芹ヶ谷だより

美術館スタッフが皆さまにお届けします。

2021年07月

館長かわら版 その十九

 健康のため、自宅近くの県立公園を主なコースとして30分程度のジョギングを日課としています。珍しく定時で帰宅でき、まだ明るい内に走れた日に、日没前後の空を撮影している女性を見かけることがあります。公園の広い芝生の上で、ひとりで空にカメラを向ける姿は目立つので、彼女のカメラが向けられた先に私も自然に目をやることになります。普段はノルマとする時間の達成にもっぱら気を取られていますが、このときだけは、空の多彩な表情に気づかされます。さざ波が立ったような鰯雲、縁が茜色に染まった積雲や、夕日で一部が金色に輝く入道雲などから、いつのまにか季節が移っていることを教えられるのです。と同時に、ああ広重の雲だな、清親の夕暮れ空だな、などと風景版画の大家の作品を連想することもあります。

 空を観察することは風景画家にとっては重要な作業だったはずです。現在当館で開催している「浮世絵風景画 広重・清親・巴水 三世代の眼」に展示される作品でいえば、天保(1830~44)初期の「(一幽斎描き)東都名所」や同前期の保永堂版「東海道五拾三次之内」の江戸に近い宿駅図(「日本橋」「品川」「神奈川」)などでは、複雑な形をした雲がグラデーション豊かな藍や紅で重ね摺られ、時刻や季節の情感が漂う空が表現されています。広重の作品からこうした手の込んだ空の表現は急速に消えてゆき、そのかわりに空の上辺や下辺をひとつの色で帯状にぼかす手法で、印象的に季節や天候を表現するようになります。この変化の主たる理由には制作コストの低減化を挙げることができるでしょう。

 明治の小林清親の一連の「東京名所図」の空の表現は広重以上に複雑で微妙です。彼の作品には夕暮れや夜の風景が少なくありませんが、複雑な色の摺り重ねにより、それぞれの時間にふさわしい空の様子がきわめてリアルに表現されています。ときに自然現象に忠実に空を表現しようとするあまり、夕空を引き裂いて走る黄色い筋(「千ほんくい両国橋」。この現象が何を描いたものなのか、ずっと疑問に思っていたのですが、今回の展示でロール状高積雲の可能性があることを知りました)や、雲の裂け目からまるで消える直前の線香花火のように放電される稲妻(「御厩橋之図)など、風景画としてはいささか目障りなような天候現象が描かれたりします。おそらく清親はいつも空を見上げ、つぶさに観察していた絵師だったのだと思います。

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 「浮世絵風景画 広重・清親・巴水 三世代の眼」をご来場の折は、ぜひ空の表現にも注意してご覧になってください。

館長かわら版 その十八

 新型コロナ感染拡大にともなう相次ぐ緊急事態宣言で、旅行もままならないご時世です。旅好きの人にはつらい時期が長く続いています。かくいう私も昨春からほとんど出張にも出ておらず、さほど旅行好きではないにもかかわらず、パンデミックが収まったら泊りがけでどこに出かけようか、などと考えるようになってきました。

 旅に憧れる江戸後期の人々に視覚的に旅の情報を提供したのが名所図会(めいしょずえ)や浮世絵の名所絵(風景画)です。名所図会とは、江戸後期に多種刊行された名所案内の書籍で、神社仏閣や旧跡、勝景の地などの由来や見どころを、一流絵師の手になる精細な挿絵とともに記したものです。代表的なもののひとつ『東海道名所図会』(1797年刊)は6巻本、大部ですし、高価でもあったので、旅先にガイドブックとして持参するものではありません。貸本屋で借りて、家で楽しんで読み、かつ見るものでしたので、現代のテレビの旅行番組に似た役割を果たしていたのかもしれません。「読みあきた枝折(しおり)は泊り名所図会」(『柳多留』120編)という当時の川柳は、バーチャルな旅の体験を提供する名所図会の役割を端的に詠んだものといえそうです。

 名所図会の挿絵は墨摺(モノクローム)でしたが、浮世絵師の歌川広重が描く名所絵の数々は、あざやかな多色摺で季節感豊かに風景を描き出し、なおいっそうリアルに旅の気分を味わえるものだったはずです。広重の出世作であり、北斎の「冨嶽三十六景」と並んで浮世絵風景画というジャンルを完成させた記念碑的シリーズといえる保永堂版「東海道五拾三次」は、名所図会以上に江戸人々の心を上方の名所巡りや伊勢参詣の旅へと誘ったと思われます。同シリーズの江戸に近い宿駅図の多くは、東から西に向かって街道を見通す視点、すなわち、東海道を上る江戸の人の目線でもって描かれています。たとえば、「沼津 黄昏図」は、日暮れて比丘尼や金毘羅参りが沼津の宿へたどり着こうとする様子を描いています。旅に日々を送るこの人々と視線を重ねて、いやがうえにも旅心がかきたてられたのではないでしょうか。

