やきゅう


朝日新聞と朝日放送が共同で運営しています。
バーチャル高校野球‏(ライブ)

中継映像・ピッチャー視点・バッター視点・球場全景 この4視点で画面映像が見られる!
試合経過・チームデータ・投手情報・打者情報 情報もある。
高校野球の情報がこの1ページにテンコ盛り。
テレビより、コッチを見た方がいいかもよ!


なににしろ、
平和が一番です。
スポーツも楽しめる。
芸術も楽しめる。
可笑しな政府なら抗議の声が上げられる。
これは、なんたって平和だってことですからね!

ということで、
今日は、
この時期だからこそ考えたいこと。
忘れてはならない問題を考えたいと思います。
年に、数日だけでも、こういう日があっていいのだと思います。

従って、
参考記事に、
参考動画ばかりです!







【明日世界が終わるとしても】核なき世界へ ことばを探す サーロー節子


【BS1スペシャル】明日世界が終わるとしても「核なき世界へ ことばを探す サーロー節子」【2017.08.12】
2017年8月12日(土) 午後10時00分(50分)

カナダで暮らすサーロー節子さん、85歳 自らの被爆体験を異国の地で言葉にしてきた
歴史や文化の異なる国で、違いを越えて分かり合うために必要なことは?
今年7月、国連で採択された「核兵器禁止条約」 節子さんが会議場で思いを語る
「信念の人」を描くドキュメンタリー「明日世界が終わるとしても」。第4回は、カナダ在住の被爆者・サーロー節子さん、85歳。13歳で被爆した少女は、大学卒業後、アメリカへ留学。批判や無関心に直面しながらも、体験を語り続けてきた。どうすれば伝わるのか、今も相手に届く“ことば”を探し続けている。この夏、国連で演説し、大きな拍手を受けたサーローさん。核なき世界へ、命をかけた半年間の記録。
【出演】サーロー節子,【語り】上白石萌音



    当  ブ  ロ  グ  へ  の
    皆 様 の ご 支 援 に 感 謝 致 し ま す! あ り が と う ご ざ い ま す!






  NHKはナニを考えているんだかな、って思いは強い!
  時間を変えて全番組を地上波で放映してくださいよ!!!
     ▼     
  NHK総合:NHKスペシャル「本土大空襲」
  BS1:「幻の原爆ドーム ナガサキ 戦後13年目の選択」
  BSプレミアム:スペシャルドラマ「返還交渉人 いつか沖縄を取り戻す」






【BS1スペシャル】「幻の原爆ドーム ナガサキ 戦後13年目の選択」



s-20170809幻の原爆ドーム


■【BS1スペシャル】【2017.08.12】
【BS1スペシャル】「幻の原爆ドーム ナガサキ 戦後13年目の選択」
2017年8月12日(土) 午後9時00分(50分)
http://www4.nhk.or.jp/bs1sp/x/2017-08-12/11/7897/2907064/

かつて長崎にも“原爆ドーム”があった。爆心地近くにあった教会・浦上天主堂だ。戦後、原爆の悲惨さを語る遺構として、注目されていた。長崎市はずっと保存する方針だったが、突如、長崎市長と教会のトップが取り壊しを主張。市民の反対運動もむなしく、姿を消すことになった。決断の背景には何があったのか?長崎市と教会、二人のトップの足跡をたどってアメリカへ。さらに当時を知る関係者を徹底取材。大いなる謎に迫る。
【出演】宮崎香蓮,【語り】松重豊


  【終戦の日】をいつの日かとする問題。

   1945年08月14日
  日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日。

  ◆1945年08月15日
  玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日。

  ・1945年09月02日
  日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日。

  ぁ1945年09月03日
  中華民国やソビエト連邦、連合国ではない中華人民共和国の対日戦勝記念日。

  ァ1952年04月28日  
  日本との平和条約(サンフランシスコ平和条約)の発効により、国際法上、連合国各国
  (ソ連(当時)等共産主義諸国を除く)と日本の戦争状態が終結した日。
       ▼
  サンフランシスコ平和条約が発効して日本が完全な独立を回復した日であることから、
  「主権回復の日」や「サンフランシスコ条約発効記念日」とも呼ばれている。
  連合国軍の占領下にあった1952年(昭和27年)4月27日までの新聞紙上では、
  9月2日を降伏の日や降伏記念日や敗戦記念日と呼んでいた。
  =以上=

