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東京国立近代美術館でピーター・ドイグの展覧会を観てきました。開催後まもなく新型コロナの影響で閉館していましたが、ようやく再開されることになったので早速行ってきました。

混雑回避のため入場は人数制限が設けられていて、チケットの購入は時間指定による事前予約制となっています。すぐに行く日を決めて予約したのでスムーズに希望日のチケットを手配できました。予約した時間より1時間早く着いたのですが、あまり混雑していなかったのかそのまま入場できました。

今までなら、外に出掛けていてたまたま空いた時間ができたときにふらっと寄って見に行ったりすることができましたが、しばらく難しそうですね。ゆったり鑑賞できるという点はうれしいですが、気軽に足を運びにくくなりそうです。他の美術館などでもこうした対応が続くと思われ、美術館を訪れることに対するハードルが高くなるような気がして少し残念です。

ピーター・ドイグはスコットランドに生まれてロンドンでデザインを学んでいます。ターナー賞にノミネートされるなど次第に評価が高まり注目を集めるようになりました。ヨーロッパの美術館を中心に各国で個展が開かれており、日本での開催は今回が初めてとなります。

全体の印象としては、現実にある風景のなかに想像の世界が溶け込んだような異世界を表現した絵が多いように感じます。お伽話の絵本の中に見られる挿絵のようなメルヘンチックな雰囲気もあります。
地面と海と空の情景が三層に分かれて描かれた作品や、揺れる水面に風景が映りこんだ作品など、「境界」や「揺らぎ」などがテーマのひとつになっているように感じます。

特に印象に残った作品が2点あります。

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ひとつは『コンクリート・キャビンⅡ』です。
林の奥に見えるのはル・コルビジェが設計した建物です。明るい日差しを浴びて眩しく真っ白に映える壁が鮮やかです。近づいて見たときに色の点で描かれた樹木の葉が瑞々しく感じられて強く印象に残っています。



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もうひとつはこちらの『天の川』です。
地面の広さと奥行き、海の広大さと深さ、大きく広がる空に散りばめられたような無数星々。それぞれの異なる広大さや深さが重なり合うことで、大地、水面、星空、それぞれ異なる広大さや深さを持った景観が交差し重なり合う境界を見ていると、普段見ている世界では気付かない時空を超えた風景が立ち昇ってきて異世界の現出を見ているような錯覚を覚えます。夜の時間であるところもミステリアスな印象をより強くしていますね。

多くの小さな星々を点描で描いた部分が美しいですね。本当にうっとりしてしまいます。真ん中が少し明るくなっていて柔らかい雰囲気があります。サボテンのような植物がかわいらしくて陽気で愉快な気配が感じられてきて温かみがあります。

天の川を形成している星々の白い点描がとてもきれいです。水面の揺らぎで星が大きく映っている様子もいいですね。水面に映る星も天空に浮かぶ天の川も、実体はないのに本当に大きな物体がそこにいるかのような幻想的に見えてきて、「見える」とはどういうことなのかと思いを巡らせました。

三層に分かれていながらそれらが有機的な繋がりを持っているようで、ずっしりと安定感のある絵です。この境界線は時空を超えた異世界への入り口ようでもあります。見れば見るほどその深遠の奥にあるものに想像が及んでいきます。タイトルにあるように実体のあるものではなく、星々の連なりを川になぞらえて、いつしか人が「天の川」と呼ぶようになったのであろうというファンタジックな物語を想像すると空想も膨らみます。

海と大地と空を描いた絵というのはこれまでもたくさん見てきましたが、ここまで深遠な思いに至るという体験は久しぶりです。天空に浮かぶ天の川の存在が、眼に見えたものを何かに「なぞらえる」という人の想像する力を思い返す契機となったのです。この絵から新しい次元を持った景観が見えたことは大きな啓発となりました。

展示作品をひと通り見て感じたことは、人物を克明に描いた絵は少なく、存在感のない影のような形で書き込まれていたり、あるいははっきりした表情のない絵が多いことです。ドイグの絵は不穏で不気味な印象を与えると言われますが、こうしたこともその要因のひとつになっているのではないでしょうか。また、人の感情ではなくそれを取り巻く社会や環境の側に焦点を当てていること、そうした環境のなかで逡巡し気配が薄くなりつつある人々の存在を象徴しているようにも思われます。

ドイグの絵の特徴として「分裂と統合を同時に喚起する」こと、「虚実の境界の不鮮明さ」や「上下感覚の曖昧さ」などが挙げられています。相反するものや矛盾の表現がテーマのひとつとしてあるようです。「ロードハウス」という絵に見られるように抽象の間に具象なアイテムを挿入して描くという試みも行なっています。

それから、先に挙げたふたつの絵にも見られるように、明るく鮮やかな白色の使い方が印象に残っていて、好感を持ったところです。また、随所で点描のような描き方をしていて繊細な感性が表れているところもいいですね。

ドイグは映画、広告、雑誌、古い絵葉書などの身近な素材から得たイメージを作品に投影しています。中でも映画に強い関心を寄せていて、トリ二ダード・トバゴで「スタジオフィルムクラブ」という上映会を開催しています。街の人々に映画を通して文化に親しんでもらおうと考えたのです。上映会を告知する数多くのポスターを自ら手掛け、広く街の人々に参加を呼びかけたのです。

ラフな筆致で描いた作品はウォール・ペインティングやストリート・アートのような雰囲気があって、大きな絵とはまた一味違った印象を受けます。
現代的な素材から得た素養をもとにしたポップでグラフィカルなセンスが生かされているように感じられ、ドイグの多彩な才能がうかがえます。