NPO法人はんどいんはんど東総のBLOG

千葉県旭市で活動しているNPO法人はんどいんはんど東総のブログです。

HPで詳しい事業内容を紹介しています! https://handinhandtoso.jimdo.com/

 「自分が、NPO法人ふらじゃいると出会い、発達障害なのではと気が付き診断を受けるまで、私が人に合わせられないのは、私の価値観が多くの人とずれている、私が悪い、私が間違い、だから色々な人に迷惑をかけしまうと思っていました。皆に申し訳ないと思いつつも、人付き合いが出来ないからと引き摺るタイプではありませんでしたから、世間に対してどうせ私みたいな存在がという卑屈な生き方はしたくなかった、これが、私なのだからと開き直っていたし、この際、一人で生きてやろうと思い始めていた時にNPO法人ふらじゃいるを知り、そこから、ホッとして人付き合いの仕方を考えてもいいかなと思えるようにシフトしました」

 

 東京都練馬区で活動しているNPO法人ふらじゃいるは、2011年4月当事者研究を学ぼうと病院職員の有志が集まって、べてるの家と病院を繋ごうとスタートしました。病院有志の勉強会から始まり、「当事者を受け入れて一緒に当事者研究をしたい」と色々な当事者を交えて病院の中で色々な活動を始めました。家族や市の保健師さんが参加して下さり、年間100回以上のイベントを開催しております。地域との交流も少しずつ増えてきて、精神障害のある人たちとは関わった事がない人たちにも精神障害のある方が地域で暮らされている現状などをお伝えたり、引きこもりの方々のお話をしています。

 ふらじゃいるは、講演、研修活動も行い、当事者研究のミーティングが週1回あります。家族の当事者研究も3ヶ月に1回、家族会の方々と行なっています。そして当事者研究のワークショップを各地で行なっています。

 法人事務所であるみっくすハウスは、シェアハウスでふらじゃいるだけが使っているのではなくて、高齢者のサポート団体や知的障害のある母親をサポートする団体とか全然違う団体同士が使っています。コミュニティカフェだったり、お花見だったり季節の行事をしています。

 当事者研究の取り組みの中で、このような例がありました。20年ヤクザ幻聴さんに苦しめてられてきた人がいまして、7人ぐらいの組織で襲ってくるのですが、「薬飲んでも治らないぞ」「寝ていればいい」「どこにも行かなくていい」と強い圧力で言ってくる。その時にどう対処するのかを話し合いました。皆の意見を聞いていくと、どうやら自分には、ヤクザ幻聴さんが出易い時があるのだなと気づきます。ヤクザ幻聴さんは一つの疲労のサイン、自分の体が疲れているのを教えてくれるバロメーターの役割もあるのではないかと気が付き、そうすると幻聴に対する認識が変わっていったのです。

 ふらじゃいるは、誰でもフラット集まれる場所を目指して作りました。世界一弱くて明日にも潰れそうなNPO法人というのを研究テーマに実験継続中です。地域の人たちと交流しようとカフェふらじゃいるを始めました。誰でもこられる場所で自然農業をしている農家とコラボしたりしています。その方の畑を使って取れた野菜で料理を作ってもらったり、カモミールティーを出して作業所で作られたクッキーやお菓子類を出しておしゃべりを楽しむ会をやったりしています。コミュニティを研究している大学の先生も参加して下さっています。そのような活動の中で分かってきたことは、当事者研究と自然農法は密接に繋がる事です。このことは向谷地行良さんが「農業に使われる農薬と抗精神薬である脳薬は、過剰投与はどちらも人間の生きる力そのものを奪ってしまいますよね」と言っていました。「ほうれん草のことはほうれん草に聞いてみて」と自然農法の人は言っていますし、私たちは「病気のことは当事者に聞いてみて」と言っています。

