古墳を堪能し、今回一番楽しみにしていた熊本へ。
出発の前日に夜間開放期間であるという情報が入ったので、ホテルにチェックイン後に熊本城へ向かう。
うわ〜〜〜!!
かっこいいぃぃぃぃぃ!!!
ここからは、もう「かっこいいぃぃ!!」の連発。
夜の熊本城のかっこよさに惚れ惚れし、宿に戻った。
翌日は熊本城の本番。無料のガイドもあったのだが、ここは都会の荒波にもまれいやらしい大人になってしまったので、金に物を言わせ一人500円の有料ガイドをお願いする。
集合時間まで時間があったので、外で待機していると無料ガイドのおばちゃんが通りすがりにワシらに声をかけた。「ガイドどうですか?」ワシらはもう既に有料ガイドをお願いしていることを話したが、おばちゃん熊本城だけではなく、熊本城に行く前に行ってきた「霊厳堂」のことや宮本武蔵のことなんか話だし、ワシらも調子に乗って質問なんかをしちゃって、20分ほども話し込んでしまった。
話し終わっておばちゃんは「じゃあ、楽しんできて♪」なんて言って、トイレの方に小走りに去って行った。トイレに行く途中でもこんなガイドをしてしまうなんて、ほんとに熊本城、熊本を愛しているんだな。
昼の熊本城もかっこいい!!
石垣は「武者落とし」敵はこの上に行くほど垂直になる石垣を、敵は登ってくることはできない。
天守閣へ続く地下の通路。
天井の梁がものすごく太い。力強い頼もしい梁だ。
こんな瓦のはじっこでさえかっこいい。
床の板が時々こんな風にくりぬいて別な板をはめ込んである。なんのためかわからないが、大工さんの茶目っ気なのかな。
籠城に備えて加藤さんは井戸をたくさん掘ったらしい。その中で一番深い井戸。
なんか変なものが写ったらいやだなぁ。。と思いつつ恐る恐る撮った。
井戸のはるか奥に空が写っている。周りは石が積んである。
この井戸一つでも大変な手間がかかっているんだろうな。
「不開門(あかずのもん)」
ここは鬼門になっていて、めったに開けることはないそう。いい時に来た。
重たい鎧を着て泳ぐんだね。ろくに泳げないワシには恐ろしい話だ。
階段はこんな風になっている。
高さや幅をわざとに変えて、駆け上がりづらくしている。
石垣の上にはこんな穴が。
かぎ状にの通り道を敵が攻めてくると、門を閉め閉じ込めたのちにこの穴から鉄砲の弾や矢が飛んでくる。
長いのが弓矢を引くため、短いのは鉄砲用の穴だそうだ。恐ろしい。こんなところ、いくら喧嘩っ早いワシでも攻めたくはない。
これ以外にも上から石を落とす穴があちこちにあったりする。
石垣に囲まれた通路のクランク状になったところを「枡形」と言うそうだが、熊本城は天守閣に行くまでにこの枡形を5つ越えなければならない。
ギザギザと進み、天守閣は見えるがなかなか近づけない、階段は走りづらいし、枡形に閉じ込められて上から矢や鉄砲や石が降ってくる。
熊本城を作った加藤清正さんが築城を記念して植えた銀杏。
籠城に備え井戸をたくさん掘り、実のなる木もたくさん植えたそう。
熊本城は別名「銀杏城」と言われている。
加藤さんが亡くなる時、この銀杏が天守閣と同じ高さになった時に何か異変が起きるだろうと予言したらしい。それから270年後、明治10年の西南戦争。
熊本城に籠城した官軍。そこへあの薩摩軍が総攻撃をするが、結局二の丸までしか入ることができなかった。
お堀を渡り、二の丸あたりから撮った天守閣。
西郷隆盛に「わしは官軍に負けたのではない清正公に負けたのだ」と言わしめたらしい。
あ、天守閣が火事になったのは西南戦争が始まる3日前。放火説・失火説・自焼説があるが、「天守閣が目立ちすぎる」と自ら燃やしてしまった説が有力らしい。
こんな話を聞くとますますかっこいい。ガイドさんがもっともっと話したくなるのもわかるような気がする。
御昼ご飯は本丸で。
御昼ご飯「本丸御膳」。殿様気分で味わえる予約制3000円。
まぁ、そこそこなのかな。。。なんてなめてかかったのだが、これがなかなか。なんと言っても出汁がうまい。からしレンコンは優しい辛さで絶品。ここで売っているか尋ねたが、ここ用に作っているので売ってはいないとのことで涙をのんだ。
気分は歴女のワシを、予想通りに満足させてくれた熊本城だった。