1920年、大正9年生まれの駒井哲郎の青春は、戦争に翻弄されたといえるでしょう。
1944年と45年の2度にわたって召集され、溝ノ口東部第六二部隊に入営しています。
最初は脚気のため除隊となり、二度目は終戦をその部隊でむかえました。
階級は陸軍二等兵、都会の富裕な商家に生まれ育ったこともあり、古参兵などからずいぶん殴られたようです。
兄のひとりはニューギニアで戦死し、実家は空襲で焼かれてしまいました。
この戦争体験は、芸術家志望の繊細な青年のこころに深い傷を残したにちがいありません。
戦後まもない時期に制作された『孤独な鳥』は、傷ついた彼のこころを表現した作品ともいえるでしょう。
軍隊を体験した同世代の銅版画家・浜田知明(1917年生)は、その不条理さを直接的に告発する版画をつくりました。
いっぽう駒井は自分のこころの中を描くことで、戦争体験者の心情を普遍的に表現する方向へと向かったようです。
美術家の資質もさまざまです。

1944年と45年の2度にわたって召集され、溝ノ口東部第六二部隊に入営しています。
最初は脚気のため除隊となり、二度目は終戦をその部隊でむかえました。
階級は陸軍二等兵、都会の富裕な商家に生まれ育ったこともあり、古参兵などからずいぶん殴られたようです。
兄のひとりはニューギニアで戦死し、実家は空襲で焼かれてしまいました。
この戦争体験は、芸術家志望の繊細な青年のこころに深い傷を残したにちがいありません。
戦後まもない時期に制作された『孤独な鳥』は、傷ついた彼のこころを表現した作品ともいえるでしょう。
軍隊を体験した同世代の銅版画家・浜田知明(1917年生)は、その不条理さを直接的に告発する版画をつくりました。
いっぽう駒井は自分のこころの中を描くことで、戦争体験者の心情を普遍的に表現する方向へと向かったようです。
美術家の資質もさまざまです。