 専門家に委ねる人生でなく、自分自身で考えたり、当事者の言葉に耳を傾けたりだとか観察したりする事が非常に大事だと感じています。

 統合失調症がありホームレスを経験した人もいます。私達から見ると自分の人生においては汚点と捉えがちですが、その人にとっては「転職と一緒ですよ」と言っていました。その人は住み込みの仕事などをやっていたので、仕事を辞めるというのは同時に住むところを失くすということだったのです。辞めて東京に戻ろうと考えた時に、同時にホームレスになったのですが、それは、一種の転職と同じで、また人生を再スタートさせるための方法だったと言っていました。私たちが勝手にその人に思っていたことは、その人にとってももっとポジティブなイメージだったのです。そのことを最近話し合って分かってきたことです。

 イタリアのトリエステ、フィンランドのオープンダイアローグ、日本の浦河べてるで共通して理念は、医療体制のヒエラルキー解体です。“専門家としての当事者”は、自分のことは自分が一番分かっているよという、障害を持つ当事者の力を再評価すること、“当事者としての専門家”として、同等に話し合って一緒に考えて決めていくプロセスが大切です。

 PSTというのがあります。これは専門家の自助グループです。専門家はどうしても専門家なのだからどうにかしてよと言われることが多くて、困ることがあります。困った自分自身を研究するような取り組みをしています。

 ふらじゃいるは、自助グループですので、自助グループを援助する専門家の立ち位置としては、困難に直面している人が自分で自分を助けられるように援助すること、支援者が代わりに助けることだったり、物事を解決したりすることではない。苦労に一緒に向き合える、そういうことを目的にグループに参加しています。

 浦河べてるで生まれた当事者研究は、専門家の知識や技術よりも当事者たちの経験の中にこそ、病気や苦労を解明する知恵が眠っていると考えます。海外でもその効果は認められています。当事者研究の合言葉は「自分の経験の中に知恵があります。アイデアが眠っています。専門家家族とも連携しながら自分自身で共に研究しよう」としています。当事者研究は、一つの受ける苦労の担い方であり、何より豊かな、ユーモアのある発想を大事にしています。それが当事者研究です。

 現象学の提唱者エトムント・フッサールは「複数の自分自身で考える人たちが共に哲学する時にこそ、事象そのものに真に接近することも可能になる」と言っています。当事者研究での仲間の言葉に「今まで専門家に自分の人生を委ねてきたと、専門家だったら治せるだろ!と言って、うまくいかなければ周囲の揚げ足をとってばかりいました。当事者研究を始めて分かったことは他人に人生を委ねている時は回復しないということです。自分で考えて実験して失敗したら自分で責任を取って実験し直す、そっちの方が友達も増えて面白かった」と言っています。とても大事なことは友達が増える感覚というか、それをまた面白がっている感覚がとてもいいと思います。

 当事者研究は友達が増えるし、当事者研究をやっている仲間が統合失調症と診断されて、「みんなと同じ統合失調症で良かった」と言っていました。そうやってみんなと一緒に研究をしている感覚というのが大事だと思います。

 最近になって当事者研究を研究する研究者も増えてきました。東京大学先端科学技術研究センターというところで当事者研究をテーマとして上げています。統合失調症における当事者研究ガイドラインも作成している。日本統合失調症学会では、当事者研究は日本発・世界先端の治療パラダイムを実現したものと話が出るほどです。

 当事者研究における自助の4つの力というのがあります。これは、強制収容所を生き延びた人々がどういう風に希望を捨てずに生き延びられたかというのを研究したら、この4つに集約されたというものがベースになっています。

①何が起きているのかが分かる状況を把握する力

②どう対処するべきかが分かる 対処を試みる力

③苦労の意味が分かる 意味を見出す力

④解決がなくても前向きな問いを維持する力 研究する力

 

 当事者研究を実践する時に私たちはこんなことに気を付けています。人と問題の切り離し作業です。爆発を繰り返す〇〇さんから爆発を止めたいと思っていても止まらない苦労を抱えている〇〇さんという理解にどういう風に変えていけるかをやっています。

