芹ヶ谷だより

美術館スタッフが皆さまにお届けします。

2023年10月

館長かわら版 その三十八

 本展に展示されている「流行美人 浅草公園水族館」(国立歴史民俗博物館蔵)を見ているとき、水族館の大水槽を背に幼い娘たちの写真を撮ろうとして露出設定に苦労したことを思い出しました(30年近くも昔のことです)。水槽に向けてストロボ発光はタブーですから、非日常の光環境のもとで、カメラのダイアルをどこに設定していいのかわからなかったのです。
 明治32年に発行されたこの版画も、ある意味、非日常の世界を映し出しています。和装美人のうしろに、鯛やフグ、エイなどいろんな魚の舞い踊りとは、いったい…。
 実はこれ、この年の10月に東京浅草四区に開設された浅草公園水族館の内部を描いたものなのです。こんな時代から水族館があったのかとも思いますが、明治15年に上野の動物園に設けられた淡水魚の水槽が国内最初の水族館だとのことで、17年も遡ります。ならば、もう珍しくもなくなっていたかと思うと、さにあらず。この浅草の水族館は海水の循環濾過方式を採用して、海から離れた東京の盛り場でおよそ100種類もの海水魚を展示したことから大人気となり、わずか18坪、水槽15室の小さな館内は連日超満員の賑わいだったそうです。でも最新の循環装置の設置だけでなく、どうやって海から魚を生きたまま運んだのでしょう。
 周延は、人々の耳目を集めた当時最先端の施設を3枚続の錦絵美人画に仕立てたのです。1枚に女性をひとりずつ(中央の女性は子どもの手を引いていますが)配置して3枚続の画面を構成するのは江戸時代以来の定式といえるものですが、女性たちの背後に海の魚が群れ泳ぐという光景は、江戸時代の錦絵美人画には見られなかったものです。最先端の流行を見逃さないのは錦絵ならではの制作姿勢ですが、水族館など聞いたこともない地方の人は、ここに描かれている情景を理解することはできなかったでしょう。これは、龍宮城を描いたのか?と誤解した人がいたかもしれせん。
 本作は11月5日までの前期展示となります。気になる方はお早めに。

かわら版2
楊洲周延「流行美人 浅草公園水族館」発行:明治32年(1899)12月25日、国立歴史民俗博物館蔵

館長かわら版 その三十七

 楊洲周延(ようしゅうちかのぶ)という浮世絵師の名前は、一般にはあまり馴染みがないと思います。浮世絵にある程度関心がある方でも、明治に活躍した絵師の名前を挙げて、と言われたら、月岡芳年(つきおかよしとし)や小林清親(こばやしきよちか)の名前を挙げることはあっても、周延の名前をまっさきに思い浮かべる人はそう多くないでしょう。実は、私たち浮世絵の専門家でも似たような状況だったといってもいいかもしれません。数年前にある博物館で浮世絵の講演をした後、聴衆の方からご自宅に伝わる周延の作品について勉強したいので、書店を通して入手できる周延についての書籍を教えてほしいと言われ、洋書しかご紹介できなかったことを思い出します。
 しかしながら、在世当時、周延は間違いなく浮世絵界を代表する人気絵師のひとりでした。優美な美人画が本領ですが、西南戦争や日清・日露戦争を描く戦争絵、博覧会やサーカス、憲法発布式典など開化の風俗や出来事を描いた時事画題も数々描き、そうかと思えば明治中期の徳川時代回顧の風潮に合わせて、「千代田の大奥」などの江戸風俗を描いた作品も数多く手掛けています。今回の企画展の副題にあるように、まさに「明治を描き尽した浮世絵師」といっていいでしょう。
 10月7日からはじまったこの企画展は、周延作品の著名なコレクターのご協力も得て、前後期合わせて300点以上という大規模なものとなりました。版画だけでなく、肉筆画の優品を多数展示しているところも注目です。国内における最大の周延展といって間違いなく、本展を契機に世の周延観が変わることも期待されます。じっくり時間をかけてご覧いただければと思います。
 本展の展示図録も周延の基本文献となることと思います。そんなこと専門家じゃなければ関係ないよ、などとおっしゃらないでください。この図録の巻末には周延の作品総目録がついています。冒頭で紹介したような方がこれを参照すれば、おうちに伝わる周延作品の位位置づけがわかるというわけで、世の中、そんな展覧会図録はなかなかありません。

図録表紙005

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