  そうね、
  「敗戦記念日」と呼んでいた。
  「終戦記念日」じゃないんですね。
    






「本土空襲 全記録」20170812





NHKスペシャル「本土空襲〜日本はこうして焼き尽くされた〜 - 17.08.12



dailymotion.【NHKスペシャル】本土空襲〜日本はこうして焼き尽くされた〜(仮) 17.08.12
dailymotion.【NHKスペシャル】本土空襲〜日本はこうして焼き尽くされた〜(仮) 17.08.12
dailymotion.【NHKスペシャル】本土空襲〜日本はこうして焼き尽くされた〜(仮) 17.08.12
dailymotion.【NHKスペシャル】本土空襲〜日本はこうして焼き尽くされた〜(仮) 17.08.12



  本当に教育って恐いと思った!
  学校の教師に洗脳されて行くんだね。
  軍国少年、少女の教育されていく。
  そら、恐ろしい思いで見ていました。
  
  子どもたちを洗脳していた教師は、
  戦後、どのように思っていたのか聞きたいぐらいだわ、…。
  ナニを目指して教師になったのか?って。

  心底、
  よく分かりました。
  学校の教育が如何に大事かってこと。
  全国の学校が森友化して行ったら最終的にこうなるのだと、…。

  学校の教科書に「育鵬社」を採用してはならないのだと!
  全国で6,7%だから云々ってことで許してはいけないのだと!
  
  歴史に学ばないような教科書は不必要であるばかりでなく害毒ですらある。  
  自国の歴史を学ばせないで、よくも教科書が書けたなって思うね。
  東大のあの先生は、…。
  
  日本が戦争の被害者になったこと、
  日本が戦争の加害者になったこと、
  両方とも教えること。
  それらのことを、
  お子さん自身の自分の頭で考えられる教育をしてほしいっと。
  
  そして、
  二度と戦争のない国家として恒久に有り続けて欲しいと願うばかりです。

  それと、
  九州の地に特攻が集結した意味も、「そうだったのか!」と。

  しかし、
  これだけは言えること、
  特攻に指示を出した奴も、
  子ども達に洗脳教育を施した連中も、
  全国民を戦闘に総動員する義勇兵役法を制定した連中も、  
  誰も戦争の最前線に行って死んではいないってことだね。
  
  他人に国のために死ね死ねと言いながら、
  自分は安全地帯にいて威勢のイイこと言い続けていた。
  こんなやつらこそ糾弾されなければならなかったはずなのに、。。。

  


s-20170809大空襲


【NHKスペシャル】本土空襲 全記録(本土空襲〜日本はこうして焼き尽くされた〜(仮))【2017.08.12】
初回:2017年8月12日(土) 午後9時00分(50分)
再放送:2017年8月16日(水) 午前0時10分(50分)
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170812

逃げ惑う人。低空から容赦なく機銃が連射される・・・。戦闘機に装備され、機銃を撃つと自動的に作動する「ガンカメラ」の映像がいま相次いで発掘されている。また米国立公文書館で、B29が名古屋・大阪を焼き尽くした際の空襲映像も新たに見つかった。太平洋戦争で行われた日本本土への空襲。その規模の甚大さゆえに捉えきれてこなかった本土空襲の“全貌”が、ようやく見えてきた。これらを分析することによって、「いつ・どこで・何を標的に」攻撃を加えていたのかが明らかになる。膨大な発掘映像の分析に加え、米軍の作戦報告書、戦略爆撃に関する新資料、埋もれていた日本側の作戦、被害記録や証言を照合・データ化して地図上に落とし込むことにより、「日本本土空襲」の知られざる全体像に迫る。空襲の恐るべきスケールを可視化していくと、史上初めて「軍用機の戦争」と化した太平洋戦争が、なぜ無際限にエスカレートし、多くの無辜の命を奪う道をたどったのかが浮かび上がる。
【語り】ミムラ,濱中博久

【NHKスペシャル】本土空襲 全記録(本土空襲〜日本はこうして焼き尽くされた〜(仮))【2017.08.12】  書き起こしました!

