芹ヶ谷だより

美術館スタッフが皆さまにお届けします。

2022年11月

版画×写真展その8 写真は芸術か?

無題
ヘンリー・ピーチ・ロビンソン(1830-1901) 《キャロリング》 
1887(後年のプリント) ゼラチンシルバープリント 東京都写真美術館

20108366 
ヘンリー・ピーチ・ロビンソン《キャロリングのためのデッサン》 
1887(後年の複製) コロタイプ 東京都写真美術館


 このふたつの作品はどういう関係でしょう?
 写真をもとにデッサンを描いた、そう考える方が多いのではないでしょうか。でも実は逆、デッサンの構図に従って写真を構成しているのです。

 見たままに正確に写し、瞬間を切り取ることができる、これが写真の長所なのに、なぜわざわざそのようなことをするのか、現代の私たちには不思議に思えます。

 正しく組み立てられた空間に人物や事物を配置し、全体の構図を組み立てていく、これは当時のアカデミックな絵画の制作方法です。遠近法や陰影法、解剖学や美術史の知識に基づき制作されるこうした絵画が芸術とされていたのです。

 写真技術が急速に発展を遂げるにつれて、写真家の中には写真を芸術として認めてほしいという声をあげる者が現れるようになりました。これに対して、レンズの前にあるものを機械で写すだけで、誰がやっても同じなものを芸術として認めることはできない、との声があがります。この作品はアカデミックな絵画の方法に従うことで、写真の「芸術性」を高めようとした試みと考えられます。絵画を脅かす存在と考えられていた写真が、自らの長所をあえて犠牲にしてまで絵画に倣おうとしたのは今となっては良い方法ではなかった、と言われてしまうかも知れません。
でもこれもまた、先にご紹介したバクステロタイプやクリシェ=ヴェールと同様に、急激な変化で先の見えない状況の中での挑戦だったのです。


版画×写真展その7 版画それとも写真? クリシェ=ヴェールの場合

表
カミーユ・コロー(1796-1875) 《森の騎士(大)》
1854(1921刊) クリシェ=ヴェール 町田市立国際版画美術館

この作品は版画と写真のどちらでしょう?
手の動きがそのまま伝わるような活き活きした線は、コローのエッチングを思わせます。

 
裏

では、こちらはどうでしょう? 
なんだか全体にぼんやりしています。よく見ると最初の作品と左右逆転しています。 
 
このふたつはクリシェ=ヴェールという技法で制作された作品で、同じ版を使っています。
版を使うなら版画ですが、版を刷ってはいないし、インクも絵具も使っていません。
フランス語でクリシェはネガ、ヴェールはガラスのこと。クリシェ=ヴェールはガラス板でネガを作り印画紙に焼き付ける技法です。皮膜で覆ったガラス板をニードルなどで引っかいて絵を描き、印画紙にのせ感光させると、線の部分だけ光が通り画像を焼きつけることができます。その際には絵を描いた面を下にして印画紙に密着させます。これを上向きに置くと裏焼きを作ることができますが、ガラスの厚みのため画像がぼんやりしてしまうのです。

銅版画技法のひとつ、エッチングでは銅版の表面を皮膜で覆い、ニードルなどで引っかいて絵を描き、版を酸の溶液に浸します。すると皮膜がはがされ金属が露出した線の部分だけが腐蝕され、凹版を作ることができます。そう、版に絵を描くところまではクリシェ=ヴェールとエッチングはよく似ています。線の感じがよく似ているのはそのためです。

印画紙に光で焼き付けるクリシェ=ヴェールの表面は平滑です。それに対して、インクを使って刷り上げるエッチングの表面にはインクの凹凸と独特の風合いが生まれます。ぱっと見てエッチングだと思って近づくと、質感のあまりの違いに戸惑いをおぼえるかも知れません。

シンプルなクリシェ=ヴェールは散発的な試みが繰り返され、技法として展開することはなかったようです。しかし20世紀に入ってもポーランドの詩人ブルーノ・シュルツが印象深い作品を残すなど、まだまだ調査の余地はありそうです。版画史にも写真史にも明確な位置づけがなされていないこの技法は、その曖昧さゆえに版画と写真が支え合い競い合った時代の状況を伝えているのです。

版画×写真展その6 版画それとも写真? バクステロタイプの場合

09 ジョージ・バクスター《磔刑(大)》
ジョージ・バクスター(1804-1867) 《磔刑(大)》
1855(c. 1868刷り) バクステロタイプ 東京工芸大学中野図書館

十字架にかけられたイエス・キリストと、その周りで嘆く人々。斜め上からの光に照らされ、彼らの姿は彫り出されたかのように浮かび上がって見えます。それはなぜかといえば、この作品がフランスの彫刻家ジュスタン・マチュー(1796-1864)のレリーフをうつしたもの、正確に言えば、マチューのレリーフを撮影した写真を版画にしたものだからです。

基にされた写真はダゲレオタイプではありません。紙のかわりにガラスをネガに用い、鶏卵紙という感光度の高い印画紙に焼き付けた、画像が鮮明で焼き増しも可能な写真です。ではなぜそれを版画にしたのでしょう?

