芹ヶ谷だより

美術館スタッフが皆さまにお届けします。

館長かわら版 その六十四

 昨今は国内外のさまざまな美術館や博物館が所蔵作品の高精細な画像データベースを公開してくれており、自宅に居ながらにして東西の名作を細部まで鑑賞することができるようになってきました。この点は集客も館の活動のひとつの目標とする美術館・博物館にとってはマイナス効果をもたらすものともとれますが、そうしたデータベースを公開している館の入館者数が減ったという話を聞いたことはありません。
 企画展のようにテーマにもとづいて多くの作品を一堂に展示したものなど、足を運ばなければ全体を見ることはできませんし、落ち着いた美術館の雰囲気が好きな方も少なくないでしょう。でも、一番の理由は本物のマチエール(質感)に触れる以上の鑑賞体験はないからだと思います。
 版画作品は比較的小画面のものが多いので、大画面の油彩画や屏風絵などに比べるとウェブ上で高精細画面を見ることの不利益は少ないほうかもしれません。でも、木版や銅版などさまざまな版技法が生み出すマチエールは、やはり実物でないと味わうことはできません。
 現在、当館の所蔵作品を中心に、都心のパナソニック汐留美術館で「長谷川潔展―パリに生きた銅版画家の軌跡」(企画・町田市立国際版画美術館)が開催されています。マニエール・ノワール(フランス語で黒の技法)とも呼ばれるメゾチント技法を復活させたことで知られる長谷川の、初期から晩年までの活動のほぼ全体を見通すことができる企画です。
 長谷川のメゾチント作品の魅力のひとつは、黒の背景にやわらかく浮き上がるモチーフの不思議な存在感にあるように思われます。黒の地と申しましても、ただの黒い面はなく、画面の奥行きを深く感じさせてくれるものです。この黒の深さは実物でなければ味わうことは難しいと思います。実は私も長谷川のメゾチントが大好きで、代表作のひとつ「狐と葡萄」の印刷複製画をリビングに飾っています。白の壁紙の上に、額入れした黒いメゾチント作品がいい味わいをつくりだしているのですが、やはり展覧会場で見る実物の黒には到底及びません。
 と、同覧のチラシを横にこの原稿を書いていたら(悲しいかな拙宅には書斎がなく、いつもダイニングキッチンのテーブルで仕事をしています)、妻が壁の額と見比べて「この展覧会、あの絵の作家だよね。見に行きたい」と言ってきました。わかっているじゃない。ぜひ行きましょう。
 会期は9月23日(水・祝)までですので、皆様もお見逃しなきよう。詳しくはパナソニック汐留美術館ホームページを御確認ください。

館長かわら版 その六十三

 美術展を企画する場合、制作された年代順に作品を並べる場合と、作品をいくつかのテーマに分けて展示する場合の2つのケースが多いように思われます。ある一人の作家に焦点を当てた展覧会の場合は前者のケースが圧倒的に多いのですが、その作家の制作環境の変化や人生の節目での出来事に関する解説などといっしょに鑑賞していくと、作風の変化とその背景が理解できて親しみがわくことが少なくありません。ただ、自分なりに作家の作風変化を咀嚼しつつ鑑賞しているさなかに、前後の作品の流れとちょっと異質な作風を示す作品に出くわすこともあります。私の場合、そうした作品がとくに印象に残ることが多いようです。
 現在、当館では特集展示「メキシコに生きる版画家 竹田鎭三郎 起源を求めて」を開催しています。1935年生まれの作家は1963年にメキシコへ渡り、以後60年以上もの期間、彼の地で創作活動と後進の指導を続けておられます。この展示は日本時代から1990年代初頭にいたるまでの彼の作品をほぼ時代順に展示したものなのですが、1979年のリトグラフ《亀の踊り(風に踊る)》の前に立ったとき、私は上述のような感覚を抱いたのです。
 この前年、作家は長年暮らしたメキシコシティから先住民族の文化が色濃く残るオアハカ州へ移住します。《亀の踊り(風に踊る)》は、その地に伝わる伝統舞踊を題材に描いたもののようです。前後の流れでは木版やリトグラフなどの版画技法でいかにメキシコの民俗世界を造形するか、というような作画姿勢が感じられるのですが、この作では作家が感興のおもむくまま、自由に描き出しているような雰囲気があります。題名となっている丸い亀の頭を被った人物が、刀を手にした鹿(牛?)と馬に扮した人と肩を組んで踊っています。そのはるか後方で笛のような楽器を奏する2人の人が小さく描かれていますが、奏でる音楽は踊る人々の足音にかき消されてしまっているかのような、奔放な踊り手たちの描写が印象的です。この作品の発するエネルギ-は、大都市メキシコシティからオアハカに移住した作家がこの民俗舞踊を見たときの驚きや興奮に由来するもののように思われます。
 ところで、これは本当に個人的な感想に過ぎないのですが、《亀の踊り(風に踊る)》に描かれる亀、鹿(牛?)、馬の頭に似た形をどこかで見たような気がしてなりません。思い出せそうで思い出せない、既視感にも似たそのジレンマがなおさら私にとってこの作品を忘れがたいものとさせているようです。

