芹ヶ谷だより

美術館スタッフが皆さまにお届けします。

館長かわら版 その三十六

 コロナが第5類に格下げになり、まだまだ油断はならないとはいえ、とりあえず日常生活が戻った感があります。都内の観光地や電車の中にも、ずいぶん外国人観光客の姿が目立つようになりました。
 別にそれに合わせたわけではありませんが、当館は9月24日までの会期で、企画展「版画家たちの世界旅行―古代エジプトから近未来都市まで」を開催中です。西洋の版画家たちが世界中を旅し、行く先々の風景を版画化したものを展示する企画です。現代のような親切なガイドブックも無く、航空路も発達しておらず、快適なホテルも珍しかった時代に、遠く故国を離れた異国に旅した人々の残したものを目にするたびに、出不精の私などはただただ感心するしかありません。展示作品に中にはグランド・ツアーで人気のあったイタリアの遺跡風景や、オリエンタリズム盛行の中でつくられたエジプト風景の版画に混じって、維新からようやく10年の日本を描いたジョルジュ・ビゴーの『クロッキー・ジャポネ』(1886年)も展示されています。画家の第一の関心は日本の風俗だったようですが、伝統家屋の家並みを背にガス灯が立つ風景(「子守」)などは、ビゴーの目にはアンバランスで不思議なのに映ったのかもしれません。でも、この頃の日本での生活は彼にとってどうだったのでしょう。生活習慣や衣食住の違いはなかなか大変だったのではないでしょうか。

ビゴー
ジョルジュ・ビゴー『クロッキー・ジャポネ』より、《子守》1886年、エッチング、当館蔵

 展示作品には実際の風景だけでなく、画家のイマジネーションにもとづくものも含まれています。「近未来の世界」のコーナーは産業化の進む現代社会に抱く危機感を造形に結びつけた作品群を展示していますが、その中でエリック・デマジエールの「人住まぬ所」(1979年)に描かれた仮想都市は、宮崎駿監督のアニメ「天空の城ラピュタ」に出てくる鉱山街とよく似ています(あくまで個人の感想です)。偶然の一致なのでしょうが、現代文明に不安を抱く芸術家が近未来都市を空想したとき(「天空の城ラピュタ」に、行き過ぎた文明に対する警鐘のメッセージを読む見方があるようです)、はからずも脳裏に似た風景が浮かんだということなのでしょうか。
 私が思うように似ているか、似ていないかは、展示室でご確認いただければ幸いです。

 デマジエール
「第2章 『オリエント』をめぐる旅」エリック・デマジエール作品の展示風景

館長かわら版 その三十五

 当館の年間の展示は、広い企画展示室を用いた作品展示数も多い企画展と、比較的小さい常設展示室において館蔵および寄託作品を用いた特集展示から構成されています。察しの良い方はお気づきかもしれませんが、特集展示は開催時期の重なっている企画展示の内容と関連付けたテーマ設定となっていることも少なくありません。直近の例では、西洋の自然史を扱ったこの春の企画展「自然という書物 15~19世紀のナチュラルヒストリー&アート」に合わせ、特集展示「日本の自然と多色摺木版の世界」を企画したことが挙げられます。
 6月14日から始まった特集展示「大正・昭和初期の東京風景―織田一磨を中心に―」も、先日(7月17日)まで開催していた企画展「出来事との距離―描かれたニュース・戦争・日常」および7月22日から始まる「版画家たちの世界旅行―古代エジプトから近未来都市まで」との関連を意識した内容です。東京風景をテーマにした作品でまとめたという点は、企画展「版画家たちの世界旅行」が世界中の「絵になる風景」を取り集めたことと呼応させています。
 特集展示の平塚運一「東京震災跡風景」は関東大震災後、いまだ復興の済んでいない東京の風景を描いた連作版画です。人の姿のまったくない、静寂で一種乾いた詩情さえ漂う画面からは未曽有の惨状からやや時を経て、作家が出来事とある程度の距離を保って制作したことがうかがえます。一方、織田一磨の『画集銀座』と『画集新宿風景』は、ざわめきの聞こえてきそうな夜の通りや酒場の店内など、作者自身が盛り場の真っただ中に身を置いて描いています。両者には都市風景への距離の取り方の違いが見出せますが、その背景には急速に復興していく都市の変貌があるのでしょう。
 近日公開の「版画家たちの世界旅行」と合わせてお楽しみください。