作者バクスターは、仕上がりの質と保存性の高さをその理由にあげています。
1850年代の写真は太陽光で焼き付けを行っていたため天候の影響を受けやすく、露光を繰り返すうちにネガが劣化するため、多くの枚数を一定の品質でそろえるのは簡単ではありませんでした。またできあがった写真は光や熱の影響によって褪せやすいという欠点もありました。

 バクスターが「バクステロタイプ」と名づけたこの技法は、銅版の主版に木口木版の色版を刷り重ねたものです。すでにバクスターは、同じ原理を使った「バクスター版画」で多色刷り版画の商業化に成功していました。時に十数枚の色版を刷り重ねるバクスター版画に較べれば、2枚程度の色版しか使わないバクステロタイプは簡単なものといえるかも知れません。しかし写真製版が完成していないこの時代にイメージを描き写し、アクアチントで主版を作り、混色の効果も予測して色版を準備し、何枚かの版を刷り重ねるのはそれなりに手間がかかり、商業的に成り立つにはかなりの部数を出版する必要があります。何よりも問題なのは、制作プロセスに人の手が入ることで「機械による正確な記録性」という写真の長所が損ねられる点にあったのではないでしょうか。バクステロタイプ事業はわずか2年ほどで失敗に終わりました。

 伸びざかりの新技術である写真は、版画の領域を急速に侵食していきました。とどめることができない写真の脅威に対する、バクステロタイプは版画のささやかな反撃だったのかも知れません。

 美術史家でバクスター版画の研究をされている大森弦史氏は、バクスターの重要な支援者で、早くから写真に関心を寄せ、その育成に力を注いでいたアルバート公(ヴィクトリア女王王配)との関係からもバクステロタイプを読み解いています。バクステロタイプについては『イギリス美術叢書V メディアとファッション』(ありな書房、2020年刊、ISBN 978-4-7566-2072-9)をぜひご一読ください。

版画×写真展その5 紙焼き写真の登場

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ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット(1800-1877)
《アントワーヌ・フランソワ・ジャン・クローデの肖像》ネガとポジ 
1846(1984のプリント) 塩化銀紙 横浜美術館

 ネガとポジ、印画紙への焼き付け。この技術の発展が、写真の実用性と重要性を高めていきました。

 1841年にタルボットが発表したカロタイプは、硝酸銀溶液とヨウ化カリウム溶液で処理して感光性を与えた紙(塩化銀紙)を用いる方法です。

カメラで撮影して得られるのは実際とは明暗が逆になったネガ画像です。この紙ネガを別の塩化銀紙に密着させて日光にあてると、明暗がもう一度逆転したポジ画像を得ることができます。これが写真の焼き付けです。紙ネガがあればポジ画像の写真を何枚でも作ることができる、これがカロタイプの最大の長所です。ダゲレオタイプに対してはセールポイントであった「同じものが何枚も作れる」という版画の特質は価値を失っていくことになるのです。

ネガに用いる紙の厚みや繊維などの理由で、カロタイプは精彩さの点ではダゲレオタイプに遠く及びませんでした。しかしカロタイプを出発点とする新たな発明によって、こうした問題も解決されていきます。その後の写真の隆盛は、カロタイプから始まったのです。

デジタル写真が一般的となった現在では、写真を紙に焼かなくても、スマホやネットの中で画像を流通させることができるようになりました。最近はフィルム写真を見直す動きもあるようですが、「フィルム×デジタル」の勝負はどのような決着となるのでしょう。

版画×写真展その4 ルルブール『ダゲリアンたちの世界旅行』

ダゲリアン モスクワ
ノエル・マリー・ぺマル・ルルブール(1793-1860)編『ダゲリアンたちの世界旅行』より
《モスクワの聖ワシリイ大聖堂》
1840-43刊 銅版画(アクアチントほか) 東京工芸大学中野図書館

1839年のダゲレオタイプ公表から間もなく、パリの光学機器商ルルブールは、ヨーロッパや中近東など各地の風景をダゲレオタイプで撮影させ、『ダゲリアンたちの世界旅行』と題する画集を出版します。

ダゲレオタイプは金属板に定着した1枚の画像しか得られない写真技法です。
現在のような写真製版印刷はもちろんまだありません。
ではどうやって画集を出版したのかというと、ダゲレオタイプをもとに版画を作ったのです。

以前に「版画の役割」と題してご紹介したように、美術作品をもとにした版画は何世紀にもわたって制作されてきました。ダゲレオタイプを版画で複製するというのは当たり前の発想だったのでしょう。ただし『ダゲリアンたちの世界旅行』の版画の大きな特長は、それらがほぼアクアチントという技法によって制作されていることにあります。
 
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拡大した部分図をご覧ください。細かい点で明暗を作り出すアクアチントの特長がよくわかります。アクアチントは、エッチングによる線描と組み合わせて補助的に用いられることが多い銅版画技法です。しかしこの版画集の多くの作品はほぼアクアチントだけ、つまり細かな点描でイメージが描かれています。

ダゲレオタイプの画像は金属板の上に銀粒子による像を固定したものです。粒子、つまり点によって像ができているのです。アクアチントはダゲレオタイプを複製するにはうってつけの技法といえるでしょう。

私の知る限りですが、アクアチントだけの複製版画というのはそれ以前には例が少ないように思えます。そうした表現を用いることで、これが新技術ダゲレオタイプに基づく画集なのだということをアピールしているのかも知れません。


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