2008年12月11日
哀悼:地唄舞の名人・山村楽正師匠

【 舞わせてもらいます−−山村楽正の世界 】池田陽子
何度も舞台を見させて頂いた。
「凛」と言う言葉がピタリッとはまる毅然とした「舞姿」でありました。上方舞、地唄舞、と言えば、楽正師匠が一番でありました。芸の持つ威力は身震いするほど「殺気」立っていて怖いものがありました。しかし、私には、そういう舞台を見る時がなんとも言えず【至福の時】でありました。正直、今、相当、ガックリきています!
●舞踊批評家協会
【36th舞踊批評家協会賞】
山村 楽正
【授賞理由】
山村流伝承の、上方唄「ぐち」と地唄「山姥」にみせた至芸に対して。
石川 健次郎
山村流の名手として知られる山村楽正が、昨秋めずらしく東京公演「山村楽正・伝承の会」(9月23日国立大劇場)で、上方舞「ぐち」と地唄「山姥」を舞い、近年稀に見る至芸であった。山村楽正は大阪市の出身で、三歳で山村流三世宗家に入門、十三歳で二代目山村らくの弟子になり翌年楽正の名を許された。らく没後は、山村流四世、五世、現六世宗家について山村流の伝承発展に大いに尽力してきた。
今回、伝承の会で上演した舞二題はいずれも彼女が得意とする演目で、上方唄「ぐち」は艶物の典型として、恋人への思いを描いた女心が、楽正の艶やかな演技によって見事に魅了された。一方地唄「山姥」は能の流れを汲んで、地唄山姥の後半にあたる、山姥の山廻りの件を舞ったが、楽正は格調の高い山村流の伝承に天性の持ち味を発揮してその至芸の業を見せた。
さて、山村楽正への本賞贈呈は遅きに過ぎた感はあるが、同師は大阪を中心にした公演が多く、例えば上方舞を守る会の「舞の会」や、なにわ芸術祭「舞扇会」など、それに京都南座・大阪中座公演の「山村楽正・舞わせてもらいます」などが定期的に成果を挙げてきただけに、今回のような東京公演は特異な反響を呼んだ
●元気のヒミツ
山村 楽正さん(84) 気です、気の張りです
「お風呂へ行く途中、ええ三味線が聞こえてきますねん。見上げたら2階で舞うてはる」−あれ習いたい、と手を引く母にねだった。まだ3歳で、大阪生まれの難しい地歌舞に惹かれた。どうしても舞いたくて、ひとりでその家を訪ねる。「あれっ、どこのコイちゃんや?」「うち、(弁天)座裏のお茶屋の子や」。こうして山村流宗家に入門。「お三味線も習いたい」と父にせがんで地歌の師匠にも付く。以来、81年の舞踊人生である。
「大病は、はしかぐらい。体の中はいつも舞のことばっかり。病気が入って来にくいんでっしゃろね」一人娘で女王様だった。小学校時代は男の子に馬乗りになって泣かせたほどのお転婆娘。「女学校より舞や」と言い切り、14歳で山村楽正を名乗る。舞、地歌ともにめきめき上達して早くから師範代に。17歳で結婚した夫を南方戦線で失った。
1973年から毎日放送「素人名人会」の審査員になり、はんなりした批評で人気者になった。技量と人気を認めた松竹が85年から京都・南座で「山村楽正 舞わせてもらいます」を7回催し、道頓堀・中座(閉館)でも87年から9回開催。当日券の売れる稀有の舞踊家として名をはせ、東京公演もたびたび。大阪文化祭賞、大阪市民文化功労賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞し、紫綬褒章、勲四等宝冠章を受けた。
今でも1カ月のうち大阪で8日、名古屋で4日、東京と岡山で1日ずつ稽古を付ける。「私みたいな者(もん)でも喜んでくれはるうちは・・・」と謙虚だが、稽古は厳しい。気が抜けている弟子には「集中しなはれ」ときつく叱る。
「元気のヒミツは、やっぱり気、気の張りでんな。何でも気力が充実してんとあきまへん」。今年は若い頃にみっちり仕込まれた山村楽(2代目)の70回忌に当たる。秋に追善舞踊公演をする計画で、先頭に立って早くも準備を始めている。 (崎)
今、びっくりしています。
ドンドン名人上手が鬼籍に入られるものだから、寂しい限りです。
続 き ま す !

