芹ヶ谷だより

美術館スタッフが皆さまにお届けします。

館長かわら版 その四十五

 良くも悪くも常識人である自分にとって、美術作品を見て想像がさまよう世界はかなり限られているようです。前回は西村沙由里の「御霊(みたま)くだり」を挙げましたが、そこに描かれた龍の主題から、また職業的な狭い想像を展開してみたいと思います。前回はこの作品から北斎らが描く「富士越龍図」を想起したのですが、「御霊くだり」に描かれた身をくねらせる龍のリアル造形から、龍を描いた日本美術の傑作のひとつである「雲龍図屏風」の作者である円山応挙も思い出しました。

 ご承知のとおり、応挙は18世紀後期の京都画壇で、写生を基礎にした清新な画風で人気を博した絵師ですが、彼の代表作のひとつに「保津川図屏風」((株)千總蔵)があります。まさに「奔湍(ほんたん)」というような勢いよく流れる渓流を描いたものですが、岸や水底の岩などで向きを変え、波うち、うねる水流が写実的に描かれています。それでいてなめらかで柔らかい布地のような水の流れは、まるで少し遅めのシャッタースピードで撮影した写真のような印象も与えてくれます。この水の流れを表現した応挙の鋭い観察眼と卓越した描写力に圧倒される作品です。

 「幻想のフラヌール」展会場に展示されている作品の中で、門坂流の「荒波」を見て、この「保津川図屏風」を頭に思浮かべたことを、応挙の名を連想したときに思い出したのです。「荒波」というタイトルからすると激しい波の打ち寄せる磯を表現したものでしょうか。岩場の影響を受けて多方向から打ち寄せ渦巻く波がぶつかりあう様子が表現されています。その複雑な水の動きの瞬間がリアルにとらえられている上に、近くで見ると波を表現する無数の細くなめらかな刻線が、きわめて高密度でありながら、まったく交差することもなく引かれていることに驚かされます。

 この作品は固い金属面をビュランという刀で直接彫ることで版をつくるエングレービングの技法を用いています。高度な技術を要する技法で、ビュランを操る手の動きがわずかにくるっただけで、もうこの波の線は台無しになったでしょう。まさに超絶技巧といってよいもので、版画と肉筆画の違いはありますが、鋭い観察眼と卓越した描写力という点で、上述の応挙の水流表現と肩を並べるものといえるかもしれません。

 「幻想」をテーマにした展覧会の話なのに、リアリズムばかり云々してしまいました。ともあれ、門坂の「荒波」もやはり実物を間近でじっくりと見るべき作品です。ぜひ会場まで足をお運びください。

【03-5】20210302_43
門坂流 荒波
1993年 町田市立国際版画美術館

館長かわら版 その四十四

 「独自の世界をさまよう〈フラヌール(遊歩者)〉ともいうべき版画家たちの作品は、過去や私たちの内に眠る原初的な記憶を呼び起こしながら現実世界の可能性、すなわち未来の姿をも浮かび上がらせる力を秘めているといえるのです。」これは、現在開催中の企画展示「幻想のフラヌール―版画家たちの夢・現・幻」の展覧会概要からの抜粋です。ちょっと難しい表現ですが、ここは展示作品をもとに勝手に私の想像を展開させるということで、いつもの駄文をしたためたいと思います。「原初的な記憶」を呼び起こすのではなく、「職業的な記憶」に寄り掛かった内容ですが。

 展覧会の趣旨に合わせて、幻想的な作品が目白押しで、この種の世界が好きなかたにはこたえられないと思いますが、中でも私の目を惹いた作品のひとつが西村沙由里の「御霊くだり」です。龍はこの作家がテーマとするモチーフのひとつということですが、作品のタイトルからすると、小さな峰の頂上にある小祠堂に竜の姿をした神体が降臨するところでしょうか。2メートル近い大画面の中で、身をくねらせる巨大な龍の姿と鱗に覆われた体部の迫真的な描写は圧巻で、見つめていると身震いするような感覚が襲ってきます。

 もっとも私がこの版画に目を奪われたのは、その迫力だけではありません。降下の途中で身体を上に捻じり虚空に咆哮する姿が、まるで再び天空へと飛び立つように見え、遠景の山のシルエットと相まって、日本絵画の伝統的画題のひとつである「富士越龍図」を思い起こしたからでもあります。葛飾北斎最晩年の作品(小布施の北斎館所蔵)が有名ですが、霊峰富士を越えて竜が天に昇るのは吉祥画題であり、狩野派の絵師にも多数作例があります。富士は不時、龍は断つの音通から、「不時を断つ」つまり「不幸を断つ」という意味を持つとの説があります。

 そうした職業的記憶が喚起されたわけですが、この西村の版画に描かれた龍のまがまがしい姿は、人に禍をもたらす荒ぶる神のようにも見えてきます。と、ここまで書いてきて、ふと昭和41年にヒットした大映の映画「大魔神」シリーズを思い出しました。とんだ方向に記憶が遊歩してしまいましたが、これって展示を企画した担当者にはどう思われるのでしょう。

 ともあれ、私の駄文や小さな画像ではこの作品の魅力は伝わりません。ぜひ会場でじかにご覧ください。

nishimura
西村沙由里 御霊くだり
2010年 町田市立国際版画美術館

館長かわら版 その四十三

 「青春時代が夢なんて…」とは森田公一のヒット曲「青春時代」の歌詞の一部です。曲の最後は「胸にとげさすことばかり」で終わりますが、今回の企画展示「版画の青春」が扱う1930年代から40年代にかけては、創作版画運動やその担い手たちにとって青春時代まっただなかだったとはいえ、けっして夢のようなバラ色の時代ではありませんでした。日本が急速に戦時体制に向かい、芸術家らの創作活動にもさまざまな規制が加えられていた受難の時代だったでしょう。プロレタリア美術展への出品歴を持ち、自らが中心となって設立した新版画集団において時代や社会への問題意識を表現することを提唱した小野忠重にとっては、生きづらい時代だったと思われます。本展には1930年代の労働者や工場風景を描いた彼の作品も何点か展示されていますが、黒く染めた用紙の地を太い輪郭線として摺り残す重厚な画面からは、たしかに時代の重苦しさも伝わってくるようです。
 一方、戦後の1950年に発表された彼の「工場」は、紫がかった茶褐色に染めた用紙の地を摺り残したものです。何本もの煙突が空に煙を吐き出し、その前をやはりもくもくと煙をたなびかせて汽車が疾駆しています。画面上半分がそうしたエネルギッシュなモチーフで占められているのに対し、画面の下半分にはバラックのような住宅が低く軒を連らね、ロープに吊るされた無数の洗濯物が風に揺られています。日本がいまだ高度経済成長の恩恵には浴していない時代の貧しさが伝わってくるような気がするのです。と同時に、大気の汚れを示唆するような赤系統の色で支配された画面からは、時事問題に敏感なこの作家が、まもなく大きな社会問題となる公害を予告しているかのようにも見えてきます。
 後人によるそんな解釈、あとから勝手に思うもの、とのそしりをうけるかもしれませんが。

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