高2に上がり数学につまずいて理系進学を諦めるまで、生物学者になるのが夢でした。とくに昆虫には小学生の頃から熱中し、小学生のときに親に買ってもらった学習図鑑の昆虫の巻は一番の愛読書となり、虫の同定に使うだけでなく、挿絵を模写するのも大好きで、最後はぼろぼろになってしまいました。半世紀も前に熱中した行為を久々に思い出したのは、現在開催中の企画展「版画の見かた―技法・表現・歴史―」の第三章「版画の歴史」の「情報」のコーナーに展示しているヨンストンの『動物図譜』を目にしたからです。

ポーランドの博物学者ヨハネス・ヨンストンが17世紀半ばに編纂したこの大部な動物図鑑は日本にももたらされ、江戸時代の博物学者らによって繰り返し写されます。野呂元丈によって寛保元年(1741)に『阿蘭陀畜獣虫魚和解』として一部が翻訳されるなど、その内容は我が国の博物学の発展に一定の影響を与えますが、とくにエッチングによる精緻でリアルな挿絵は、博物学者だけではなく絵師にも大きな影響を与えました。たとえば、同書の雌雄のライオンとワニ(カイマン)の図は蘭学者で戯作者でもあった森島中良編著の『紅毛雑話』(天明7年・1787刊)に、絵師の北山寒巌によって克明に写し取られていますし、江戸でも屈指の人気絵師だった宋紫石は同書のライオンや犬などの動物の姿を木版画譜『古今画藪』の中に墨絵風に写し出し、洋風画家の草分けである司馬江漢も自身のエッチングの風景画の中にライオンを忍び込ませています。
以上のようなことを見ると、ヨンストンの『動物図譜』は江戸時代の絵師たちが夢中になって模写した図鑑だったといえるでしょう。もちろん、同書は大変高価なものだったので、誰もが見ることができたわけではありません。『紅毛雑話』中のワニを参考にして、グロテスクで迫力あるワニザメの図を描いた歌川国芳の例も知られています。ヨンストンの『動物図譜』は、江戸時代の画壇にとってまさに画像「情報」の宝庫だったのです。
同書には昆虫も収録されています。そのうち、見てみたいものです。