小宮山地区を通る県道は1車線分しかないところが結構続きます。一車線といっても片側一車線ではなく、本当に車1台の通行がやっとの狭い道路です。ですから、先方を注意して見通して、車が見えたら広いところで停車してすれ違う、という対応が必要です。これが県道ですから、都会に住む人たちには想像ができないのではないでしょうか?譲り合いの気持ちのない国だったら、ずーーーと、通れない開かずの道になってしまいそうな道路です。
過去には拡幅工事の話もあったようですが、最近は地元要望もないようで目立った動きは聞きません。でも、自分で車で通ってみて、そして歩いてみると、やはり危険極まりない道路であることは確かです。子供達の通学用に白いラインが引かれたようですがそれが大した役に立つ訳ではなく、ましてや高齢者の皆さんが手押し車を押して歩くにはかなり危険が伴います。歩行者も車の運転者も危険を感じますから、どうにか改善したい場所ですね。

さて、小宮山でのお話会は「子供」の話が中心になりました。
道路の話から、通学途中の子供達との挨拶の楽しさや学校での子供達の明るく優しい応対など、親の目、祖父母の目から見た子供達の姿。

「でもね、今日本じゃあ6分の1の子供達が貧困だって言われているだよ。ご飯もろくに食べさせてもらえねえで学校へいってる子も少なくないそうだ。生活保護なり、奨学金なりで本当の弱者の子供達に手を差し伸べたいね。」、「佐久でもそういう子供達にご飯を提供する場所ができるようだよ、サンピアさんがやるらしい。」、「本当に子供の同級生にもシングルマザーが増えた。生活保護を受けている人も多いようだ。でも生活保護を受けてスマートフォンを使い放題て言うのも良く聞く話。その辺りは議論になるんだろうけど、本当に必要な支援を子供に届けなきゃあいけないと思う。」、「スマートフォンは今じゃあ必需品。生活保護受けてるから使っちゃ駄目だなんて言ったらそれこそ子供が可哀想ずら。」、「まあ、何れにせよ社会的弱者の子供達の貧困を直接的に改善する支援に税金をもっと使うべきだわ。18億もかけて使われない施設造るなら、高校の授業料だって、子供の保険料だって医療費だって、全部ただにできるじゃないですか。」

「若いしょうとはなしをしねえから、今の子供達がそんなになっているなんて知らなかったわ。おらとの子供の頃は貧しかったけれど貧困じゃあなかった。茹で卵を遠足に持っていくのを禁じられた位貧しかったけれど、それをご馳走だと友達と内緒で分けて食べて先生に怒られたりして、でも幸せだった。子供達が困っているならもっともっと税金をそっちに使うべきだねえ。いろんな建物建てて、維持管理費がどんどん増えてく。県立武道館を佐久に建てるらしいが、土地は提供するし資金もだいぶ出すらしいねえ。オリンピックの練習に使うって騒いでいるけど、何も決まってないし、その後の維持管理はどうするのかねえ?貧困にあえぐ子供達の税金でまかなうのかねえ?そんなんじゃ、子供達が佐久市に残るわけがない。子供達が幸せな時を過ごせるようにお金を使いたいねえ。」

「こんなこと言ってあれだけど、このあいだ参観日で孫の学校へ行ったけど、子供の素晴らしさに感動して、母親の態度に呆れたよ。写真を注文するのに老眼鏡を忘れちまって、誰が写っているだかわからなくて困っていたら、子供達が「誰々ちゃんはここに写ってるよ。」と孫の写真の番号を教えてくれた、嬉しかったなあ。でも横から若いお母さん達が割り込んできてわれ先に写真を注文してた。年寄りは追いやられるようなもんだわ。残念だったね。せっかくの子供達も駄目にされっちまうんじゃないか心配になったよ。」

いろいろなお話を聞いていると、子供支援と子育て支援には違いがあるような気がしてきました。
子供が少なくなっていくから、少しでも若年人口を増やすように、子供を産んでも安心なように、親を支援するのが子育て支援。産まれてきた子供達が産まれた環境によって差別や不利益を受けるのではなくて、なるべく平等に教育や生活の質を担保できるようにするのが子供支援。どちらが良い悪い、重要という話ではないと思います。以前の日本社会であれば、「子育て支援」だけでよかったのかもしれません。しかし、今や子供の貧困は大きな社会問題で大きなプライオリティを付して対応を考えるべき課題となっています。
「社会保障」の大きな柱として、子供支援を充実する必要が高まっていると感じます。

子供の貧困にはその背景として、家庭環境が大きな影響を与えているといわれています。
家庭の収入に、子供の学力やその後の人生の収入がほぼ比例する、という研究結果もあります。
これは、何とかしなければいけないと思います。
成熟した社会と言われる近年の日本ですが、その社会に生まれた大きな歪が、「子供の貧困」や「貧困老人」の問題でしょう。この問題を家庭レベルで解決していくのは不可能です。今こそ”地域”(コミュニティ)がその力を発揮して社会のゆがみを包み込んで行くべき時代となったような気がします。