東京・目黒のJam Photo Galleryで開催中の写真家・萩原昌晃の作品展を鑑賞してきました。タイトルに「Baku」とあるように、アゼルバイジャンの首都・バクーに暮らす人々の表情が収められています。
油田による成長で近代的な発展を遂げる部分といまだ古いまま残されているものと、新旧が交錯する生活風景がテーマとなっています。
画像はありませんが作品について気づいたことを書いてみます。
高層階のビルや整備された道路がある一方で、まだ未整備な住宅地には寂れた場所が多く見られます。荒れ果てた荒野を開墾して住宅地にしたのか、後から自然を取り入れたのかは分かりませんが、樹々の多くは手入れをされておらず、木の枝が地面に散らかり放題です。自然豊かな環境のなかで暮らそうという意図はあっても、整備が追いついていないといった感じです。
家の外には最近取り付けたばかりのようなエアコンが見られ、快適な生活がやっと始まったところのようです。でも、家の壁の傍には古い資材の瓦礫が積み上がっていて、まだまだ片づけなければならないことが多く残っているようです。
ぼろぼろのバスから降りてくる人は身ぎれいな格好をしています。普段からいい服を着ている裕福な人なのか街に出掛けるためにこの日だけきれいな服を着ているのかどちらだろう、と想像しました。
写っている人たちは皆きれいな服装をしています。家や車がどんなに古くてぼろぼろでも服だけはきれいでお洒落なのです。豊かさの恩恵による変化というのは身近なところから始まっていくものなのでしょう。豊かさや自由の拡がりは洋服のようなバリエーション豊富なアイテムから反映されていくものなのかもしれません。海外から安価で潤沢に入ってきているという事情もあるだろうし、なにより手にした自由を手っ取り早く満喫するには最もお手頃なものですからね。
広い道路を多くの車が連なって走る作品もありました。よく動いているなと思うような古い車と最新の高級車との新旧の幅の大きさが見て取れます。移動するだけならどちらの車でも同じようにできます。多くの車が並走する光景からは、豊かさの段階が上がるにつれて単に移動すること以外の意味を帯びるようになっていく推移が重なって見えてきます。本質的な機能以外の意味を持つようになっていく変化を考えるうえで、車というのはそれを最も象徴的に表すものだと言えそうです。
アップした写真には埃にまみれた古い車に乗った男たちが写っています。ぼやけて見えますがベンツのエンブレムであることが見て取れます。どんなにオンボロでもいいからベンツに乗って優越感を味わいたいという大きな願望があることが、男たちの満足げな表情に映し出されています。
作品展のタイトル「Baku」がアゼルバイジャンの首都バクーと知って、すぐにバクー油田という言葉が浮かびました。社会の科目の中では地理が一番好きで、バクーには大きな油田があって経済の要であったことは覚えていました。今、こうして写真で見ると街がリアルに感じられてきます。
旅心をくすぐられる展覧会でした。この触発がまた心地いいのです。