<空襲の映像>

<うお〜〜〜〜〜ん・空襲警報>

【語り】ミムラ:72年前、私たち日本人は、空襲警報が鳴る度にモグラのように地下に身を隠した。はるか上空を飛ぶB−29から降り注ぐ無数の爆弾。

(ぶお〜〜〜〜〜ん・爆弾の投下音)

(ば〜〜〜〜〜ん・ばーん・ばーん・ばーん・爆弾の爆発音)

市民・男性:毎日爆弾が落こって、一度も寝られないんです、逃げなきゃだめだから。

市民・女性:炎がパッと上がると、みんないぶし焼きっていうかね。

【語り】ミムラ:空襲の実態はこれまでそれぞれの町では語られてきた。しかし、その全体像となると、あまりに空襲の数が多く明らかになっていない。

アメリカ人:Welcome to My Office.

【語り】ミムラ:今年、空襲の実態を示す映像がアメリカで新たに発掘された。

アメリカ人:これはガンカメラのフィルムです。

<ガンカメラの映像>

【語り】ミムラ:178カットに及ぶ戦闘機から、撮影された映像。アメリカ国立公文書館にも、大量の映像や攻撃記録が眠っていた。これが、日本各地で撮影されたガンカメラの映像。至近距離から銃撃される民家や港列車。子どもたちが学ぶ学校まで攻撃されていた。今回、新発見の映像や未公開資料など、空襲に関するあらゆる情報を集めた。爆撃や銃撃が、行われた日時場所規模、そして被害。資料と映像を突き合わせて細かくデータ化した。それらを基に、本土空襲マップを作成。これまで、断片的にしか分からなかった、空襲の全体像を描き出した。すると、空襲を受けた回数も、従来の見方よりはるかに多く、2,000に上り犠牲者はおよそ46万人に迫る事が分かってきた。更に、当初は軍事施設に限られた空襲が、日米の熾烈な戦いの中で果てしなく拡大していく、過程も明らかになった。日本人全てが標的になった。

アメリカ人:基地や軍需工場だけでなく、地上で動くものすべてが我々の標的でした。

【語り】ミムラ:投下された、焼夷弾2040万発。撃ち込まれた、銃弾850万発。データと映像から、見えてきたすさまじい空襲の実像。日本を焼き尽くした本土空襲の全貌に迫った。

<アメリカの航空ショーの映像>

【語り】ミムラ:今年6月アメリカで開かれた航空ショー。第2次世界大戦中の米軍機が空を飛ぶ。注目の的は長距離爆撃機B−29。

アメリカ人:今のアメリカがあるのは彼らのおかげです。(拍手)

【語り】ミムラ:超空の要塞と呼ばれるB−29は、アメリカ軍による日本本土空襲の主力だった。第2次世界大戦中4年の歳月と、30億ドルの巨額の費用をかけて開発されたB−29。航続距離は従来の1.5倍。日本からハワイまでとほぼ同じおよそ6,000kmに及ぶ。このB−29が本格的な本土空襲を可能にした。機体の腹には爆弾40発を搭載。焼夷弾なら一度に1,000発を投下できた。

<日本空襲に関する機密文書の映像>

【語り】ミムラ:今回発掘された、アメリカの日本空襲に関する機密文書。2万ページを超える戦闘報告書や、作戦計画書などである。NHKは、これらの資料と、記録映像を基に空襲の計画とその結果を、網羅した2種類の本土空襲マップを作成した。これは、本土空襲が始まる1年前、アメリカ軍が既に作成していた攻撃目標のリスト。標的は日本全国1,000か所を超えていた。兵器工場や飛行場航空機産業。軍事関係の施設に限定して、精密爆撃を行う事が当初の計画だった。こちらは、実際に空襲を行ったあとの報告書。爆弾を投下した日時と、場所、そして被害の規模がそれぞれ分かる。1,000の攻撃計画から、アメリカがまず目標に選んだのは東京の飛行機工場。この計画のために、アメリカはある島を押さえようとしていた。

<マリアナ諸島サイパンの映像>

【語り】ミムラ:マリアナ諸島サイパン。今は、ビーチリゾートとしてにぎわう島だ。東京までは2,400km。サイパンに、B−29の基地を作れば爆弾を積んでも日本まで往復できる。サイパンがあるマリアナ諸島を巡って、日米の熾烈な戦いが始まる。戦闘機の翼に取り付けられた記録用のガンカメラ。機銃を撃つと、自動的に撮影が始まるこのカメラが戦いを克明に写していた。日本軍との空中戦。当時アメリカは、太平洋で日本の勢力圏を次々と奪っていた。日本にとってマリアナ諸島は、本土防衛の要。激戦となった。

