因果なもので、自分の専門とするジャンルの浮世絵や江戸時代の絵画の展覧会を見にいくと、どうしても展示作品を分析的に見ようとしてしまいます。充実した展覧会だと当然学問的に得るものは多くて満足感は得られるのですが、それが幸福感と同じかというと必ずしもそうではありません。それと違って、たまに専門外の、たとえば西洋近代絵画とか近・現代の日本画などの展覧会に足を運ぶと、素直に作品を楽しんでいる自分に気づき、ちょっとした幸福感を感じることがあります。仮にも美術史家ならば、すべての作品を専門家的なまなざしで見つめようとすべきだろう、と同業者からお叱りを受けるかも知れません。ぼぉ~と見ていられるのも、学生時代にまじめに美術史の授業に出席しなかった賜物(報い?)かもしれません。

 さて、私の目で見た当館の展覧会の紹介をこのコーナーに書かなければならなくなりました。先代の村田館長は、すべての企画展でスペシャルトークをなさっていたとのことですが、不勉強な私にはとうてい出来ない芸当です。はっきりとは言われませんが、せめてその代わりにこのコーナーを書いて、というのが館の真意なのでしょう。

 というわけで、これから美術史家ではあるものの、いささか専門は外れた者の目を通して、当館の展覧会をご紹介していくことになります(浮世絵の展覧会の場合は、そうとは言ってられませんが)。よく言えばお客様方の目線と近いところから、悪く言えば「個人の感想です」のレベルで、展示に関する感想やおすすめの展示作品などに関して書いていくことになります。苦し紛れに自分の専門に無理矢理ひきつけて書くこともあるかもしれません。呆れずにしばらくおつきあいをいただければ幸いです。

 では、まずは第一回目です。現在、企画展示室では、ふたつの企画展が開催されています。前半の展示室に展示されているのは「畦地梅太郎・わたしの山男」です。

 畦地梅太郎は晩年を町田市鶴川で送り、1997年には町田市の名誉市民になりました。生前、市に約300点もの作品を寄贈いただき、当館設立に大きな後押しを頂いた館の恩人でもあります。今回の企画展は、畦地の没後20周年を記念するもので、当館としては久々の畦地の企画展で、待ち望んでいた方も少なくなかったのか、平日でも多くの方にご覧いただいております。

 畦地といえば、「山男」シリーズで有名です。登山雑誌の表紙を飾っていたことで山登り愛好家にも親しまれた作家で、週末登山家の私の義兄もよく知っていました。今回の展示はその「山男」に焦点を当てた作品で構成しており、第1章が「山男があらわれるまで」として、初期作から「山男」が描かれるまでの風景画時代を編年的に展示していますが、第2章「山男誕生」では、かならずしも時代順にこだわらず、山男とともに描かれているザイルやハーケンなどの持ち物などでくくって展示しています。

 【図1】
【図1】

 展示の重点は「山男」ですが、私は浮世絵の中でもとくに風景画を専門としてきましたので、導入部の第1章はやはり楽しく見ることができました。満州の街角を描いた「赤い壁」【図1】など、現地の空気感が伝わってくるようですし(中国東北地方に行ったことはないので、あくまで「個人の感想」ですが)、「白馬大雪渓」【図2】の暗い青をした空は、寒い冬山に登ったことのある人ならわかる、印象としての空の色なのでしょう。来館者のひとりが畦地の描く山の版画を見て、「ああ、山の空はこんな色なんだよね」としみじみとおっしゃったという話を、本展担当の学芸員から教えてもらいました。自ら山を歩き、自ら体験したことしか作品化できないと語っていた畦地ならではの空気感が作品には漂っているのかもしれません。

 【図2】
【図2】

 「山男」を描く諸作品に特定のモデルは無く、畦地は「わたしの心の山男」だと言ったと伝えられていますが、それだからこそ、山を愛し山に登る人たちに共感を得たのでしょう。素朴で不器用そうな表情をした山男の姿からは、彼だからこそ理解できる空気感が漂っているのかもしれません。

 【図3】
【図3】

 編年的展示ではないと申しましたが、それでもよく見ていると1970年代頃から色彩が鮮やかになっていくことに気がつきます。「鳥のすむ森」【図3】「ものの気配」(1975年)のような、どこか童話的な雰囲気の漂う作品もあり、山男でなくとも楽しめると思います。

 7月31日(水)には畦地のお孫さんに当たる畦地堅司氏の特別ギャラリートークがありましたが、8月3日(土)には生前の畦地と交流のあった当館元学芸員の河野実氏のご講演「畦地先生と町田」も予定されています。ぜひ足をお運びください。

 次の企画展示室は、若手アーティストが町田に取材した作品を発表する「インプリントまちだ」の第三弾、「インプリントまちだ展2019―田中彰 町田芹ヶ谷えごのき縁起」です。今回お招きした作家、田中氏は1988年生まれの、文字通り新進気鋭の木版画家です。

 【図4】
【図4】

 田中氏は、レザーや木などに絵を描くための電熱ペンを用いて木の面を焼き版をつくる手法を特色とされています。同じ木版画といっても、エッジを効かせた彫刻刀の線とはひと味違う、柔らかみが感じられる線と見受けました。展示作業の合間に少し田中氏と話をさせていただきましたが、その際に伝わってきた優しいお人柄としっくりくる作風です。今回の企画展の目玉である芹ヶ谷公園のエゴノキを版材にして製作した作品を展示するコーナー「きのからだをぬけて」【図4】では、雁皮紙に刷った版画が和紙に貼られており、軽くて柔和な独特の風合いを出しています。

 【図5】
【図5】

 田中氏はコーヒーにも強い関心を持っておられ(ご自身で豆を焙煎し、販売もされているそうです)、コーヒー産地を旅した体験をもとにしたコーナーがあり、そこに「コーヒーファーマー」と題して、氏と交流のあるフィリピン・ルソン島のコーヒー園の人々の顔を描く版画が展示されています。その周囲の壁面をコーヒーパペットと名付けたオブジェが取り囲んでいます【図5】。コーヒーの包装紙にさまざまな具象モティーフを刷り、それを袋状にして中にコーヒー豆を入れ密封する。豆から出るガスで袋は適度にふくらんで立体感を得ることになります。コーヒー農園の周囲に棲息する生き物がモデルなのでしょう、蝦や蟹、虫や鳥、魚などが造形されていて虫や魚、甲殻類などの生き物が好きな私には楽しい空間です。芹ヶ谷公園のエゴノキを掘り上げて製材し、版画にまで仕上げる記録映像が右手壁面のディスプレイで上映されているのですが、そこから鳥のさえずりや水の音が聞こえてきて、まるで森の中にいるような錯覚に陥ります。

【図6-1】【図6-2】
【図6】

 「森の中」といえば、会期中の金・土・日、館内に強化段ボール製の特設スタジオを開設し、その中で田中氏が来館者と共同で木版画製作をおこなっています(開催しない日もありますのでHPで要ご確認)【図6】。勤務の関係でまだ私は共同製作の現場には立ち会っていませんが、出来上がった円筒形のスタジオはまるで巨木の洞(うろ)に入るような感覚です。体験される方は山の中や公園に秘密基地をつくって遊んだときのような気持ちになられるかもしれません。

大久保純一(おおくぼじゅんいち 町田市立国際版画美術館館長)