5人家族になりました!~特別養子縁組への道、そして真実告知~

私たちの夢。それは…お父さん、お母さんになることでした。たくさんの人と出会い、そして子どもと出会いました。                    これは私達5人が「特別養子縁組」という道を歩いて家族になるまで、そしてなった後の記録です。真実告知についても語っています。      (平成22年10月に3人家族に、平成25年1月に4人家族に、平成27年9月に5人家族になりました)

2010年11月

養子縁組について調べる

すーです。

【養子縁組の情報を調べる】
不妊治療(?)をしながら、住んでいるS市の里親会に一度だけ参加しました。
子どもを迎えた後に、奥さんが亡くなって旦那さんが一人で息子さんを育てた…という話を聞いてそういうこともあるのか!衝撃を受けました。

だから、くーさんとはそんな話もしました。
子どもは一度、産みの親のもとを離れて自分たちのもとへ来る。それが子どもにとってどれだけ大変なことか。
どんな理由があっても、子どもが二度、親のもとを離れる状況を作ってはいけない。と強く思ってました。
私に何かあっても子どもを育ててくれるか?そんな話も二人でしました。

某養子縁組の相談を行っている団体の説明会にも夫婦で参加しました。
実際に養子縁組をされたご夫婦にお話しを聞くことが出来ました。その団体には、結局は登録はしませんでしたが、インターネットで探すだけでも結構団体があるので、自分に合う団体を探すことをオススメします。
団体との相性ってある気がします。

【出会い】
私はちーと私たちの縁をつないでくれた団体を、インターネットで検索して見つけました。
(もう少ししたら、リンクを張りたいと思います)→リンク張りました!
その団体は以前、スタッフが日々の様子をブログに綴っていたり、掲示板があり、それを毎日のように覗きに行っていました。
そのなかでこの人達を信頼してお願いしよう、と決めました。

申込書を出してからの流れと時間経過は、「ちーと出会うまで①~⑤」を見てみてください。





ちーと出会うまで⑤(ちーとの出会い)

すーです。つづき。

34歳10月。ある水曜日…私の携帯が鳴りました。
そして「ペンと紙を準備してください」と言われ、続いて「昨日、生まれました。日曜日にお迎えに来てください!」
頭が真っ白でした。
とにかくメモしないとすべてを忘れそうで、言われた準備物や情報をすべて書きました。
やったあ!!とかいう喜びよりも、とにかく準備しなければ…と慌てていました。

くーさんに電話をして「生まれたって連絡があった」と伝えました。
二人で迎えに行ってこの手で抱くまでに、だめになることも覚悟していこうと話しました。
振り返ってみると、この数日間。喜びの気持ちは大きくありませんでした。
ずっと考えていましたが、十月十日お腹で育てた産みのお母さんがどんな気持ちだろうと思うと、手放しで喜べなかったのです。
そして、子どもにとっては産みのお母さんが育てられれば一番良いと思いながらも、直前でやっぱり手放せないと言われて傷つくことも怖かった…というのが正直な気持ちです。
それでも赤ちゃんの肌着や服、オムツ、哺乳瓶などを買い揃えて、お迎えに向かいました。

お迎えに行く前の日。
産みのお母さんへ宛てて手紙を書き、最近の夫婦の写真と共に封筒に入れました。
いろいろ書いたけれど、一番伝えたかったのは「大切に大切に育てます」ということ。
指定の場所で待っていました。夫婦で話をしながら…。

…そして。
ちーはスヤスヤと眠り、職員さんに抱かれてやって来ました。
私は小さなちーの顔を見て泣きそうになりました。
こんな可愛い子どものお母さんとお父さんになってよいのだろうか、と思いました。
「どちらが先に抱きますか?」と聞かれ、私は「くーさんで」と言いました。
それがいいと思ったのです。
くーさんはそっとちーを抱いて、ずっと見ていました。
「オムツ取り替えてくださいね~」と職員さんに言われ、私はちーのオムツを取り替えました。
小さい、小さいオムツ。ちゃんと準備してきたのに、私の手は震えて全然うまくできません。

その日、私とくーさんは「お母ちゃんとお父ちゃん」になりました。

※上記に書いたのは、私とくーさんとちーの場合です。同じ団体に登録しても、同じ期間で同じようになるわけではないと思います。ですから参考までにということでお願いします










ちーと出会うまで③(特別養子縁組にいたるまで)

すーです。つづきです。

数少ない私に出来る治療をした後、くーさんに少しづつ特別養子縁組の話をしました。
私が欲しかったのは、夫婦二人の子ども(血がつながっていなくても)。
だから、くーさんの思いを聞きながら、私の想いを伝えながら、数年を過ごしました。

その間に、私の住むS市の里親会に参加してみたり、某特別養子縁組の会の説明会に参加したり、某協会から書籍を購入して読んだり、インターネットで見つけた団体のHPを毎日見たり…。ちょこっとづつ情報収集はしてました。

そして2人の気持ちが1つになった(大げさかな)32歳の秋、主治医の先生に養子縁組を考えているので診断書を書いて欲しいと頼みました。
30代って「まだ若いのに」って言われるのが、とても嫌でした。
それをお守りにして、特別養子縁組の道を歩み始めました。つづく。






ちーと出会うまで②(治療)

すーです。つづきです。

あ、書くのを忘れていましたが。
私は、生理と排卵がないだけ(まあそれが大問題なんですが)で、主治医の先生からも「子どもを望まないのであれば、何も問題はないです」(まあそれが大問題ですが)と言われてました

私は排卵がなかったので、普通の人がするような不妊治療はかじるほどしかしていません。
現在の医学ではこれ以上治療は出来ないといわれるまでに時間はかからず…。
だから治療をしながら、そのほかの可能性は考えていました。(できるかは別として)卵子提供を受けての出産とかね。
卵子提供を受ければ、くーさんの遺伝子を残すことができる。
本当は残したかった。遺伝子を残せないのは、私だけでいいと思った。
でも。私は、それを選ばなかった…。

私が何より諦め切れなかったのは「子どもを産む」ことではなく「子どもを育てる」ことだったんです。
そして私にとって「特別養子縁組」は、とても自然なことでした。

そしてやれることをすべてやった30代前半。
特別養子縁組という、もう一つの方法を考え始めました。つづく。










ちーと出会うまで①(生理がこない!そして結婚して)

すーです。
私とくーさんのことを書きます。

私(すー)は20代前半で急に生理が来なくなり・・・とっても元気で、大きい病気など一つもなく過ごしていたので、かなり驚きました。
怖くなって早々に婦人科を受診。
生理を起こすためのホルモン剤を飲む治療をします。
でも結局、自力で生理を起こすことは出来ず・・・。
そして、排卵もありませんでした。
当時は独身だったので、婦人科の先生には結婚して子どもが欲しいときはもっと詳しい検査を言われ、それ以上詳しい検査はしませんでした。

25歳で結婚。
詳しい検査をするために大きい病院を紹介してもらい、原因を探る検査をしました。
全身麻酔をして腹腔鏡を使っての「生体検査」もしました。卵巣の組織の一部をとり、卵子のもとになる「原始卵胞」の数を見るというもの(たぶん)。
出た結果は、原始卵胞が見つからず妊娠はかなり難しいというものでした。
病名は「卵巣機能不全」らしいですが、「早発閉経」の方が分かりやすいですね。

妊娠が難しいと分かった後に、排卵誘発剤を毎日打ち続ける治療を2ヶ月間しました。
でもやっぱり排卵することはありませんでした。

つづく。






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