<1944年7月サイパン陥落>

【語り】ミムラ:7月サイパン陥落。当時島に住んでいた日本の民間人も巻き込まれ、日本側は合わせて5万人が犠牲になった。

アメリカ人:次の目標は東京だ。戦い抜いて勝利を収めたら全員でパーティだ。(軍人の拍手と歓声)

<戦争の実態を伝えるため遺体の映像が流れます。※ご注意ください!>

【語り】ミムラ:しかしアメリカ側もこの攻防で3,400人が戦死。日米互いに憎しみを募らせた。

<サイパンの映像・1944年11月日本の本土空襲開始>

【語り】ミムラ:サイパンに100機を超えるB−29が集結した。11月、最初の攻撃目標、東京の飛行機工場に向け飛び立った。標的は、中島飛行機・武蔵製作所。

<中島飛行機空襲映像>

【語り】ミムラ:中島飛行機は日本の主力戦闘機のメーカーで、ここではゼロ戦のエンジンを作っていた。これは、その工場を狙った空襲の映像。ほとんどの爆弾が標的から外れ、工場の外に落ち市民にも犠牲者が出た。工場から200mの位置に延命寺という寺があった。当時8歳だった住職の中里崇亮さん。

延命寺ご住職:中里崇亮さん(当時8歳):これは250キロ爆弾の破片。この爆弾が私の(家の)庭に落ちて、人が次々に亡くなるわけです。その時にですね、初めて亡くなった人を見ましたよ、私は。それはショックだったですよね。爆弾でですね、土がですね、口とか目とか、鼻とか、目とかに入ってですね、こうやって「万歳」して「あーん」って死んでましたね。毎日、爆弾が落っこちて空襲にきますからね、だから、一度も寝られないよ、逃げなきゃダメだから。

【語り】ミムラ:この空襲を記録したアメリカ軍の機密文書が存在した。B−29、24機が爆弾231発を投下したが、その命中率は僅か7%。満足できない結果だと記されている。本土空襲マップ。東京のあと愛知兵庫の飛行機工場も爆撃。2か月で13回の空襲が繰り返されていた。しかし、これらの空襲に参加したB−29延べ1,031機のうち、当初の目標を爆撃できたのは、半分にすぎなかった。それはなぜなのか。

<アメリカ。ペンシルベニア州の映像>

【語り】ミムラ:B−29の搭乗員だったディヴィット・レマールさん。本土空襲の作戦に22回加わった。軍需工場だけを狙ってはるか上空から爆弾を当てる事は、至難の業だったという。

B−29の搭乗員だったディヴィット・レマールさん:ターゲットは地図で把握していましたが、日本の上空は天候が不安定で、いつも嵐が吹き荒れていました。ですから、高度を上げたり下げたりしていたんです。

【語り】ミムラ:B−29は日本軍の迎撃を避けるため、1万mもの高度で飛んだ。だがそこは、風速100メートルのジェット気流が吹き荒れ、厚い雲が視界を阻む空だった。アメリカ軍が計画した精密爆撃は行き詰まっていた。

<アメリカ国防総省(ペンタゴン)の映像>

【語り】濱中博久:アメリカ陸軍航空軍は、日本本土空襲の指揮官を更迭し、ある人物を呼び寄せました。カーチス・ルメイ少将。都市への無差別爆撃でドイツを苦しめた指揮官です。ルメイは、本土空襲の方針を精密爆撃から無差別爆撃へと、大きく転換させました。軍需工場に当てるのが難しいなら都市全体を、住民もろとも標的にしようという作戦です。民家の中には小さな工場も入り交じっていると、無差別爆撃を正当化しました。

カーチス・ルメイ:日本人は薄っぺらい木造家屋が密集している街に暮らしている。そこで、日本の二階建ての家屋を再現し焼夷弾による延焼実験を行った。

【語り】濱中博久:ルメイは本土空襲用の兵器として、新型の焼夷弾を採用しました。粘りけを加えたガソリンが充填されています。燃焼力を高め、消火しにくい工夫も凝らした新型焼夷弾。アメリカは、実物大の日本の家屋を再現し、実験を繰り返しました。3月10日、焼夷弾を満載したB−29、325機が日本に向かいました。東京大空襲です。