●毎日新聞 2008年12月11日 大阪夕刊
訃報:山村楽正さん 85歳 死去=日本舞踊家
◇上方舞の名手、素人名人会
上方舞山村流の名手、山村楽正(やまむら・らくしょう<本名・子守たみ=こもり・たみ>)さんが11日、膵臓(すいぞう)がんのため死去した。85歳。葬儀は未定。
大阪の道頓堀に生まれ、3歳で山村流三世宗家、舞扇斎吾斗(ぶせんさいごと)に入門。後に二代目山村らく、三世宗家・若に師事。少女時代から注目され14歳で名取。「鉄輪(かなわ)」「珠取海女(たまとりあま)」など、抑制のきいた品格ある舞は高い評価を得た。「からくり的(まと)」では何役も舞い分けるなど卓越した表現を見せた。特に扇の扱いと表現は群を抜き難曲「歌右衛門狂乱」も代表作の一つ。
1973年から27年間、毎日放送の「素人名人会」の審査員を務め的確な批評と、気さくな人柄でお茶の間の人気を得た。ファン層は幅広く、リサイタルを京都・南座や大阪・旧中座で開催。舞踊公演で大劇場を満員にしたのは前代未聞だった。芸術選奨、紫綬褒章などを受けた。
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●(2008年12月11日14時36分 読売新聞)
山村楽正さん=上方舞山村流の舞踊家
山村楽正さん(やまむら・らくしょう、本名・子守タミ=こもり・たみ=上方舞山村流の舞踊家)11日、膵臓(すいぞう)がんで死去。85歳。告別式は親族らで行う。喪主は養子、楽道(らくどう)さん。大阪市出身。3歳で山村流三世宗家に入門。その後、二代目山村らくさんに師事し、15歳で楽正を名乗った。
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●ZAKZAK 2008/12/11
上方舞の第一人者・山村楽正さん膵臓がんで死去
上方舞の第一人者、山村楽正(やまむら・らくしょう=本名、子守タミ=こもり・たみ)さんが11日午前9時50分に膵臓がんのため死去した。85歳。近親者のみで密葬を行い、後日に改めて葬儀・告別式を行う。喪主は芸養子、山村楽道(やまむら・らくどう)氏。1923年大阪市生まれ。3歳で山村流宗家に入門。16歳で名取、山村楽正を名乗った。以来、上方舞ひとすじ。大阪・毎日放送「素人名人会」の審査員を長く務めた。紫綬褒章、勲四等宝冠章など受章。
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●サンケイ 2008.12.11 14:12山村楽正さん死去 格調高く、上方舞ひと筋
山村楽正さん
艶(あで)やかな舞で上方舞の第一人者として活躍した山村流のベテラン、山村楽正(やまむら・らくしょう=本名、子守タミ=こもり・たみ)さんが11日午前9時50分に膵(すい)臓がんのため亡くなった。85歳。近親者のみで密葬を行い、後日に改めて葬儀・告別式を行う。喪主は芸養子、山村楽道(やまむら・らくどう)氏。
大正12年大阪市生まれ。3歳で山村流宗家に入門。のちに山村らくの内弟子となり、16歳で名取、山村楽正を名乗った。以来、上方舞ひとすじ。格調高く、艶やかで凛(りん)とした舞姿、ときに洒脱に、ときに情念をたたえた舞で、上方の香りが匂いたつような上方舞の魅力を存分に見せた。
若いころは男舞を得意としたが、40歳を過ぎたころから、女の情念がはんなりと匂い立つような女舞に重点を移し、「ぐち」「葵上」などで観客を魅了。得意とした「歌右衛門狂乱」では、二本の扇を操りながら舞うなど扇使いのうまさにも定評があった。毎日テレビ「素人名人会」の審査員を長くつとめ、お茶の間にも広く親しまれていた。芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章、勲四等宝冠章など。
●2008/12/11 16:47 【共同通信】山村楽正さん死去 山村流舞踊家
山村 楽正さん(やまむら・らくしょう=山村流舞踊家、本名子守タミ=こもり・たみ)11日午前9時50分、すい臓がんのため大阪府吹田市の病院で死去、85歳。大阪市出身。葬儀・告別式の日時、場所は未定。喪主は芸養子の山村楽道(らくどう)氏。日本舞踊の山村流宗家に入門。義太夫、地唄を学びながら、山村らくの内弟子に。1937年から楽正を名乗る。大阪のほか東京、名古屋、岡山でも門下の育成を図る一方、民放の長寿番組「素人名人会」で長年、審査員を務めた。91年に「芦刈」で芸術選奨文部大臣賞を受賞、93年に紫綬褒章を受けた。
●asahi 2008年12月11日13時38分上方舞一筋82年、山村楽正さん死去
入門から82年を舞にささげ、気品と情念の凄(すご)みを兼ね備えた芸風で上方舞の代表的存在だった舞踊家、山村楽正(やまむら・らくしょう、本名子守タミ〈こもり・たみ〉)さんが11日、膵臓(すいぞう)がんで死去した。85歳だった。通夜は近親者のみで行う。本葬の日取りは未定。喪主は芸養子の山村楽道(らくどう)さん。
1923年大阪市生まれ。3歳で上方舞の名門、山村流の三世宗家に入門。品の良さの中にも華やかな色気がにじむ舞い姿で頭角を現し、38年に楽正の名を許された。「葵の上」「鉄輪(かなわ)」などの大曲で新境地を開き、01年には半生や芸談をまとめた「舞わせてもらいます」を出版。80歳を超えても東西で「伝承の会」などを開催、舞い続けた。毎日放送のテレビ番組「素人名人会」の名物審査員としても人気を博した。
ジャンルを超えた広い交流でも知られ、桂米朝さん、永六輔さんと共に公演を開くなど、上方舞の普及にも尽くした。91年芸術選奨文部大臣賞、93年紫綬褒章。
●時事通信 (2008/12/11-16:57)山村楽正さん死去(上方舞山村流舞踊家)
山村 楽正さん(やまむら・らくしょう、本名子守タミ=こもり・たみ、上方舞山村流舞踊家)11日午前9時50分、すい臓がんのため大阪府吹田市の病院で死去、85歳。大阪市出身。告別式の日取りは未定。喪主は芸養子の楽道(らくどう、本名上田信二=うえだ・しんじ=)氏。3歳で山村流三世宗家に入門し、14歳で名取に。格調高くつややかな舞の名手として活躍した。芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章など受けた。(了)
山村楽正師匠、
長い間、お疲れさまでした。
ごゆっくり、お休み下さい!
さようなら…
心より御冥福を御祈り申し上げます。






































































