慶応4年(1868)から翌年にかけて戦われた戊辰戦争では、江戸の町も戦場となりました。月岡(大蘇)芳年、小林清親、楊洲周延――江戸で育ち、明治の浮世絵界で活躍するこの絵師たちは、彰義隊を中心とした旧幕勢力と新政府軍が寛永寺境内で激突した上野戦争に、それぞれ違ったかたちで関わっています。すでに絵師として活躍していた芳年は、弁当持参で弟子を伴って上野までこの戦いを見に行き、幕臣であった清親は命令を受けて戦況偵察に下谷広小路まで出向きますが、流れ弾が飛んできたことに泡を喰って逃げ帰ります。越後高田藩士であった周延は旧幕側に身を投じてこの戦いに参戦し、函館戦争まで戦い抜くことになります。
芳年の上野戦争取材の経験が、慶応4年から翌年にかけての「魁題百撰相」というシリーズ出版に結実したことはよく知られています。旧幕側で上野戦争を戦った人々を過去の歴史上の人物に仮託したもので、生々しい流血の様を描いた図もいくつか含まれています。
おそらく周延がこのシリーズをヒントにしたと思われるのが明治10年(1877)出版の「戦地八景」です。これは西南戦争で西郷軍に味方した人々を描いたもので、滅びゆく側の人々に寄せた共感というだけではなく、画面形式も「魁題百撰相」によく似通っています。
8日から始まった「楊洲周延」展の後期展示では、「魁題百撰相」から「相良遠江守」、「戦地八景」からは「木留之夕照 篠原国幹」(国幹は西郷軍の幹部、木留は戦闘の行われた地名です)を出品していますが、ここでは「魁題百撰相」から「外記孫八」の画像を出してみます。銃弾が飛び交う様を画面を横切る複数の直線で表現する手法や、口を開きやや上向きに敵に対峙する横顔など、「木留之夕照 篠原国幹」と良く似ていると思いませんか。
上野戦争に異なる立場で関わった同時代の二人の浮世絵師が、時を隔てて同趣向の戦士画像シリーズを手がけていることに思いを馳せつつ展示をご覧になるのも、また一興かもしれません。
楊洲周延「戦地八景 木留之夕照 篠原国幹」 当館蔵
月岡芳年「魁題百撰相 外記孫八」 当館蔵 ※周延展での展示はありません。
楊洲周延「戦地八景 木留之夕照 篠原国幹」 当館蔵
月岡芳年「魁題百撰相 外記孫八」 当館蔵 ※周延展での展示はありません。