<東京大空襲の映像(これはたまらないわ…)>

【語り】濱中博久:新型焼夷弾32万7,000発が住宅密集地にばらまかれました。この空襲で、12万を超える人々が犠牲になったと見られています。

浅草で空襲に遭遇・柴田恵喜さん:ものすごく火の手が上がって本当に紅蓮の炎だったですね。どんどん広がっていくんです。それであのー、消防車が、あのーホースで水をかけても消えたもんじゃないですね。焼け焦げたね、死体が転がって、最初はね、何かなという感じでしたけれどね。いくつか見ると人間が焼け死んだんだと、こうなったりね、あの、…。しかもね、焼夷弾による火ですからね、言ってみれば、空からガソリンをまいて火をつけられたよう、そんなようなもの。ひどいもんだな、この世の地獄というけれど本当だなって言う。

【語り】濱中博久:暮らしを根こそぎ奪われた日本の市民の間に、復讐を誓う声が高まりました。一方のアメリカ。ルメイ少将は空襲の翌日こう宣言しました。

カーチス・ルメイ:私は約束する。もし、ジャップが、この戦争を続ける気なら奴らにはすべての都市が完全に破壊される未来しか待っていない。

【語り】濱中博久:ルメイによる無差別爆撃が実行に移された背景には、何があったのか。日本軍がこれまでに中国で行った爆撃。1938年から日本は、当時国民政府の臨時首都だった重慶を、長距離爆撃機で200回以上空襲。焼夷弾も使った攻撃で1万人以上が犠牲になりました。都市に、継続的な無差別爆撃を行った史上初の例でした。日本への爆撃は当然だと見る空気が、アメリカにはあったのです。東京大空襲の翌日から、ほかの大都市にも無差別爆撃が次々と行われました。
名古屋、大阪、神戸。

<本土空襲>

【語り】濱中博久:192万発の焼夷弾による空襲で、市街地が焦土と化しました。本土空襲による犠牲者は、累計で14万人を超えました。一方、アメリカ軍のB−29にも、日本の迎撃部隊の応戦で損害が出ていました。マリアナの基地に戻ったB−29には無数の銃弾の跡。戻らない機体も数多くありました。

<B−29の撃墜を日本が宣伝する映像>

【語り】濱中博久:B−29の撃墜を日本が宣伝する映像です。空襲開始から4か月でアメリカ軍が失ったB−29は105機。搭乗員の死者行方不明者は864人。捕虜になる者も多くいました。

<アメリカ側の宣伝映画>

【語り】濱中博久:こちらはアメリカ側の宣伝映画。捕虜になったアメリカ兵への残虐な仕打ちを国民にアピールしました。

アメリカ側の宣伝映画の音声?:米兵捕虜を拷問し、飢えさせ拷問しました。日本兵に対して正義をもたらす。すべての飛行機がジャップを殺す!皆さん、今日は。ジャップを殺しましたか?(銃声)

<本土空襲マップ>

【語り】ミムラ:4月から6月にかけての本土空襲マップ。攻撃対象が広がった。軍港のある呉や、飛行場のある鹿屋など、地方の軍事都市である。空襲が拡大した背景にはこの島があった。硫黄島。

<硫黄島の映像>

【語り】ミムラ:アメリカは日本からこの島を奪い、最新鋭の戦闘機を配備しようとしていた。戦闘機は航続距離が短く、サイパンからは日本を攻撃できない。硫黄島に基地があれば、そこから出撃し、B−29を護衛して、」共に日本を空襲する事ができる。硫黄島を巡る争奪戦は、熾烈なものとなった。海岸に築かれた日本の陣地を銃撃する様子が、ガンカメラに記録されていた。アメリカの上陸部隊が、島に一気に押し寄せた。一月後、アメリカは硫黄島を占領。そこにB−29の護衛を専門とする部隊が配備された。アメリカ第7戦闘機集団。最新鋭のP−51戦闘機100機以上が、本土空襲に加わる事になった。

