政権を賭けた「2兆円ばらまき大作戦」の定額給付金とはいったいなんだったのだろう。
当の自民党は与党から転落し、今や分解寸前状態、
130万世帯の行き場を失った190億円が国庫へと返納された。
(11月30日時点の総務省のまとめによる)
昨今の社会貢献ブームに乗じて、地方自治体が寄付活動へと促したが、
成功したのは、横浜市の9778万円くらいで、あとは、煩雑な手続きが足かせとなり、ほとんど効果がみられず、首都圏に属する川崎市でさえ、約23万円しか集まらなかった。
寄付が少なかったのは、初めての試みだけに、いたしかたない部分も大きが、問題なのは、やはり、市民の手にとどかず国庫に返ってしまった190億円だ。
「金は天下の回りもの」といわれるように、お金は循環してこそ経済活動を生むのに、こんなにも、放置されてていいのだろうか・・・
結局は、国民の無関心と政府の押しつけという一方通行の政策が引き起こした大失敗だ。
政治には、やはり、国民の気持ちを吸い込むような引力がなくてはならない。
「相手が何を喜ぶかよ〜く考えてごらん。一生懸命相手の気持ちになってみるんだよ」
「今の二人の関係で、手編みのセーターをあげて彼は本当に喜ぶと思う?相手がどれくらいこちらに関心があるかを見極めないと、重苦しくなるだけだよ。」
「高級ブランド時計?本当に愛がこもってる?すぐ質屋に持って行かれちゃうんじゃない?」
今の自民党へは、失恋してしまった恋愛初心者へのアドバイスがふさわしいだろう。

国民が喜ぶ事をせよ!というと、
すぐに、「ポピュリズムを推奨している」との批判を受ける

しかし、そうではない。
なぜ、ポピュリズムがおこるか、
それは、メディアが国政ばかりをとりあげるからだ。
全国統一のニュースばかりを流すからだ。

成熟国家の国民が必要としているのは、
国民としてではなく、市民として考える力だ。
自分の身の回りに直結したごみ問題、環境問題、税金問題、教育問題
すべて、地方それぞれの立場で市民一人一人が考え、自治会レベルで話し合うべきことだ。(私の主張する「政治への吸引力」とは、政治への参加意欲を市民に促す魅力的な政策の事をさす。TVや新聞上での記事に白熱するよう国民に促すことではない。)

それを、メディアが全国統一的にあたかも全国民代表のように、これは悪いこれはいいと評価してしまうから
○か×かの二元論を生みだし、ポピュリズムへと国民を暴走させてしまうのだ

ある時の国政選挙では、郵政を民営化するしないの問題だけを(他の論点をまるっきり度外視して)独り歩きさせ、最終的には、郵政の問題さえもどうでもよくなって、自民党ぶっ壊せ一色で世論を染め上げ、
昨今では、政治家Vs官僚という単純対立構造によって官僚バッシングで世論を染め上げた。(そんな事をやっても、霞が関はびくともしない)

国民の判断をゆがめてしまう報道。
すべての根源は、情報の東京一極集中にある。

外交・安保は国が国民と語る題材としてふさわしいが
税制や教育なぞは国が主導となって考えることではない。
地方自治体と市民が語るべき題材だ。

早く、地方分権が進み、国民が市民として、もっと自分達の身の回りの地道な活動に参加し(だんだんそうなりつつあるが)、自分たちで自分達の町を守るという意識を高め、自分自身がメディアの発信源だと自負を持つ時代へと移っていってほしい。(ネットのお陰でインフラはそろっている)

政策に100点などありえない。
ある政策を導入すれば、必ず、損をする人と得をする人がでるのだから。
農家に競争を促せば、失業する農家は必ずでてくる。
それを、お互い補完しあえるのも、国レベルでなく、市民一人一人の思いやりと革新的なアイディアに基づく、きめ細やかな支え合いの政策(サービスの提供)だろう。全国画一的な手法では解決できない。

どんなに「工夫せよ」と地方に発破をかけても、過疎地域など、自立に困難をきたす自治体はでて来るだろう。
そこで、初めて国が登場する出番がやってくるのだ。
国は、他の自治体へ協力を呼び掛ける(潤ってる地域から困っている地域への資本[ヒト・モノ・カネ]の還流)といった、調整役を果たせばよいのだ。

国民として、そして、市民として。
この二つの軸から物事を冷静に判断する能力を養うためには、やはり、日々の情報収集をおこたらず、世論を知ることで、世論に巻き込まれないようにすることが大事だろう。
ついつい新聞をため込んでしまう自分への自戒の念も込めて・・・。