竹田鎭三郎《亀の踊り(風に踊る)》1979年、リトグラフ、当館蔵
竹田鎭三郎《亀の踊り(風に踊る)》1979年、リトグラフ、当館蔵

館長かわら版 その六十二

 現在、ゴッホの展覧会が巡回中で、目玉は「夜のカフェテラス」です。南仏アルルの広場にあるカフェを描いたもので、画期的な夜景表現がのちの「星月夜」につながるものとして、彼の画業の中で重要な位置を占めるものとされています。現在当館で開催中の企画展「プレイバック! ミレニアム1991→2001―版画が/版画で越えた境界―」に展示されているマティアス・ヴァスケの「MERIDIONAL(triptych)」は、そのパロディ作です。
 ゴッホはカフェの面した通りを1点透視法でとらえていますが、ヴァスケは広場とそこから放射状に出る通りを2本描き足して広い画角の作品とし、ゴッホゆかりの地を訪れた数多くの観光客を描き加えています。広場の中央にあるブロンズ彫刻の大きな耳は、ゴッホが自ら切り落としたものをモニュメント化したものです。ゴッホが描いたカフェは現存しますが、この耳のオブジェは実際には存在しません。
 この他にもヴァスケはさまざまなものを描き加えています。向かって左側、白髪の紳士(アメリカのポップアートの旗手、アンディ・ウォーホルのようです)が手にする新聞は1969年11月14日付の南仏の地方紙『ル・メリディオナル』で、この日、アメリカのケネディー宇宙基地から打ち上げられたアポロ12号に関する記事のようです。右側の女性が読んでいる新聞は、フランスを代表する高級紙『ル・モンド』の1990年8月26-27日。1面は湾岸戦争に関する記事で、クウェートに侵攻したイラクに対して経済制裁をおこなうため、国連安保理が禁輸措置実行のための海上封鎖を承認したという内容です。
 両紙ともに鑑賞者によく見えるかたちで示されているため、なにか深い意味があるのかと思われます。アポロの記事は夜の星空(ゴッホの描いた夜空は実際の星座配置を同じであることが指摘されています)と関係があるのでしょうか?
 多数の国々を巻き込んだ湾岸戦争の記事、商店を世界規模で拡張するマクドナルドに変えたこと、ゴッホゆかりの観光地をカメラを手に歩き回る観光客など、ボーダーレスかつ商品化しつつある現代社会への批判かもしれません。ショーウインドウの中の下着姿のマネキンがマリリン・モンローらしい点も意味深な気がします。
 画面中央の耳も、もしかすると、たんにゴッホの耳をブロンズ化したものというだけではないかもしれません。フランス語で「ル・モンド」の意味が「世界」であることを踏まえれば、世界の声に耳をすませよ、という意図が込められているのでしょうか?
 いえいえ、作者はただ見る人になにか考えさせる材料を提示しただけなのかもしれません。そうした仕掛けは他にもいろいろほどこされているかもしれません。実際の作品で探して、ご自身なりの解釈をしてみるのも楽しいと思います。

ex630-03
マティアス・ヴァスケ《MERIDIONAL》1996年、オフセット、当館蔵

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