 当館では9月12日(日)まで、企画展示「浮世絵風景画 広重・清親・巴水 三世代の眼」を開催中です。各地の名所風景を描いた作品の数々をご覧になって、つかのま旅心を慰めていただければ幸いです。


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歌川広重「東海道五拾三次之内 沼津 黄昏図」
天保5-6年(1834-35)頃、町田市立国際版画美
術館蔵(前期展示)

館長連続講座「浮世絵を知る」が始まります!

北斎神奈川沖波裏met
The Metropolitan Museum of Art

大久保純一館長による連続講座「浮世絵を知る」が始まります。

当ブログで「館長かわら版」を連載中の大久保館長。開催中の展覧会について、展示作品を実際に見たい!と思わせる文章を毎回楽しみにされている方も多いのではないでしょうか。

「版画の歴史の流れがわかるコレクション」をかかげる当館の展覧会は、古今東西多岐にわたるテーマを取り上げ、雰囲気が毎回がらりと変わります。

館長のブログは日本、西洋、現代…と展覧会に応じて書いていますが、本来は浮世絵を中心とする近世日本美術の研究者。東京国立博物館や国立歴史民俗博物館で浮世絵の研究と展示を長年手がけてきました。広く深い知識を背景に、館長の専門である浮世絵を見る楽しさをたっぷりお伝えしたいというのが、この講座の趣旨。今回は画題に注目した以下の3つの講座を開講します:

第1期【浮世絵の風景画】  
①  9月5日(日)  「富士を描くー葛飾北斎」  
② 10月10日(日) 「江戸を描くー歌川広重」

第2期【美人画と役者絵】   
① 11月 7日(日)  「美人画―歌麿を中心に」  
② 12月12日(日) 「役者絵―写楽と豊国」

第3期【浮世絵の戯画と諷刺画】 
① 2月13日(日)  「戯画―国芳を中心に」  
② 3月20日(日)  「幕末諷刺画の隆盛」

13:30~15:00 美術館1階講堂
毎回資料費500円を当日受付でお支払いいただきます。

対象は中学生以上。3期に分けて募集を行います。町田市イベントシステムからお申込みください。
募集期間は当館HPとSNS、広報まちだで随時お知らせいたします。

第1期【浮世絵の風景画】(イベントコード番号 210727A)の申し込みはこちらから

浮世絵の歴史や個性的な絵師たちについて、専門家ならではの、深くかつ分かりやすい講座を受けられるチャンスをお見逃しなく!

館長かわら版 その十七

 7月10日(土)から始まる「浮世絵風景画展 広重・清親・巴水」に先行する形で、ミニ企画展「浮世絵モダーン 橋口五葉と伊東深水を中心に」を開催中です。五葉の「耶馬渓」や「髪梳ける女」、深水の「近江八景」、山村耕花の「十三世守田勘彌のジャン・バルジャン」など、新版画の有名作品を含む全20件40点が展示されています(観覧料無料です!)。

 新版画は、江戸時代の浮世絵版画と同じように、版元・画家・彫師・摺師の協業によって制作される多色摺木版画です。技術的には浮世絵の伝統を受け継ぎながら、個々の画家は近代の芸術家としての新しい表現を追求しています。

 今回、私が目を留めたのは五葉の「夏衣の女」です。胸元を大きくはだけたしどけない姿で鏡台に向かう姿や、素肌が透けるように黒の薄物の衣装を重ね摺る技法は、18世紀末の喜多川歌麿の美人画の影響が認められます。ただし、歌麿の描く女の顔がけっして鑑賞者に正対することがなく、あくまでも「見られる」側の存在であるのに対し、五葉の「夏衣の女」の顔は、真っすぐこちらに向けられています。静かに正面を見据える眼差しは、けっして挑戦的ではありませんが、内に秘めた強さも感じられます。

 展示室では、この絵のちょうど真向かいに深水の「黒襟」が掛けられています。こちらも鏡台に向かい化粧する女を描いていますが、女の顔は鏡に映り、鑑賞者には後ろ姿の白いうなじが見えているという設定(女は化粧姿を「見られている」のです)は、「姿見七人化粧」など、歌麿美人画に見られる趣向を忠実に踏襲したものといえます。

 この2作品だけでもって、五葉と深水、新版画を代表する二人における美人画の作画姿勢の違いを云々することはあまりに早計ですが、少なくとも歌麿作品の受容のありかたは異なっているように見えるのです。

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