芹ヶ谷だより

美術館スタッフが皆さまにお届けします。

館長かわら板 その五十二

 9月21日(日)までの会期で、19世紀を代表する諷刺版画家オノレ・ドーミエの特集展示「ドーミエ、どう見える?―19世紀フランスの社会諷刺」を開催中です。ブルボン家の復古王政を倒した1830年の七月革命以後に盛んとなった政治諷刺も、1835年に政府批判の言論を規制する法令が出されてからは影を潜め、諷刺画の対象は社会や世相に向けられていきます。ドーミエは日刊(後に週刊)諷刺新聞『ル・シャリヴァリ』紙を主舞台に、ピリッと辛しを効かせた社会諷刺画を数多く発表しているのです。
 今回の展覧会タイトルはちょっとダジャレっぽいですが、展示の構成は今日的問題にもつながるテーマがいくつも盛り込まれています。
 1855年の第1回パリ万国博覧会に題材を得た「万国博覧会」は、今日のオーバーツーリズムに通じる問題をはらんでいます。その中の《第20図》「展示会場の眺め。晴れた日の午後3時、気温は38度!」は、パリ万博のメイン会場であった産業宮内部の暑さにげんなりする夫婦を描いています。夏季に開催されたとはいえヨーロッパで38度は大げさだろうとも思われますが、屋根が鉄とガラスで出来ていた建物の構造から、晴れた日の太陽光を受けて温室のようになっていたのでしょう。昨今の地球温暖化の中、この夏の大阪万博もさぞ暑かろうと想像されますが、救護所やクールスポットなど基本的対策はとられているとのこと。そうではなかったパリ万博で、熱中症で倒れる人は出なかったのでしょうか。

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オノレ・ドーミエ『万国博覧会』より《第20図》 
展示会場の眺め。晴れた日の午後3時、気温は38度!
1855、リトグラフ、当館蔵

 『青鞜派』は女性の社会進出を揶揄するような内容で、それが『ル・シャリヴァリ』紙に載っていることに、一筋縄ではいかない社会変革の難しさを知らされ、今日の日本の状況を思い起こすことにもつながります。クリミア戦争に題材を得たものからは、まさにいま世界を揺るがせているウクライナ戦争を想起させられました。「どう見える?」からさらに進んで、「どう考える?」と問いかけられているかのようです。

館長かわら版 その五十一

江戸時代中期にヨーロッパで生まれた透視図法を取り入れ、末期にはベロ藍(プルシアンブルー)という舶来顔料を用いて画風を大きく変化させた浮世絵は、明治になってさらに大胆に欧米の影響を受けることになります。
 主題面でいえば、洋風建築や鉄道などを導入し急速に変貌する都市の風景を好んで取り上げるようになること、いまひとつは新しい赤色絵の具の使用が挙げられるでしょうか。企画展「日本の版画1200年―受けとめ、交わり、生まれ出る」も会期後半になりましたが、展示替えで新たに出ている一交斎幾丸作の3枚続錦絵「東京海運橋兜街かぶとちょう三井組為換座かわせざ西洋形五階造」は、明治5年に二代目清水喜作の設計・施工で竣工した三井組ハウスを描いています。西洋建築のデザインと日本の伝統木造建築を折衷した擬洋風建築で、東京の新しい名所として、そばにある海運橋とセットで繰り返し錦絵に描かれます。この絵の空の一部や桜の花に用いられた赤色絵の具は明治になって海外から流入した洋紅(カーマイン)だと思われます。画面の配色バランスを損なうような強烈な赤を用いた錦絵は、今日、‘赤絵’とも呼ばれています。
 同じ展示室に小林清親が描いた「海運橋 第一銀行雪中」も展示されています。幾丸が描いたのと同じ場所ですが、こちらは数年後で、海運橋は石造となり、三井組の建物も譲渡されて第一国立銀行と名を変えています。ただ、違いはそれだけではありません。雪景色だからということもありますが、清親は派手な色をほとんど用いておりません。鼠色に摺られた空や暗緑色の建物などが、雪に包まれる町の風情をうまく醸し出しています。暗い空や過剰な配色を避け、開化の東京風景を情趣豊かに描いた清親を、今日、‘明治の広重’と呼ぶこともあります。
ただ、この絵には広重の雪景色と決定的に違うところもあります。画中の複数の人物が傘を差しているので雪が降っている最中のはずですが、雪片がまったく描かれていません。広重の雪中風景なら空から舞い落ちる雪がかならず表現されています。清親は西洋の水彩画の表現を学んだと考えられています(この絵には銅版画を模したハッチング風の描線も見られますが)。雪景色だといっても雪片を描かないのは、基本的に直接雪片や雨脚を表現することのなかった西洋絵画の手法に倣ったからだと考えられるのです。
同じ主題を扱いながら、‘西洋’と異なる向き合い方をした二つの作品を、展示室で見比べてみてください。

一交斎幾丸《東京海運橋兜街三井組為座西洋形五階造》明治6年(1873)
一交斎幾丸《東京海運橋兜街三井組為座西洋形五階造》明治6年(1873)

小林清親《海運橋 第一銀行雪中》明治9年(1876)頃
小林清親《海運橋 第一銀行雪中》明治9年(1876)頃

館長かわら版 その五十

 企画展示「日本の版画1200年―受けとめ、交わり、生まれ出る」と並行して、特集展示「ふぞろいの版画たち」も開催中です。テーマを同じくして制作された版画シリーズでも版画家ごとに表現が異なることや、同一の版を用いても、刷りの段階や版の状態で刷りあがった作品が異なる表情を見せることなどをお示しする、ちょっと異色の、でも野心的な?展示です。

 私は浮世絵版画を専門としていますので、版の状態の違いにより、刷り上がりの画面がかなり異なることはつねに意識してきました。広重の名所絵など、最良の状態の版木で刷られたものと、相当に摩滅が進んだ版木で刷ったものとでは、まったく違う作品といってもいいくらい画趣が異なってきます。ただ、西洋の銅版画においても版の状態によって画面の雰囲気が大きくことなることを、これだけ多くの具体例で目にしたことはなかったので、ちょっとした驚きを覚えました。

 エングレーヴィングなど凹版の銅版画の原版が酷使されると、版が押しつぶされて線が細くなっていくという点は、凸版の木版画である浮世絵では版木が摩滅すると線が太くなっていくというのと逆の現象であることが面白いですし、版画家が一つの原版にどんどん手を加えていき、それぞれの段階(ステート)で刷られた作品を合わせてシリーズ化していることにも興味が惹かれます。第9ステートまで展示されたピカソの「ダヴィデとバテシバ」など、最初のステートからすると、最後のものなど、まったく異なる作品に仕上がっています。

 ヨルク・シュマイサーのシリーズ『彼女は老いていく』は、版に少しずつ手を加えながら画中の女性が、髪型が変化し顔の皺が深くなるなどして、若い娘から壮年、そして老婆へと次第に年齢を重ねていく様子が表現されています。日本では刷り色を変えることで朝、午後、夕など時間の変化を表現している吉田博の木版画連作『帆船』が有名ですが、版自体を大きく彫り変えることはしていません。一方、『彼女は老いていく』では、銅版そのものがどんどん彫りを進められているので、ひとつ前のステートは再現できない不可逆の工程を辿ることになります。「変化」への強い関心がある作家だといわれますが、この技法を用いて、人は老いていき、若さは二度と戻らないという不可逆な時間を表現したことに、なにか哲学的なものを感じてしまいました。

館長かわら版50

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