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東京都庭園美術館で開催されている「旅と想像/創造」展を鑑賞してきました。タイトルからして興味をそそられる展覧会で、早速足を運びました。

人が旅に出るのはどうしてなのか、それを他の人の旅を通して再考しようとするものです。幾人かの旅の行程をたどりながら、異文化に触れるなかでどのような思いを抱いたのか、旅がもたらした価値に迫ります。

旅にまつわる小道具やガイドブック、鉄道関連のコレクターグッズ、旅行がレジャーとして広く一般に拡がり始めた頃に製作された需要促進に向けたポスターの数々も展示されています。

また、現代アーティストによるインスタレーションもあり、旅への想像を膨らませるような試みにも触れることができます。

展示作品には「ノール・エクスプレス」をはじめとするカッサンドルのポスターがいくつもあり、とても興味深く見ました。鉄道の線路を直線と曲線で幾何学的に表現したポスターは特に印象的で、他にも特徴ある多くの作品を鑑賞しました。文字表現に見られる工夫などはさすがだと思います。

旅行が広く一般に広まり始めたのは1920年代から30年代にかけてで、拡大の背景には通信手段の普及、複製技術の浸透、交通機関の発達といった移動を支えるインフラが急速に整備されていったことがあります。

1964年に開催された東京オリンピックをきっかけに海外渡航が大幅に自由化され、目的にかかわらずパスポートを取得できるようになったことも海外への旅を後押しました。

その変化の動きはカッサンドルのポスターからも感じ取ることができます。特急や大きな客船、自働車や飛行機など、乗り物を描いた作品が多く見られるように、快適な移動手段の進展によって国から国へと長い距離を移動することの楽しさを訴求する意図のもとに描かれていることが読み取れます。

ちょうど最近、『プルーストと芸術』という本を読みました。そのなかにポスターに関して書かれている部分がありました。

今から150年前、1870年代のパリの状況について書かれています。そのなかで、象徴派詩人ギュスターヴ・カーンは、ポスターを都市空間の「移動可能な装飾」と位置づけていることが記されています。当時は街角にポスターが貼り出されてもすぐに新しいものに貼り替えられていくという儚いものであったようです。考え抜かれたアイデアを盛り込んで製作された作品であっても、またたく間に貼り替えられてしまうのです。それは、多くの人々の関心を集めようとするもので溢れかえっていたことを物語るものであるとともに、ポスターというメディアがその存在感を十分に発揮し価値を得ていた時代であったとも言えるでしょう。

次々と貼り出されては消えていくポスターの儚さは、移動を常とする旅を想起させるに相応しいメディアと言えます。例えば、ある地域への旅行をアピールするポスターがあったとすると、それは数日のうちに消えてしまうかもしれないという予感が旅への興味をより強く促すということはあるのかもしれません。またたく間に消えていくポスターは移動するごとに変わりゆく旅の風景にも似ています。

カッサンドルのポスターが貼りだされたのはこの時代から約100年後になりますが、さらに多くの人々が旅行に行くようになって、その影響力は最高潮に達していたのではないでしょうか。

また、プルーストの小説のなかでポスターが登場する一場面が取り上げられています。興味深いことに、主人公の心に触れたのは風景のポスターではなく、旅への意欲を掻き立てる鍵となったのは「文字」であり「言葉」であり「名前」であったというものです。旅への欲望を掻き立てたのは、自然の風景が喚起するイメージではなく「読み物」としてのポスターであることを描いています。

ポスターに記された言葉こそが想像力に夢想をもたらし、それを決定づけるのは言葉や色彩から浮かび上がる、切り離すことのできないイメージであると読み取ることができそうです。そう考えたら、もう一度カッサンドルのポスターをじっくり見てみたくなりました。

自分の旅行を思い起こしてみても、旅先では時刻表やフライトボード、各種掲示板などで頻繁に文字を見ています。街を歩けば標識や店の名前なども数多く目にします。

言葉や文字といった具体的な名称が旅の記憶として強く残るということはあるし、国名や地名に誘われるという感覚も理解できるところです。
多くは人の名前や店の名称、ホテルやレストランの名前だったりします。機体やフライトナンバー、出発時刻といった数字の場合もあるでしょう。

