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神戸新聞で興味深い記事を読みました。”HB→2B「鉛筆」の主役交代”とのタイトルで、鉛筆の販売動向に見られる変化について紹介しています。
トンボ鉛筆の調査によると、種類別の売り上げ比率に大きな変化が見られます。1999年の売上比率は、HB43%、2B22%、B21%。その後、Bは増えてHBは減り、2006年には、2B36%、B30%、HB26%と、2BがHBを上回ります。そして2017年には1999年と比べて2BとHBがほぼ入れ替わり、2B47%、HB23%、B20%となっています。
この変化の理由として同社では、小学生に選ばれる理由として、入学時に学校から濃いタイプを勧められ、中高学年でもそのまま使う例が見られることから、学校からの推奨によるところが大きいことを挙げています。

神戸市内の小学校の先生は「低学年が鉛筆で書き初めなどをする場合、濃く太いと、とめ、はね、はらいの見栄えが良い」とする一方、近年の傾向として「鉛筆の持ち方がさまざまになり、力の加減を調節しやすい点などが好まれるのかも」と推測しています。

もう一つの理由に大人の鉛筆離れがあるとして、トンボ鉛筆では「80年代以降、ワープロやパソコンが普及し、大人が仕事でも家でもHB鉛筆を使わなくなったことが大きい」と見ています。IT化が進めば、授業でも鉛筆は不要ではないかとの声もあるものの、ある小学校の先生は「字は目で見て形を理解し、手本をまねて紙に書いて覚える。手書きだから感性や集中力、見分ける力が身につく」と鉛筆の良さを強調しています。

トンボ鉛筆では鉛筆の利点として、安価で丈夫、1本で約50キロメートル書けて経済的、使い方の説明が不要、削って手入れを学べる、消して書き直せる、といった点を挙げています。設計やアート、マークシート、選挙、アンケート、災害対策の備蓄、実験などで根強い需要があるとのこと。主役は変われど国内外で鉛筆の愛好家は増えていて製品は多様化しているようです。



横3本

ということで、濃い鉛筆で書いていみたくなったので、HBに加えて2B、6Bの3本を用意して書き味を比べてみることにしました。



芯アップ

まず、削る前に芯の状態を確認ました。左からHB、2B、6Bの順で並んでいます。HBと2Bはほぼ同じですが、6Bの芯の太さが目立ちます。柔らかいので太くないと安定しないということでしょうか。
6Bの芯は、おまんじゅうのあんこのようにたっぷり詰まっていますね。



横3本アップ

削った後のペン先です。上から順にHB、2B、6Bです。削ってみて気づいたことは、HBはやや硬め、2B、6Bとなるにつれて軟らかく感じました。芯の先もHBは細め、2B、6Bとなるにつれて丸みが大きくなっています。芯が硬いと先まで細く削れるということなのかもしれません。
ひとつ前の画像のように、削る前は木目の模様もまちまちで少しグレーがかった色に見えますが、削ってみるとこのようにきれいな肌色になります。自分で削ったとは思えないほど表面が滑らかでつるつるしています。



削り

今回使用した鉛筆削りです。手動なのでどこまで回せば細く削れているのかがいまひとつ分かりません。ときどきペン先を確認しながら削りました。手元が安定していないので芯が真っすぐに削れずに折れてしまっていないか心配でしたが、意外ときれいに削れていました。削り屑を見ても薄くきれいに残っています。



3本全体

削った後、実際に書いてみました。やっぱりHBから6Bになるにつれて文字が濃く太くなっています。6Bは芯が軟らかいので芯が少し崩れるような感じがします。書き出した時に芯が少しこぼれるような感じになりました。



3本アップ

HBは確かに薄いのですが芯がしっかりしていて書きやすいです。一番バランスがいいのは2Bかなと思います。6Bは芯の減り方が早いです。だから、すぐなくならないように芯が太くなっているのかもしれないですね。
ちなみにステッドラーの芯は10Bまでありました。おそらくそこまでいくと、書くというよりは塗るような感じの書き味かもしれませんね。


HBやBなどの違いは、濃さを区別する意味のほうが大きいと考えていて、硬さの違いについてはあまり意識したことはなかったのですが、意外に重要なポイントであることも分かりました。文字を書くことが不慣れな小学生などは硬い鉛筆のほうが書きやすいというのも理解できるような気がします。

種類の占有比で2BとBが多いのも濃さと硬さのバランスがとれていて書きやすく、一番普段使いしやすいラインだからではないでしょうか。
以前HBが多かったのは、学校で行われるマークシートなどのテストで使われていたことが大きな要因だと思います。子どもの数が多い時代でテストも頻繁に実施されていたので、その需要はかなり大きかったはずです。テストでマークしたときに、確かに薄い色だということは感じていましたね。塗った後に間違いだと分かって消すときに、すぐ消せるところはよかったです。