 ふらじゃいるでの研究テーマは、サバイバル生活の研究、恋愛の研究、フラッシュバックの研究、誤作動の研究、日本語失調症の研究、イライラの研究、水中毒の研究、パニック予期不安の研究、変化球コミュニケーションの研究、全力疾走の研究、不幸感と幸福感の研究、マイナスのお客さんの研究、家族関係の研究と様々あります。

 

 以下 ふらじゃいるでの研究報告

 

 社会になかなか適応出来なかった私に「ふらじゃいるで、気楽に話でもしてきたら」と声をかけてくれたのがふらじゃいるを知るきっかけでした。

 それまで人と付き合いが出来なかった人、家族関係がギクシャクしていた人が、その気持ちを分かってくれるような人の集まりの中で気楽におしゃべりが出来るようになる場としても効果を発揮しています。

 そこで私自身が人付き合いとか、仕事でこんな困ったことがあったと話をしていたら、「そこまで辛いのだったらもしかしたら障害者手帳もありえるかもしれない」と言ってもらえました。それがきっかけで障害者手帳を取得すること繋がったわけです。その時私が一番驚いたのが、「私の幼い頃からの生き辛さは、障害なのだ」という可能性自体に初めて気が付いたことです。

 私は長い間、ただ単に性格が悪いだけなのだと思っていたのです。人付き合いとかコミュニケーションが取れなくても、それは、私が悪いのだとずっと思ってきたわけです。私がどこか他人と違うと思ったきっかけは、学生時代友達と遊園地に行った時です。遊園地に行って友達が「あのアトラクションに乗りたい」と言った時、私は「違うアトラクションに乗りたい」となりました。普通であれば、まずあっちに行って、次にこっちという風になるらしいのですが、私はその時に「別々に行こう」と提案しました。私は気を遣ったのです。乗りたいのだったらあっちに行っていいよ、私はその間こっちに乗っているからと。

私は1日楽しんで家族にそのことを報告したら怒られました。私は気を遣ったのです。乗りたくないものに乗らなくていいよ、乗りたいものに乗ってきていいよと気を使ったのですが、それはひどいことだったらしいのです。でも私は分かりませんでした。

 そんなことがずっとありました。小さい頃からよく「人の気持ちになって考えなさい」「自分がやられて嫌なことを人にやってはいけないよ」「もしあなたがやったことをあなたが自分にやられたらどう思う、嫌だよね、だったらやったらダメだよ」と言われていました。普通のしつけだと思うのですけれど、でも私は嫌ではないのです。私は私だったら考えて、私は、そうしてもらったら嬉しい、そうしてもらったらありがたいだから人にもしてあげようと思ったら、「なんてひどいことするの意地悪な子ね」となってしまったのです。

 仕事をするようになってからも自分の業務を大事にするタイプで、例え善意からだったとしても「仕事溜まっていそうだから手伝うよ」と言われるのがすごく嫌だったのです。これは私の仕事だから手をつけないでというタイプだったのです。普通はそれを有難がらないといけないみたいなのです。同じように自分の業務を大事にして自分の領域に手を入れられるのが嫌だから人の仕事が溜まっていても、気を遣って手を出さないでいようとしたら「手伝ってくれてもいいじゃない。ひどい人ね」となってしまった。どんなに気を遣っても、それは意地悪になってしまうのです。気の利かないことになってしまうのです。  

 私はそれをずっと私の性格が悪いのだと思っていました。「私が意地悪、私がひどい」と思っていました。

 でも、ふらじゃいるに行くようになり、そういうことを話したら、もしかした性格ではなくて別の理由があるのではないかと言ってももらえて、救われた気になったのです。私は人と感覚や価値観がずれていることには理由があったと思え、救われた気になったのです。