<アメリカ・フロリダ州の映像>

【語り】ミムラ:P−51の元パイロット、ジェリー・イェリンさん。

P−51の元パイロット・ジェリー・イェリンさん:この車、まるでP−51戦闘機に乗っているみたいなんですよ。

【語り】ミムラ:愛車のナンバーは、P−51・硫黄。4か月にわたって日本への空襲に加わった。

P−51の元パイロット・ジェリー・イェリンさん:これは、私の部隊です。ゼロ戦が、B−29を攻撃しょうとしていました。そのゼロ戦を、私は背後へ回って撃ちました。パイロットがパラシュートで脱出し、そのまま私の目の前に飛んできて一瞬、目があいました。ゼロ戦がいなくなったので、B−29は爆撃をはじめました。日本人が焼け死んだところで、彼らは所詮人間ではなく敵。それが戦争なのです。硫黄島では7,000人近い仲間のアメリカ兵が殺されました。私は、仲間の死体のにおいを毎日嗅いでいたんです。「敵陣の真っ只中につっこんで日本人を殺すんだ」と言う殺意が私の胸にあったことは確かです。

【語り】ミムラ:イェリンさんたちP−51部隊が護衛についたことで、日本は急激に制空権を失っていった。このことが、本土空襲を地方の軍事都市にまで拡大させた。P−51部隊には護衛のほかに新たな任務が与えられた。ガンカメラの映像の分析からそれが詳細に見えてきた。P−51はB−29と別行動をし始めていた。

アメリカ第7戦闘機集団史科研究家 マーク・スティーベンスさん?:日本の戦闘機が迎撃してこなくなったので、B−29の護衛は不要になりました。そこでP−51に与えられた新たな任務。それは地上への攻撃でした。

【語り】ミムラ:その標的は飛行場に並ぶ軍用機や燃料庫。超低空から、肉眼で見ながら、攻撃し日本の戦闘力を徹底的に奪っていった。低空からの攻撃がいかに有効だったか。日本の研究者たちの映像解析でも分かってきた。

<ガンカメラ映像分析チーム>

ガンカメラ映像分析チーム:迷彩だな。

【語り】ミムラ:上空からの空襲を避けるため、迷彩を施したこの軍事施設も低空からの攻撃には、無力だった。

ガンカメラ映像分析チーム:かなり細かく迷彩を施しているな。
低空からしたら目立つ。
バレバレだな。

【語り】ミムラ:こちらはアメリカ軍をかく乱するための偽物の戦闘機。最初はつられて銃撃したもののすぐに見破られた。

ガンカメラ映像分析チーム:こういうふうに機体がきれいに並んでますけども、よく見ると下が、本来、ここに車輪があるけれど、車輪じゃなくて「つっかい棒」。だからもうダミーってわかります。

【語り】ミムラ:6月中旬までにB−29の爆撃と、戦闘機の低空からの銃撃でおもだった飛行場や軍事都市は、軒並み破壊された。本土空襲開始からの犠牲者は、18万人を超えた。

<本土空襲マップ>

【語り】濱中博久:アメリカ軍は攻撃の手を緩めず空襲の範囲を更に広げていきました。新たな計画を示す本土空襲マップ。これまで標的となったおよそ40の都市に加え、北海道を含む地方の中小都市180にまで拡大していました。もはや大都市には破壊すべき標的がなくなり、空襲と無縁だった町も次々と攻撃されるようになりました。1945年7月の本土空襲マップ。ターゲットとして鉄道が狙われるケースが、この月になって急増している事が分かりました。マップに落とし込んでみると、攻撃された場所の数はひとつきで160か所に上りました。ガンカメラが捉えた鉄道への機銃掃射。場所は奈良県王寺駅。その時列車には学生たちがいました。

<奈良県王寺駅>

鈴木知英子さん(当時13歳):突然、空襲警報が出たの。キャーキャー泣きわきながら列車から降りて、それこそみんな、押し合いへし合い、泣きわきながら行きましたね。

【語り】濱中博久:低空からの激しい銃撃。鈴木さんは背中を撃たれました。近くの自宅まではって逃げたもののそこでまた撃たれ倒れました。

鈴木知英子さん(当時13歳):(銃弾は)こんな小さなものですよ。こんな小さなものが体中ボロボロにするんですよ。これが40年間分からんと(←分からないで)、(体の中に)持ってたから鉛毒で体がボロボロになるまで分からんかった(←分からなかった)

【語り】濱中博久:今も体には銃弾を受けた跡が残っています。

鈴木知英子さん(当時13歳):何でそんな、ねえ、ニヤッと笑いながら何で撃ってくんの?
顔も見えてるし。私の邪推かもしれへんけど、その時間は勤労奉仕に行く女学生やら中学生がイッパイここから、王子駅から乗ると分かってて狙ったかも分からんと、話したりするんですよ友達と。