鉛筆の利点として挙げられている項目のなかに「削って手入れができる」というのがあります。これはとても新鮮に感じられました。確かに鉛筆も手入れを必要とします。書いて丸くなった芯の先を丸めて書きやすいようにするなどのメンテナンスは必要です。芯を削ると木屑も出るしアフターケアも伴います。鉛筆削りが普及する前はカッターなどで削るなど手間をかけていました。書いて削ってまた書いて、芯が丸くなったらまた削る。短くなったらまた新しい鉛筆で書き始める。こうして削っていくことが鉛筆を「手入れ」することの王道なのかもしれません。鉛筆を削ること=手入れすること、なんですね。それが道具としての鉛筆の本来の楽しみ方なのです。

万年筆などデリケートな構造の筆記具は時間を掛けて手になじませるなど、長く使えるように丁寧なメンテナンスを施します。それとは逆に、大胆な扱い方ができるのが鉛筆らしいところです。鉛筆にはナチュラルな素材ならではの「手入れ」が求められます。手になじんできたあたりで削っていくので持ち手の部分が随時変わっていきます。このシンプルでラフなところが鉛筆の良さでもあります。使っていくうちに手になじんでくることを愉しむのとはまた違った楽しみ方があります。

書けば書くほど鉛筆本体が小さくなっていくという物理的な特徴が他の筆記具とは違う鉛筆のユニークな点です。万年筆やボールペンのようにインクを入れ替えるわけではなく、芯だけでなく鉛筆本体が減っていって次第になくなってしますわけですから。身を削って書くことに徹する鉛筆は本当に健気な筆記具と言えます。

手入れといっても、芯を削っていくことは実は鉛筆本体が次第に小さくなっていくのを促すことになるので、どこか寂しい気がしてなりません。
芯を使い込んでも形として残ればメンテナンスを施して楽しむこともできるのですが、極端に言えば最後はなくなってしまうわけですから何とも寂しいものです。できるだけそのままの状態で残しておきたいと思うから、使うことをためらうのかもしれません。

万年筆は書けば着き込むほど手になじんできて、自然とペン先に自分の型がついてくるものですが、鉛筆も同様に芯の減り具合に書き方の癖が表れたりするところは面白いですね。癖がなくても、ずっと芯の同じ面で書いているとその面だけ減っていくので、鉛筆を少し回転させて紙と接する芯の部分をずらして書いたりもします。

子どもはデザインなどは気にせずに、ひたすら書いてどんどん削っていきます。短くなった鉛筆を面白がってまた書きます。このように使い込むことが鉛筆らしい使い方なのです。
しかし大人になるにつれて、次第にシャープペンやボールペン、マルチペンなどを持ち始めます。いつ使っても同じ文字が書ける便利さのほうが重宝されるようになります。書くことをとりまく環境の変化も大人の鉛筆離れの理由のひとつなのでしょう。

そうそう、海外で買った鉛筆も、芯を削らずに持っているものも多いです。旅先で鉛筆を購入するときは、もっぱらデザインしか見ていなくて濃さの種類などを気にすることはほとんどありません。実際に使うことをあまり想定していないからかもしれません。デザインの良さに魅かれて買ったものは見て触っているだけで満足してしまうんですね。だから、ずっと使わずに持っているだけになってしまうのです。
道具なので本来は実際に使ってその良さを実感するものなのですが。ただ、ずっと持っていてデザインを見て愉しむだけの鉛筆というのもあっていいと思っています。

鉛筆を削るのも楽しかったです。電動タイプなら早く簡単に削れますが、せっかくなので削っている感触を味わおうと手動式にしました。「削って手入れを学ぶ」には、このやり方のほうがふさわしいと思います。電動式の鉛筆削りの普及によってカッターなどでペン先を直接削ることが少なくなっているので、鉛筆に対する愛着が薄くなっているという面もありそうです。

長く書き続けたときなど、芯の先が均一に減っていかずに偏りが出ることもあるので、回転させて持ち替えるようにして紙と接する芯のポイントを変えながら書いたりもします。これも鉛筆ならではの書き方です。
ボールペンを使うときも本体を無意識に回しながら書いたりしますが、鉛筆のようにペン先を気にすることはありません。長時間書いていてもペン先の状態は同じままです。

”鉛筆の主役交代”という新聞記事から始まっていろいろ考えてみました。しばらく鉛筆を使っていなかったのですが、実際に新しい鉛筆に「手入れ」を施し、芯を削って書き味を比べてみることで鉛筆を使って書くことの愉しさを堪能しました。鉛筆を使うことの新しい面白さに気づけば、鉛筆にもまだまだ活躍の舞台はたくさんありそうです。