 当事者研究に参加させて頂き、発達障害キャリアウーマン系家族とのコミュニケーション模索型という自己病名をつけて研究をしています。発達障害は私の実際の病名で、キャリアウーマン系というのは、私は仕事が続かなく今まで何度も転職していています。でも仕事自体は出来ていたのです。パソコンなどもすごく得意ですし、資料をまとめるためのエクセルの雛形なんかも作ることできます。ですが人間関係でことごとくダメになってきまして、うるさく言ってくる同僚と喧嘩の毎日になってしまったり、会社の中で、気が利かない意地悪な人という認識になってしまったり、居られなくなってしまいました。今は配達のアルバイトをしているのですけれど、お客さんからもオーナーからもすごくよく頑張ってくれていると評判はいいです。

 電話をかけて品物を届けるのですが、私は実は電話も訪問することも本当はすごく苦手なのです。プライベートではちょっと話がしたくて、声が聞きたくてというような曖昧な理由で電話をかけることが出来ないのです。電話をかけるからには予定の確認とかどうしても必要な話題がないと自分から電話をかけることが出来ません。訪問も人付き合いが苦手なのであまり知らない人の家にチャイムを押して対面するのは本当だったら嫌です。でもそれが出来るのは仕事だからです。電話をすること、訪問して元気に挨拶することが仕事だからと割り切れば出来るのです。だからもしかしたら、私以外にもそうやってはっきりと必要なことと割り切ってしまえば出来る人はいるのではないかと思います。

 家族とのコミュニケーション模索型というところは、私も長年悩んできたところですけれども、私は基本人付き合いというものが、意味を見出せないタイプです。学生時代になると、いつものお馴染みのグループを作ると思うのです。そのグループ内で仲良くするために色々なことを無理して合わせないといけないとか、周りの人がやっているから自分もやるということの意味が分からなかったのです。変な我慢をしてまでグループにこだわらなければいけないのかと思っていました。だから一人で図書室通いをしていましたが、全く苦でなく、平気でした。わけの分からないコミュニケーション活動に精神をすり減らすよりはずっと気楽でした。そんな感じで人付き合いというものに私はあまり重きを置いていないのです。だから仕事では、人付き合いは最低限のところだけです。同じ職場で働いて不快な思いをせずに1日を終わらすことができる程度であればそれで十分だと思っています。

 ただ家族とはそうはいかないのです。職場でそれなりに仲良くなれた人でも、少し合わないところがあると、この人合わないとそうと思ってしまったら私の中ではすっかり切り離してしまうのです。「この人は職場だけの関係だけでいいや」と。でも家族とはそんな訳にはいきません。嫌なことがあっても喧嘩しても、こりごりだと思ってもコミュニケーションは続けなければいけないし、切りたくないのです。

 人付き合いがあまり出来ない私にとっては、家族とのコミュニケーションが唯一かつ最大の悩みどころです。常日頃から人間関係に煩わされるなんてこりごりだ、最低限のものでいいと思っていたのですが、同時に疑問でもあったのです。そんな感じで最低限の人付き合いしかしてこなかったのに、「何でこりごりなんて意識があるのだろう」と。源は家族でした。

 喧嘩をしたり、人付き合いがうまく出来なかったりする事に長い間困ってはいたのです。でも家族は分かってくれない。あなたがちゃんとやればいいことでしょとか、あなたは意地悪ねとか、分かってくれないとか、喧嘩しながら、傷つけられながら、もう人との付き合いなんか嫌と思いながらも家族との付き合いは続けざるを得なかったし、私自身続けたかった。その、こりごり感が、人付き合いなんかこれ以上は嫌だと思うような、外の人付き合いにも適応されるようになったのだと気が付きました。当事者研究を続ける中で今言ったような出処のわからない不快感というか、悩みの源は何なのだろうということが、当事者研究を続けてきて、つい最近自分の中にこういうことがあるのだということに気付いたわけです。それらが統合して自己病名が出来ました。自分の苦労にどういう病名をつけるのか、自分の悩みや幻聴にピッタリくるかを突き詰めていくのは、これからどうやって付き合っていけば良いか、乗り越えていけば良いかを気付くきっかけなることかと思います。

 

参加者:28

場所:旭市市民会館

日にち:2018113日(土)
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