【語り】濱中博久:なぜ鈴木さんたち学生が乗る列車が狙われたのか。まさにその日の攻撃の報告書が見つかりました。列車を銃撃し破壊したことが記録されています。ところが、当初の攻撃目標を見ると「大阪の飛行場」と書かれています。実はこのころ、日本の飛行場に戦闘機は少なくなっていました。パイロットは自らの判断で目標を変更し、撃ってよいとされていました。これは臨機目標と呼ばれました。この事が攻撃対象を更に拡大させていったのです。

P−51の元パイロット・ジェリー・イェリンさん:機銃掃射のターゲットは、地上で動くものすべてでした。日本のあるものすべてが臨機目標だったんです。そこの人がいようといまいと関係ありません。私は飛行機から敵を撃ちまくることに夢中になっていたんです。

<機銃掃射されている鉄道などの動画>

【語り】濱中博久:北海道から九州まで。全国各地で繰り返された鉄道への攻撃。毛細血管のように全国に広がり日本を支えてきた輸送網が、断ち切られていきました。鉄道への空襲で、2,300人が犠牲になりました。

<動くものすべてが標的になった>

【語り】ミムラ:終戦直前、もう一つ大きな動きが浮かび上がった。この時期Pー51をはじめ、アメリカ陸軍航空軍による空襲の40%以上が、九州に集中していた。それはなぜなのか。その背景を示す文書があった。オリンピック作戦。九州から本土上陸を果たそうとする作戦を、アメリカ軍は進めていたのだ。鹿児島と宮崎の海岸から上陸し九州南部を攻略。そこを拠点に、Bー29で関東を空襲し、日本を降伏に追い込む計画だった。一方日本軍は、この作戦を事前に察知。各地から部隊を送り込み九州の守りを強化した。かき集めた兵力は60万人に上った。アメリカ軍の上陸予定地の一つ吹上浜。本土空襲を巡る憎しみの連鎖は、九州の地で後戻りできない最悪の事態へと、エスカレートしていく。各地から動員されてきた部隊は、海岸で奇妙な訓練を開始した。当時8歳だった、中山重雄さん、その光景が目に焼き付いている。

中山重雄さん:しっかり抱いて3メートルぐらいこうやって走っていく。二人同時に(はりぼての)戦車の下に飛び込む。あのー、そうですね、…。

【語り】ミムラ:それは爆弾を抱えて戦車に飛び込む特攻の訓練だった。

中山重雄さん:精鋭の兵隊さんじゃない、40歳に近いかな?うちの親父ぐらいの人が、ああいうことして戦車が止められるかなと思いましたね。もうそれより方法はなかったのかな。

【語り】ミムラ:上陸を阻もうと日本が準備したのは特攻作戦だった。鹿児島の地下深くに築かれた特攻作戦の通信基地。特攻機は目標に体当たりする時、ここにモールス信号を送り続けた。信号が途絶えることは、パイロットの死を意味していた。大本営が策定した決号作戦。本土上陸を狙うアメリカ軍に、全兵力を挙げた特攻で打撃を与えようとする作戦だった。決号作戦に備えて、空と海のさまざまな特攻兵器が開発され、九州に配備された。九州南部だけで40か所の特攻基地が建設された。アメリカ軍は、既にフィリピンや沖縄の戦いで、特攻による大きな被害を受けていた。命を捨てた体当たりを「神風」と呼び日本に対する恐怖心を強めた。当時のアメリカの雑誌記事。
「神風は20世紀の人類の仕業とは思えない不気味な兵器だ」。
「日本は何をするか分からない」。
その恐怖が膨らむにつれアメリカ軍の日本への攻撃は、激しさを増していった。

P−51の元パイロット・ジェリー・イェリンさん:出撃する1時間前、軍曹にいつも興奮剤を
渡されました。何とか気分を高揚させようと飲み込みました。一度死を意識してしまったら、戦闘機に乗るころなどできなくなります。恐怖に勝たないと敵に撃ち落とされてしまうんです。とにかく日本人を殺す。それが任務でした。

<狙われた学校>

【語り】ミムラ:民間人も標的になった。撃たれているのは学校。一部の校舎に決号作戦を準備する兵士たちが駐屯していた。多くの子どもたちが犠牲になった。
当時小学生だった久保さん兄妹。

