し読み返しても、その新鮮さが色褪せることはありません。
次にエンコーディング(記号化)という機能についてです。記憶されるものと破棄されるものに分けるということですが、これは情報と思考の関係として考えられそうです。情報は入れ替わるものなので全てを覚えることにあまり意味はありません。一方、思考の仕組みや段階、枠組みなどは覚えるものというよりはひとつの型のようなもので、実はこちらのほうが重要で、言葉や絵を紙に書くことで相互の空間的な関係を俯瞰して見ることができる
ようになるわけです。この認知プロセスを経ることで記憶に残されるということです。書く行為によって生じるエンコーディングという生物学的プロセスは極めて人間的な営みだと言えます。
保存されるものと破棄されるものをある程度機械的に振り分けることはできても、完全に個別の嗜好に合わせてカスタマイズすることはできないでしょう。単に分類するだけならば、いくつかのキーワードをもとにして振り分けられるのかもしれませんが、それは一般的な分類までで留まるものであって、その先にある各人が望むようなスタイルに合致するように選別することは困難です。仮に同じキーワードがある情報であっても、どれを残してどれを破棄するかは人それぞれによります。どちらなのかを判別するためには人間のエンコーディングのプロセスが必要になってきます。こうした情報の編集機能こそ人の能力が生かされる分野であり、書くことによってより一層深化していくものなのです。
自分に最適な情報を残すにあたっては、生物としての人の機能は生かされ続けるはずであり、記憶として留めておくためにはこのプロセスは不可欠なのですね。
さらに「生成効果」についてです。
書くことで情報の重要度をふるいにかけて、本当に自分が必要としているもの、自分にとって価値のあるものを見極めるようになるということでしょうか。そうすることで一般的に重要と考えられているようなラベルに振り回されずに、自分の物差しで判断して見極めるということであり、この生成効果というものには大いに注目できます。
生成するということは、既成概念を打ち破り思考を揺るがされるような視点や、どこか違和感を覚えたりに引っ掛かりを感じるもの、自分がユニークだと考えている視点と同じ方向性にありながら更に異なる角度からアプローチするような見方など、新しい視座が生まれ自分の思考に拡がりがもたらされることです。
思考を深めるきっかけづくりと自分で生み出す楽しさ、このふたつが書くことの効用だということですね。
そのときだけ知っていれば済むような情報ではなくて重要なのは思考することであることが示されているようです。
授業中にノートをとることについての研究が示しているように、メモをとることによって、真に重要なことに集中することにより、思考が効率化できるということと合わせて、自分で生み出したというプロセスを得ることで自分で立てた目標がより現実味を帯びた身近なものとなることで、その達成に結びつきやすくなるということです。
「紙に書き出すことで願いが叶う」というのは、ある種のおまじないのようなものではないかと考えていたところもあるのですが、科学的な説明に基づくものだったようです。やっぱり書くことの力は侮れませんね。