駅名や地名の表記がある鉄道関連のコレクターグッズもたくさん出品されていました。旅先での様々な経験が、そうした名称に集約される形で記憶に残るということはあります。

もしかすると、旅に出る前は言葉に感化されやすく、旅に出た後は絵や写真などの風景に記憶を留め置こうとしているのでしょうか。

言葉に感化されて風景を想像し、旅への意欲が高まる。旅の過程で遭遇した経験を風景に託す。そして旅を終えた後、風景から記憶を辿って言葉を創造する。想像から創造へとつながっていく過程をたどっていくと、そんな流れが見えてきます。

旅のなかで出会った風景というのは、自分のなかにイメージではないはっきりとしたリアルな像が刻み込まれるので、そこではそれを超える風景のイメージは出てこうようがなく、感情を言葉で表現しようとします。ただ、旅の途中では言葉で記憶しておくのは負担になるので、無意識にも自身の感情をその象徴となる何か形あるものに託そうとするはたらきが生じているのかもしれません。言葉をいったん絵葉書に閉じ込めておいて、旅から帰った後にそこから記憶をたぐり寄せていくというように。

何人もの旅人が旅先で絵葉書を書いています。たくさんの絵葉書を見ていると、旅の経験を風景に託して記憶に留めておこうとするのは多くの人に共通して見られることのようです。旅に出る前と旅の途中、帰ってきた後とで、想像する旅から経験する旅へと移行することに合わせて、言葉と風景と記憶がどのようにつながっているのか、とても興味深く考えました。

ファッションデザイナーの高田賢三が若い頃に日本からフランスまでの一ヵ月におよぶ船旅をした行程が紹介されていました。

フランスの客船カンボジア号に乗って横浜港を出港後、初の海外寄港地である香港に入り、東南アジアを経由してスエズ運河を通過して地中海を渡り、フランスのマルセイユに到着するまでの長旅です。飛行機でも移動が可能な環境でしたが、ある人のアドバイスで船による旅を選んだとのこと。

船旅ならどこかに寄港するとたいてい数日間滞在することになるので、現地の文化に触れる時間ができるからだそうです。各地でアオザイ、チャイナドレス、サリーなどの様々な民族衣装を目にするなかで多くの刺激を受けて、自身の発想に大きな影響を与えたようです。彼がデザインした衣装をいくつか見ることができました。シンプルななかにも華やかさのあるデザインで、旅のなかで見た衣装からどのようなアイデアを得て結晶されたものなのかと想像を膨らませました。服飾にはその文化の自由度や人々の気性が強く表れるものですからね。

リーフレットに「だれかの旅はいつかわたしの旅になる」とあります。他の人の旅の行程をたどるなかで、自分と重なる部分を感じたり思いもよらなかった発見があったりと、旅に対する見方が一段と深まりました。私は船旅の経験はないのですが、船のなかで同じ旅をする者どうしで触れい語らうことの面白さもありそうですね。もう少し年を重ねてからになりそうですが。

ここ数年、思うように旅行に行けない状況が続いていました。やっと少しずつ海外への渡航もしやすくなり始めたので、そろそろ旅の計画を立てていきたいですね。

誕生日が近いこともあってか、以前バンコクへ行ったときに宿泊したホテルから宿泊のリピート案内が届きました。素敵なホテルだったので再訪したいですね。どうしようかな。


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東京都庭園美術館はたくさんの樹々に囲まれていて、都会の中の静寂に浸ることができます。大きな邸宅を美術館に改装したもので、なかなか趣のある建物です。

天気が良い日でもあり、庭園には多くの人たちが来ていました。邸宅なので窓から外の様子が見える部屋がいくつもあります。移動する合間にときおり窓の外を見ると、広い芝生の上でのんびり休日のひとときを楽しんでいる様子が見えます。ゆったりとした雰囲気に包まれながら作品を鑑賞しました。