一昨日、美術館と文学館目当てで横浜に行ってきました。
みなとみらいに来ると、どうしても氷川丸は見ておきたくなる。
小学生時代かよく来ていた、とても親しみのある場所です。
羽織袴で山下公園をぶらぶらしていたら、何組もの外人さんたちに声をかけられ、カタコトの日本語で「写真いいですか?」と聞かれた。或る人には私の立ち姿をそのまま、或る人はツーショットを希望。ただ和服を着ていただけなのに、こんなにもてはやされるのは不思議でならない。二年前にも、まったく同じ場所で同様のことがありました。日本を訪れた外国の方にとって、和服の人を撮ることは重要な事なのかな。ともかく、楽しんでいただければ何よりだし、私もまんざらではなかったです(笑)
まあ、そんな余談はさておき、今回横浜を訪れたのには、前述の美術館と文学館以外に、ひとつ目的がありました。掃部山公園に行くことです。
掃部山公園は、JR桜木町駅から歩いて少しのところにある公園です。名前の由来は、井伊掃部頭直弼の銅像があること。この銅像が、どうしても見たいのです。
二年前も、私は同じことを考えて横浜に来て、掃部山公園を訪れました。ところがその折、園内では工事をしていて、銅像のある広場は封鎖されていたのです。銅像は、フェンス越しに見れたのですが、それでは味気なく、いつかより近場で見たいと願っていました。
井伊直弼は、私が尊敬する偉人第一号です(二号は田沼意次)。世間的には、あまり良い印象のない政治家ですが、幕末という世情不安定な最中に、強引ながらも自らの意思を貫き、開国という、結果的に成功していた政策を推し進めていたことは、ある程度評価されても良いと思いますし、なおかつ直弼公の決断がなければ、横浜という小さな漁村も、繁栄することはなかったのですから。
銅像は、そのことを評価して建てられたのです。
ちなみに読みは「かもんやま」です。
かわいい柴の後を追って、階段を上がった先に広場があります。
その広場に鎮座されるのが、直弼公銅像です。
真下より。
このアングルがいいかもしれない。
おお、凛々しい。
衣冠束帯のお姿。私もいつか、こんな装束で写真を撮ってみたい(狩衣はあります)。
直弼公が見つめる先には、巨大な都市として存在する横浜の街並み、そしてその先にある横浜の海。この方の存在なくして、現在にまで至る横浜の繁栄はなかったと思います。
本年は、直弼公生誕から200年の節目でもあります。そんな折にここへ来れたことを、ただただ嬉しく思っています。
〈余談〉
文学館を出て、付近を少し散策していたら、オシャレなレストランに大勢の人の姿。
なんとなく傍観していたら、大きなカメラやマイクなどの機材が見えたから、テレビの撮影だったようです。なんだろう、気になったなぁ…。
みなとみらいに来ると、どうしても氷川丸は見ておきたくなる。
小学生時代かよく来ていた、とても親しみのある場所です。
羽織袴で山下公園をぶらぶらしていたら、何組もの外人さんたちに声をかけられ、カタコトの日本語で「写真いいですか?」と聞かれた。或る人には私の立ち姿をそのまま、或る人はツーショットを希望。ただ和服を着ていただけなのに、こんなにもてはやされるのは不思議でならない。二年前にも、まったく同じ場所で同様のことがありました。日本を訪れた外国の方にとって、和服の人を撮ることは重要な事なのかな。ともかく、楽しんでいただければ何よりだし、私もまんざらではなかったです(笑)
まあ、そんな余談はさておき、今回横浜を訪れたのには、前述の美術館と文学館以外に、ひとつ目的がありました。掃部山公園に行くことです。
掃部山公園は、JR桜木町駅から歩いて少しのところにある公園です。名前の由来は、井伊掃部頭直弼の銅像があること。この銅像が、どうしても見たいのです。
二年前も、私は同じことを考えて横浜に来て、掃部山公園を訪れました。ところがその折、園内では工事をしていて、銅像のある広場は封鎖されていたのです。銅像は、フェンス越しに見れたのですが、それでは味気なく、いつかより近場で見たいと願っていました。
井伊直弼は、私が尊敬する偉人第一号です(二号は田沼意次)。世間的には、あまり良い印象のない政治家ですが、幕末という世情不安定な最中に、強引ながらも自らの意思を貫き、開国という、結果的に成功していた政策を推し進めていたことは、ある程度評価されても良いと思いますし、なおかつ直弼公の決断がなければ、横浜という小さな漁村も、繁栄することはなかったのですから。
銅像は、そのことを評価して建てられたのです。
ちなみに読みは「かもんやま」です。
かわいい柴の後を追って、階段を上がった先に広場があります。
その広場に鎮座されるのが、直弼公銅像です。
真下より。
このアングルがいいかもしれない。
おお、凛々しい。
衣冠束帯のお姿。私もいつか、こんな装束で写真を撮ってみたい(狩衣はあります)。
直弼公が見つめる先には、巨大な都市として存在する横浜の街並み、そしてその先にある横浜の海。この方の存在なくして、現在にまで至る横浜の繁栄はなかったと思います。
本年は、直弼公生誕から200年の節目でもあります。そんな折にここへ来れたことを、ただただ嬉しく思っています。
〈余談〉
文学館を出て、付近を少し散策していたら、オシャレなレストランに大勢の人の姿。
なんとなく傍観していたら、大きなカメラやマイクなどの機材が見えたから、テレビの撮影だったようです。なんだろう、気になったなぁ…。