明けて夏休みのまっただ中、美術館2階の休憩コーナーにも芹ヶ谷公園で水遊びする子どもたちの声が洩れ聞こえてくるようになりました。「畦地梅太郎展」と「インプリントまちだ」が始まってもう一ヶ月以上経ちましたが、来館される方の中には小中学生の姿も目につきます。
先日、晩年の畦地のことを直接御存じのお二人の話をうかがうことができました。おひとりは、お孫さんにあたる畦地堅司さんで、31日(水)に展示室内で特別ギャラリートークをしていただきました。大勢お集まりいただいた畦地ファンに囲まれ、ポイントとなる作品を適宜取り上げつつ畦地の版画家としての活動をわかりやすく解説していただきました。個々の作品に関して実際に作家がどのように語っていたかを知るのは貴重な機会です。畦地についてにわか勉強の身にとって「目から鱗」的なことが盛りだくさんでしたが、一番意外だったのは、見ようによっては白いベビー服をまとった小児のようなことから人気のある「白い像」(1958年)が、畦地にとって‘山’そのものを象徴的に表現したものだと知ったことです。画面下部の黒い杭のようなものが森林を表し、その上にすっくと立つ白い像は森林限界以上の雪山を表象したものらしいのですが、山そのものを神体とみなす日本人の心性も反映したものかもしれません。話をうかがった後では、松林の上に雪を被った富士の峰が浮かぶ与謝蕪村の「富嶽列松図」とイメージを重ね合わせる自分がいました。
もうひとりは、当館の元学芸員の河野実さんで、3日(土)に「畦地梅太郎と町田」の演題でご講演いただいたのです。1981年の市立博物館での「創作版画の曙」展を機に畦地との交流が始まり、彼が当美術館の設立に大きな役割を果たしてくれたことなどをお話いただきました。
さて、「インプリントまちだ2019―田中彰」では、河野さんのご講演の日に、1階ホールに特設したアトリエで、田中彰さんの滞在制作を拝見しました。その日の制作開始直後で、まだお客さんがいなかったので、私も電熱ペンでの版づくりを少しだけ体験させていただいたのですが、木版画とはいいながら、彫刻刀とはまた違う版面の手応えが面白く、またペン先が版面を焦がすにおいが鼻に心地よく、どこかしらなつかしい感じがします。夏休みとあってお子さんがたの参加も多く、電熱ペンでの版画づくりにはまってリピーターとなった子もいるとお話される田中さんの嬉しそうな顔が印象的でした。河野さんのご講演が終わってホールに戻ると、特設スタジオの前には順番待ちの列ができていました。共同制作された版画は、順次、二階の企画展示室に作品として展示されています。その数もずいぶんと増えてきました。
大久保純一(おおくぼじゅんいち 町田市立国際版画美術館館長)