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京阪八幡市駅のそば、ケーブル線をくぐったところに階段がある。
ここが心霊スポットとして有名になった、「野戦病院跡」とか「軍人病院跡」とか呼ばれる場所の登り口となっていた。
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実際には病院跡などではなく、ビルマ仏教の布教センター建設予定跡なのである。(ネットではよく「ビルマ僧院跡」と呼ばれているようだ。)

八幡市教育委員会が発行した、「男山で学ぶ人と森の歴史」の中でそれらに触れられているので、そのまま抜粋してみた。



山の乱開発


 現在では、木々の緑で覆われている男山も、過去には乱開発によって一部はげ山となっていた時期がありました。

 昭和三二年二月、ビルマ仏教の布教活動を進めていた日本釈尊正法会は、活動拠点となる施設の建設予定地を、男山鳩ヶ峰周辺に決め布教センターの建設工事を開始しました。町の商店街では、これまでの八幡宮参拝者だけではなく、神仏二本立ての客目当てに特価サービスが計画されるなど、経済的な期待も大きかったようです。

 布教センター建設について、当時の青写真では、高さ三十メートルの僧院や世界平和パゴタの建設、ビルマ戦没者供養塔・戒律堂・信者会館・動物園まで備えた計画がなされ、正法会は資金集めと宣教のために日本各地で巡回講演を予定していました。六月には起工式も行われましたが、このとき予定地では約五百坪の整地作業が済んでいました。八月には建設予定地の鳩ヶ峰山頂でダイナマイトをしかけ、用地の造成等開発が先行する形ですすめられました。しかし、この計画は、ビルマ政府の援助をあてこんでいたため、その後、資金難や土地所有者との意見の食い違いなど種々の問題が生じ、頓挫することとなりました。

 さらに、このとき布教センター予定地の西側の斜面では、砂利採取も行われていました。当時の日本は、戦後の高度経済成長期の中にあり、利潤追求、開発優先の風潮によって、遺跡保存はいうに及ばず生態系や自然環境の保全は省みられることはありませんでした。そのため、住民の心のよりどころであり、神の鎮座する男山はかつてないほどに痛ましい姿となっていました。


そして、石塔があると一部では伝えられているが、これは昭和15年10月に紀元二千六百年を記念して建てられた「天業恢弘八紘一宇」の石塔であり、病院ともビルマ僧院ともまったく関係がないものである。

現在は階段に厳重な柵がされている。
私有地であるのでむやみやたらに入るのは控えたほうがいいだろう。

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