『「試し書き」から見えた世界』という本を読みました。
文具店にはたいてい試し書き用の紙が置いてあります。筆記具を選ぶときはそこに何か書いて書き心地の良し悪しを確かめることは多いですが、特に何か意識して書くということはなく、また書かれているものを見て何か意味を読み取るものでもありません。
しかし、そうして無意識に書かれた試し書きに注目し、国によって異なる特徴を見い出して考察するという大変ユニークな視点で書かれているのがこの本です。なにしろ著者は世界中の文具店を訪れて試し書きされた紙をひたすら集めて回り、その数なんと2万枚にも及ぶというのですから驚きます。
普段、たいして気にもかけずに行っている筆記具選びの隙間に注目した視点が面白いし、著者が「無意識のアート」と呼んでいるように、鑑賞する目的でコレクションの対象にして愉しんでしまうところなど、書くことについて新しい扉を開いている点に注目しました。
すぐ捨てるような消耗品なので簡単に手に入れられそうですが、ある程度書き留められた状態のものを集めようとすると、タイミングが意外に難しそうです。紙の余白が少なくなればめくり取られてしまうので、たくさん書かれた状態のものを手に入れるというのは大変でしょう。多くの人の筆跡を集めようとすればなおさらそうです。
製造段階で既に試し書きされているかもしれませんが、店頭に並んでから初めて紙に書かれる一筆目の筆跡が記されているわけですから、見ようによっては稀少な宝の山と言えなくもありません。
世界各国の試し書きを比較している点も興味深いです。例えば、前に書かれたものの上に重ね書きしている(韓国)、筆圧が強い(ケニア)、などです。なかには、試し書きの紙が置いてある店が少ない(ニカラグア)という国もあります。ちなみに日本のものは、それぞれ少し間を置いた状態で書かれているのが特徴のようです。
書かれてある状態から各国のお国柄について解説しています。少々こじつけのような感じが無きにしも非ずですが、なにしろ2万枚もの実物があるわけですから、この読みは意外に的を得ているかもしれません。まさに試し書きの文化人類学と言えます。
書かれている内容を見ると、その多くは線や記号のようなものです。これは他の人に意味を読み取られることに何か抵抗があるからではないかと推測します。意味が分からないものを書くことが試し書きするうえでの暗黙のルールになっているようにも感じます。一方で、単語やキーワードや絵など何かを表現しようとして書かれたものもあり千差万別です。
紙の種類についても、アイルランドでは試し書きを表す絵文字が入った専用紙を置いていたり、カナダでは一筆箋を使用している店もあります。置いてある紙によっても書く内容が変わるということもありそうで、そこはお店のセンスが影響するところですね。
書かれたものの多くが意味のある単語や長い文章ではないということは、筆記具を手にしたときの感触やインクの出方は見るものの、きれいに文字を書くことはあまり意識しないものなのかもしれません。
でも、筆記具を選ぶことが、きれいな文字を書こうという動機付けになることはあると思うし、このペンで書けば美しい文字が書けそうな気がする、というように直感的に相性の良さを確かめることが実は重要で、試し書きはそうした体験ができる場を提供しているのだと思いました。そこから筆記具への愛着も生まれてくるのです。
こちらが筆記具の特徴に合わせようとして書くこともあるし、筆記具のほうがこちらの癖になじんでくる面もあります。特に万年筆はそうですね。あまり細かいことは気にせずに選ぶのがいいですね。
試し書きというのは新しい筆記具を自分の仲間として迎え入れるうえでのひとつの儀式のようなものなのかもしれません。それにしてはいささか簡素でいいかげんな気もしますが、それは筆記具に対する歓迎の挨拶なのです。
2020年05月
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