館長かわら版 その三十四

 毎日のようにテレビではウクライナ戦争関係のニュースが流れ、砲撃や空襲で荒れ果てたウクライナの町が映し出されています。理不尽な戦禍に見舞われているウクライナの人々の恐怖、怒り、悲しみはいかほどのものでしょう。まさか21世紀にもなってこれほど露骨な侵略戦争が行われるとは想像もしていませんでした。せめて自分たちの孫の時代には、もう報道しなければならない戦争など地球上から無くなっていてほしいと切に願います。
 ところで、テレビやラジオなどが普及する以前の戦争はどのように報道されていたでしょう。ちょっと想像しにくいかもしれませんが、浮世絵師たちが描く錦絵が戦争報道の一翼を担っていた時代があるのです。
 浮世絵には「戦争絵」というジャンルがあります。写真がまだ未成熟な時代、浮世絵の描く戦争絵は、戦場の様子をビジュアルに伝えるメディアとして人気がありました。その始まりと画題について厳密な定義はありませんが、佐賀の乱や台湾出兵、西南戦争など、明治維新以後の近代化した日本軍の戦いの情景を描いたものを指すことが多いようで、江戸時代までの戦いの光景は「武者絵」と呼ぶことのほうが多いようです。もっとも戦争画もこの武者絵から発展したもので、ひとつのピークを迎える西南戦争を描いた作品群を見ると、戦場での特定の英雄の奮戦の光景を描くものが多く、川中島での信玄と謙信の一騎打ちを描いたような武者絵の作画姿勢を受け継いだものであることが見て取れます。
 ところが日清戦争を描くものの多くは、それまでのものから大きな変化を見せています。特定の軍人をクローズアップするよりも戦闘場面そのものを大きな視野でとらえるか、人物を大きく描く場合でもかつての武者絵とは違って特定の軍人を扱わないものが多数を占めてくるのです。さらに、戦闘場面を扱ってさえいないものも出てきます。日清戦争絵で最大の作品を手がけた小林清親、およびその弟子たちの作品で、敵の姿の描かれない斥候(せっこう)場面や、戦場での「日常」の情景などをとらえたものが散見されるのです。
 3日から始まった当館の企画展「出来事との距離―描かれたニュース・戦争・日常」に展示している篠原清興の「栄城湾上陸后之露営」(明治28年)はその一例です。清国北洋艦隊が壊滅した威海衛の戦いの前哨戦で、明治28年1月に日本軍が山東半島の栄城湾に上陸した後に野営をしている光景を描いています。絵の中心主題は前景と左遠景で焚き火を囲んで会話する将兵たちの姿で、炎で明るく照らされた二つのグループが周囲の薄闇から浮かび上がっています。戦う兵士らの鬨の声も砲声・銃声も聞こえてこない静かな夜の情景からは、一種リリシズムさえ漂っているようです。
 この画趣は清興の師匠である小林清親の明治28年1月の「冒営口厳寒我軍張露営之図(栄口の厳寒ヲ冒シテ我軍露営ヲ張ル之図)を学んだものと思われます。前景と遠景で焚き火に当たる兵士たちという設定はほぼそっくりで、逆光でシルエットになった人物の表現も清親画と同じです。ただ、清親は激しく雪の降り続く夜の光景として描いており、画面に漂う静寂さはより強く感じられます(冬に入って日本軍は現地の厳しい寒さに悩まされることになりますが、錦絵でも雪の光景が増えてきます)。こうした光源をうまく利用したリアルな光と陰の表現は、「光線画」と称してかつて清親が風景画の売りとしたものです。
 戦場の空気感を肌で知っていたような彼らの作品ですが、第二次世界大戦時の従軍画家と違って、実際に戦場に足を運んで取材したわけではありません。間接的な情報と想像力を交えて描いたという点では、西南戦争を描いた戦争絵と同じといえるでしょう。しかしながら、両者の描き出す世界はまったく異なっています。今回の企画展では向かい合った壁面に西南戦争と日清戦争の戦争画を展示していますので、わずか十数年の間に、浮世絵師たちの戦争と向き合う距離が大きく違ってきていることがよくわかると思います。

清親の「冒営口厳寒我軍張露営之図」は、「国立国会図書館デジタルコレクション」のサイト(https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1312137/1/1)でご覧になれます。

篠原清興《栄城湾上陸后之露営》明治28年(1895)、大判錦絵三枚続、当館蔵
篠原清興《栄城湾上陸后之露営》明治28年(1895)、大判錦絵三枚続、当館蔵

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