神津藤平










昨日、お会いしたある方からご示唆をいただきました。
「ご先祖様に、きちんとお参りしなさい。」と。
「ご自身のご先祖様はもちろんですが、佐久の成り立ちに深く関わってきた昔の皆さんへのお参りも欠かさずに。」
そして、具体的に示されたのがこの胸像です。志賀出身の神津藤平さんの胸像で、志賀下宿の船着き岩の横に建立されています。刻まれた書は岸信介首相(当時)ですから、当時の政府からの厚き信頼と尊敬の意が判ります。

神津藤平さんは、長野電鉄、そして日本のスキーのメッカ「志賀高原」の開発で知られる佐久市志賀出身の経営者です。亡くなったのは1960年10月で私がまだ1歳の時でしたので、お会いしたことがあるはずもないのですが、そのお名前は亡き父や母からよく聞かされました。志賀の神津一族でも特に有名で、その名を遺した偉人だと記憶しています。曖昧な記憶の中で「志賀高原の”志賀”は僕の出身の佐久市志賀からつけられたんだよ。」と大学時代スキーに訪れた志賀高原で自慢したのを覚えています。
神津藤平さんの娘さんが嫁いだのが羽田家であり、後に首相となった羽田孜さんは藤平さんのお孫さんにあたるそうです。神津家の小作をしていて、お寺まで神津一族の菩提寺に檀家として加えてもらっていた我が家ですから、父は自身の政治信条よりも、神津家&羽田家という存在を何よりも大きく捉えていたような気がします。特に羽田武嗣郎さんには心酔していたと後に伝え聞きました。

昨夜は帰りが遅かったのに加えて、暗くてちょっと怖かったので、今朝通勤途中でお参りをしてきました。学校の通学路脇に立つこの胸像は、毎日見ながらもあまり気にしたことがありませんでした。
改めて胸像を眺め、神津藤平さんのことを調べてみると、いろいろなことが判ります。

産まれ故郷の志賀には黒壁・赤壁といわれる旧家があり、その一族からは多くの才能が輩出されています。神津牧場を開発した神津邦太郎さんも有名ですね。当然ですが神津一族以外からも活躍する人は沢山出ていますよ、現職の国会議員もいるくらいですから。
彼らが貢献した故郷佐久や長野県、日本の発展。彼らの経営理念や故郷への思いは現代に通じるものがあります。

古きを学び、次の世代に活かすのも、我々現役世代の責任です。