アンちゃんセミナー














お話し会「国際交流」は黙とうから始まりました。

先日バングラデシュで殺された7人のご冥福を祈り、参加者の皆さんと一緒に彼の地の無念に思いを馳せました。
危機管理の難しさ、人命の尊さ、テロを武力で抑止しようとすることの愚かさ、どこにも完璧な安全が存在しない現代の恐ろしさ、テロのリスクから遠ざかるための危機管理等々を確認し、被害者の皆さんが無念にもその道を絶たれた「国際協力」「国際ビジネス」も、交流を通じた信頼の上に成り立っていることなど、私の気持ちをお伝えしました。そして、イスラム教徒=テロリストでは決してないことを確認し、佐久にもたくさんいるイスラム圏の人たちを阻害しないようお願いしました。
殺された7人が勤めていた会社はどれもが私自身がずいぶん昔からお付き合いしてきた会社です。中には私が若いときに働いていたコンサル会社も含まれています。ましてやJICAの業務での渡航中のテロ。残念です。亡くなった方の名簿には、ゲスト講師のアンちゃんの奨学生同窓で過去に何度か会ったことがある女性も含まれているそうです。合掌。

さて、本題の「国際交流」:
私からは、国際交流や協力の多様性。佐久市における活動や団体の現状。佐久を基盤とした交流や協力の可能性、それを役所が支え民間が引っ張る体制作り、ビジネスへの展開の話などを話題提供としてさせていただきました。

メインのアンちゃんのプレゼンは大絶賛!
ベトナムの民族衣装「アオザイ」で登場したアンちゃんを見た瞬間に、前列に座ったおじさんたちは目が点状態です。
私も結構興味が沸く話をしたはずなのですが、反応は鈍く、早めにアンちゃんにバトンを渡しました。

今回、留学時代に奨学金をもらっていた会社が主催する”奨学生同窓会”に招待されての訪日が決まったアンちゃんに「スペシャルバージョン」のゲスト講師をお願いしたのが1カ月前です。真面目なアンちゃんは、その日からいろいろと考えては変えて、考えては変えて、今日のためにずーっと考え続けて来てくれたようです。佐久の人たちに、ベトナムを代表して自分の思いを伝えたい、という彼女が開始2時間前にようやく決めた講演タイトルが、「佐久でベトナムを想う!」

彼女がなぜ日本の大学院を選んだか、日本をどう捉えているか、日本人とベトナム人の違いや、ベトナム女性のおかれた立場など、そして、なぜベトナムに戻る決心をしたか。自分の経験から分かり易く、それもめちゃくちゃ流ちょうな日本語で説明してくれました。
ベトナムに戻る決心をしたのが「社会構造や政体の在り方、汚職や南北の摩擦等いろいろな問題はあるが、そこに住み貧困にあえぐ子供たちや、お金があっても適切な医療を受けられない若者など、自分の生まれて育った国の人たちのために、一緒に、働きたかった。」というのは、自分の娘のことのように嬉しかったですね。

質疑応答セッションではいろいろな質問が飛び交いました。
一番痛快なのを一つご紹介します。
学生時代にベトナム人と1年間同居する羽目になったおじさんが、「アンさんの今日のお話をあの時聞いていれば、ベトナムの人の考え方とかが判って、もっと上手くいってたかもしれません。ところで、アンさんは日本語がすごく上手ですが、どうすれば上手になるのですか?我々日本人は英語も下手で、勉強しても上手くならないんですが。」
アンちゃん:「できるようになるまで勉強しました。」
おじさん、ぐーの音も出ず。瞬殺で勝負ありです。

この模様はITV長野というインターネット放送局が生中継してくれました。中継中に新幹線で移動中の方からラインでメッセージが入ったり、ベトナムからメールで感想をいただいたり、グローバルなコミュニケーションの新しい可能性を体現しました。
終わった後も、メルボルンやハノイの友人たちからFBでメッセージが。皆さんアンちゃんの講義に感動していました。でも、最も感動していたのが、佐久のおじさんたち。夜遅くまで、お話し会のイベントページやFBのいたるところにアンちゃん絶賛のコメントが溢れました。

こういう交流から、心のふれあいが始まり、事実を知り、歴史を知り、背景も知る。憧れや現実感、信頼が生まれ、人と人が繋がっていきます。信頼でつながった人たちの間には”テロ”などという言葉は存在しません。世界中が交流から始まった信頼の輪で繋がることだって決して不可能ではないはずです。

それにしても、アンちゃんの人を引きつけるチカラは素晴らしかった!
選挙のキャンペーンガール、アンちゃんに頼もうかな?佐久のおじさんたちぶっ飛ぶだろうなあ!
アンちゃん、如何でしょう?
お礼は、もちろん、蓼科牛で。
アンちゃん玄関