第一回目のブログで、「いささか専門は外れた者の目を通して、当館の展覧会をご紹介していくことになります」と書かせていただきましたが、今回はまさにその極致かもしれません。現在開催中のミニ企画展「ルオーとシャガール―めくるめく挿絵本の旅へ―」をとりあげてみたいと思います(前回のブログの最後で、この展示について次回のブログで何か感想が書ければ、などと締めくくってしまいました。いまさらながら後悔しています)。
ルオーとシャガールという日本人にも馴染み深い作家の版画を、約40点というかなりまとまった点数展示しています。ルオーの銅版画『流れる星のサーカス』は、彼の重厚な油彩画のマチエールを想起させるところがありますが、エッチングとドライポイントを併用した線描主体のシャガールのゴーゴリ『死せる魂』の挿絵は、青が特徴的でかつ色彩豊かな彼の油彩画やステンドグラスなどとは、かなり異なった雰囲気を醸し出しています。ただ、現実味にこだわらない自由な空間造形や稚気あふれる人物の姿態は、やはりシャガールらしさがにじみ出ています。
単純に造形だけ見ていても面白いですが、挿絵ですので、原作を読んでから見るとなおいっそう面白さがわかります。ロシア文学を読むのは学生時代以来なのですが、岩波文庫版の『死せる魂』(平井肇、横田瑞穂訳)を読んでみました。饒舌で諧謔味あふれる原作の叙述スタイルと、上述のようなシャガールの画風が、みょうにしっくりとくるものでした。
個人的なお気に入りは、「御者セリファン」と「プリューシキンの部屋」です。前者は、主人公の詐欺師チチコフの馬車の御者をつとめる男の「肖像」です。一見、子供が自分の親の顔を描いた絵のようにも見える素朴な画風ですが、酒に酔っているだろう、と主人のチチコフから詰問されてもけっして認めようとしない頑固で粗野なセリファンの人柄がよく出ていて、微笑ましい作品です。後者は、奥方に先立たれ、子供たちにも逃げられ、すさんだ生活を送る地主のプリューシキンの部屋を俯瞰しています。テーブルの上に投げ出された壊れた掛け時計や、鵞ペンのささったインク壺やブロッター(インク吸い取り器)、燭台などが乱雑に散らかった書斎机の描写などは、やたらと物を拾っては家に持ち帰り、「なんでも床に落ちているものを拾いあげては、書物卓の上なり窓枠の上へ載せておくのだ」というプリューシキンの習性を挿絵にしたものですが、ゴミ屋敷の帝政ロシア版かな、などと考えながら、描かれている個々のがらくたは何だろうと、つい細部に見入ってしまいました。
ルオーとシャガールという日本人にも馴染み深い作家の版画を、約40点というかなりまとまった点数展示しています。ルオーの銅版画『流れる星のサーカス』は、彼の重厚な油彩画のマチエールを想起させるところがありますが、エッチングとドライポイントを併用した線描主体のシャガールのゴーゴリ『死せる魂』の挿絵は、青が特徴的でかつ色彩豊かな彼の油彩画やステンドグラスなどとは、かなり異なった雰囲気を醸し出しています。ただ、現実味にこだわらない自由な空間造形や稚気あふれる人物の姿態は、やはりシャガールらしさがにじみ出ています。
単純に造形だけ見ていても面白いですが、挿絵ですので、原作を読んでから見るとなおいっそう面白さがわかります。ロシア文学を読むのは学生時代以来なのですが、岩波文庫版の『死せる魂』(平井肇、横田瑞穂訳)を読んでみました。饒舌で諧謔味あふれる原作の叙述スタイルと、上述のようなシャガールの画風が、みょうにしっくりとくるものでした。
個人的なお気に入りは、「御者セリファン」と「プリューシキンの部屋」です。前者は、主人公の詐欺師チチコフの馬車の御者をつとめる男の「肖像」です。一見、子供が自分の親の顔を描いた絵のようにも見える素朴な画風ですが、酒に酔っているだろう、と主人のチチコフから詰問されてもけっして認めようとしない頑固で粗野なセリファンの人柄がよく出ていて、微笑ましい作品です。後者は、奥方に先立たれ、子供たちにも逃げられ、すさんだ生活を送る地主のプリューシキンの部屋を俯瞰しています。テーブルの上に投げ出された壊れた掛け時計や、鵞ペンのささったインク壺やブロッター(インク吸い取り器)、燭台などが乱雑に散らかった書斎机の描写などは、やたらと物を拾っては家に持ち帰り、「なんでも床に落ちているものを拾いあげては、書物卓の上なり窓枠の上へ載せておくのだ」というプリューシキンの習性を挿絵にしたものですが、ゴミ屋敷の帝政ロシア版かな、などと考えながら、描かれている個々のがらくたは何だろうと、つい細部に見入ってしまいました。
会期は3月1日(日)までです。年度末の慌ただしさに流されがちな時期ですが、どうかお見逃し無く。

大久保純一(おおくぼじゅんいち 町田市立国際版画美術館館長)