久保さん兄妹:わぁー、すごいんやね。
あー、あれは農芸学校の運動場。ねぇ。
ほら、農芸学校やられた、2回もやられた。
ほら、ここ家。
あそこ、あそこ、あの辺りが我が家じゃ。

【語り】ミムラ:学校のすぐそばで空襲に遭い逃げ込んだ防空壕。そこを爆弾が直撃した。久保さんの4歳の弟と1歳の妹が亡くなった。

久保さん兄・富喜夫さん(当時11歳):(弟は)天皇陛下万歳と言って、鉄砲担いだ兵隊さんと歌いながらな、そのまま亡くなった。

久保さん妹・サダ子さん(当時9歳):(弟は)水が欲しい欲しいと言っていた。

(おりん(お仏壇)の音)

久保富喜夫さん(当時11歳):水を飲めがぶがぶと、欲しいと言ってただろ。

<全国民を戦闘に総動員する義勇兵役法を制定>

【語り】ミムラ:空襲の的になった子どもたち。激化する戦闘は子どもたちの間にも、敵と戦うという気持ちを高めさせた。国は最終決戦に向け、全国民を戦闘に総動員する義勇兵役法を制定。
小中学生の年齢でも、志願すれば戦闘に加われるようになった。

生徒:先生、僕たちは、きっと米英をやっつけます。

先生:じゃあみんなもしっかりやるぞ。

生徒一同:はい!

【語り】ミムラ:当時14歳だった関屋文夫さん。学校で繰り返しアメリカ軍への攻撃方法を学んだ。

関屋文夫さん(当時14歳):敵がそこに上陸してきた場合には、…。君達は構えて、そして、敵の急所を目指して突けと言われまして、何回も練習させられました。一人一殺で練習しろと教わりました。

【語り】ミムラ:子どもも大人も軍人も民間人も、いつの間にか果てしない殺し合いの中にいた。アメリカ軍の機密文書にはこう記されていた。
「民間人とはいかなる軍の組織にも属さない者である。この定義によれば日本に民間人はいない」。
「すべての者が国防に動員され、あらゆる男 女 子どもが軍隊の一員となっている」
「したがって、日本の全人口は、我々の正式な軍事目標となるのだ」

<本土空襲マップ>

【語り】ミムラ:8月、本土空襲マップにひときわ大きな空襲が2つ刻まれた。広島と長崎に向かった、2機のB−29から落とされた原子爆弾。21万を超す命が奪われた。日本の降伏は目前だった。しかし、本土空襲はやまなかった。終戦の前日、東京大空襲の倍779機のB−29が出撃した。8月15日、日本降伏。一年にわたる空襲の結果66の都市が焦土となった。少なくとも45万9,000人(45万9,564人)。これが本土空襲の犠牲者の数である。イェリンさんは戦後38年たって日本を訪れた。その時ふとした事で心が動いた。

P−51の元パイロット・ジェリー・イェリンさん:街で子どもがピースサインをしてきたとき、戦争とは全く違う気持ちになりました。自分が攻撃した場所には人間がいたということを、そのとき初めて理解したんです。ビルの谷間から空を見上げてみるとB−29が、私に爆弾を落とすのが見えるような気がしました。なぜだか打ちのめされるように心が痛みました。

鈴木知英子さん:皆さんおはようございます。

生徒一同:おはようございます。

【語り】ミムラ:駅で体に銃弾を受けた鈴木知英子さん。戦後戦争の悲惨さを伝えるため、語り部の活動を続けている。

鈴木知英子さん:これがガンカメラといってね、こんなもんでね撮られてた。撃たれただけでも腹が立つのに、撃ちながら写真を撮っていたと思うたら腹立ちますよ。そやけど(だけども)、撃ってたその人を恨んだらあかんと思ってる。その人も撃ちたくなかった。こんな小さな子どもを殺したくなかったやろと。私が、一番言いたいのは、命はひとつ。戦争になったら、この命を取り合いする。命がなくなる。そんなことを、しっかりと覚えて欲しい。と思うんです。

【語り】ミムラ:命を奪い合い、互いに恐れと憎しみを増していった日米の戦い。本土空襲。こうして日本は焼き尽くされた。

気分が滅入る書き起こしでありました、。。。
以上・全文書き起こし。オシマイ!



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