映画「希望の灯り」を観ました。
東西ドイツの統合という変革期にある巨大スーパーマーケットが舞台です。飲料担当としてやってきた新人のクリスティアンは、菓子担当のマリアンを気にするようになり、寡黙ながらも言葉を交わし始めます。二人は特にこれといって会話らしい話はほとんどしないのですが、最小限の言葉のやりとりで関係が紡がれていく様子はとても新鮮に映ります。単調に思われる展開なのに場面に引き込まれていくのは、二人の普通っぽいキャラクターに親近感を覚えるからかもしれません。クリスティアンはどこか怪しげな雰囲気を持ちながらも、朴訥に見えるところが周囲から好感を持たれ職場に馴染んでいきます。何とも行動の予測がつかない独特のキャラクターは、ゆっくりと進行する流れのなかで、次の展開への期待を膨らませてくれます。
スーパーのバックヤードを行き交うフォークリフトが物流を支える縁の下の力持ち的な道具として登場しています。活発な物流が生み出され、機械化による業務の効率化と、新たに生まれる雇用といった社会背景が感じ取れます。雇用における変化のなかで、移ろい行く人々の心象風景が映し出されています。
効率化が見られる一方で、今までのほのぼのとした職場環境は残しておきたいという願いも垣間見えます。ここには、業務の効率化が進展するなかでも人々がつながりを保とうとする温かい職場のモデルがあるように感じます。各々がささやかな愉しみを見い出そうとしながら。
クリスティアンは頼れる先輩に見守られながらも、売り場の責任者ブルーノからフォークリフトの乗り方を教わり必死で覚えます。良い方向へ大きく変わっていこうとする人と、それを見守る周囲の人との関係が温かく描かれます。相手の能力を見つけて、信頼し、任せることで自信と責任感が生まれるというポジティブなサイクルが生じていることに拍手を送りたいですね。
朝になって、真っ暗だった店内に照明が灯り、ぱっと明るくなるシーンがあります。店の通路が、まるでこれからやってくる出演者を迎えるための劇場のステージであるかのように感じられました。”ここでは出演者の誰もが主役である”そう宣言しているような印象を持ちました。
この映画は背景に流れる音楽がキーポイントです。
閉店後、店員が店内に流す音楽を入れ替えます。閉店後の整然とした店内でも、音楽で気分を盛り上げてささやかな安らぎに楽しみを見い出そうとする気分が表れています。少しでも快適でありたいという切なる願いが垣間見えてきます。
また、フォークリフトの動きに合わせるように「美しき青きドナウ」や「G線上のアリア」といったワルツが奏でられますが、厳しい生活環境のなかで働きながらも決して余裕を失わない賢明さをユーモラスに讃えているように聞こえてきます。でも実は、フォークリフトの動きこそ音楽であるように想像しました。するすると上下に昇降するフォークリフトは低音から高音まで軽快な音色を奏でる楽器であるかのように。
スーパーマーケットのバックヤードで繰り広げられる、そんな遊び心に満ちた温かい世界を見て、ほっこりとしました。
東西ドイツの統合という変革期にあって、経済分野の変化の波が押し寄せるスーパーですが、店には潤沢に商品が積まれているものの、自分の生活はさして変わっていないという現実の厳しさに対するやり場のない気持ちが見て取れ、豊かな生活への期待と不安を抱えた庶民の息遣いが感じられます。
設備の導入によって、荷下ろしによって店員の身体的負荷は軽減されるものの、商品のバリエーションが広くなることで作業の手間が増え、かえって多忙になるようなことも想像しました。自分の業務に変化が生じることに戸惑いを感じながらも適応しようとする人々の姿は、「人がAIに置き換わる」と予測されるこれからの時代と重なって見えてくるところもあります。
「フォークリフトが降りてくるときの音は波の音に似ている」とブルーノから聞いたことがあると、マリアンは話します。寄せてはは返す波の音というのは、上にも行けるし下にも行ける、不安定だがどちらにも動く人の心象を表現しているのではないかと考えました。
フォークリフトとスーパーのバックヤード。消費生活を支える裏方の世界で繰り広げられる人間模様は、たとえ大きなストーリーがなくても現実感のあるシーンとして感じられ、共感を誘います。ゆったりとしたテンポで進行する展開は、幻想的な世界を見ているような気分にもなりました。
そうそう、二人がイヌイットの挨拶を真似るシーンはいいですね。