江戸時代中期にヨーロッパで生まれた透視図法を取り入れ、末期にはベロ藍(プルシアンブルー)という舶来顔料を用いて画風を大きく変化させた浮世絵は、明治になってさらに大胆に欧米の影響を受けることになります。
主題面でいえば、洋風建築や鉄道などを導入し急速に変貌する都市の風景を好んで取り上げるようになること、いまひとつは新しい赤色絵の具の使用が挙げられるでしょうか。企画展「日本の版画1200年―受けとめ、交わり、生まれ出る」も会期後半になりましたが、展示替えで新たに出ている一交斎幾丸作の3枚続錦絵「東京海運橋兜街三井組為換座西洋形五階造」は、明治5年に二代目清水喜作の設計・施工で竣工した三井組ハウスを描いています。西洋建築のデザインと日本の伝統木造建築を折衷した擬洋風建築で、東京の新しい名所として、そばにある海運橋とセットで繰り返し錦絵に描かれます。この絵の空の一部や桜の花に用いられた赤色絵の具は明治になって海外から流入した洋紅(カーマイン)だと思われます。画面の配色バランスを損なうような強烈な赤を用いた錦絵は、今日、‘赤絵’とも呼ばれています。
同じ展示室に小林清親が描いた「海運橋 第一銀行雪中」も展示されています。幾丸が描いたのと同じ場所ですが、こちらは数年後で、海運橋は石造となり、三井組の建物も譲渡されて第一国立銀行と名を変えています。ただ、違いはそれだけではありません。雪景色だからということもありますが、清親は派手な色をほとんど用いておりません。鼠色に摺られた空や暗緑色の建物などが、雪に包まれる町の風情をうまく醸し出しています。暗い空や過剰な配色を避け、開化の東京風景を情趣豊かに描いた清親を、今日、‘明治の広重’と呼ぶこともあります。
ただ、この絵には広重の雪景色と決定的に違うところもあります。画中の複数の人物が傘を差しているので雪が降っている最中のはずですが、雪片がまったく描かれていません。広重の雪中風景なら空から舞い落ちる雪がかならず表現されています。清親は西洋の水彩画の表現を学んだと考えられています(この絵には銅版画を模したハッチング風の描線も見られますが)。雪景色だといっても雪片を描かないのは、基本的に直接雪片や雨脚を表現することのなかった西洋絵画の手法に倣ったからだと考えられるのです。
同じ主題を扱いながら、‘西洋’と異なる向き合い方をした二つの作品を、展示室で見比べてみてください。

一交斎幾丸《東京海運橋兜街三井組為座西洋形五階造》明治6年(1873)

小林清親《海運橋 第一銀行雪中》明治9年(1876)頃
