企画展「彫刻刀が刻む戦後日本―2つの民衆版画運動」を開催中です。「工場で、田んぼで、教室で みんな、かつては版画家だった」のサブタイトルが示すように、戦後の社会運動の場で版画の普及を目指した版画運動と、全国の学校現場で広まった教育版画運動の中で作られた版画を扱っています。多量摺刷が可能な版画のメディアとしての特性が社会運動の広がりと親和性を持つことは理解できるのですが、そもそも、なぜ学校現場で版画が広範囲に普及しえたのか、いまひとつその理由がわかりませんでした。筆で描く絵画と違い、彫りや刷りという技術的制約が加わる版画は、絵の上手い下手という個人の技量の差をある程度埋めることができるので教育の場には向いているのか、あるいは絵とは違う版のもたらす効果(反転して出てくる画像やブラック・アンド・ホワイトの鮮烈なコントラストなど)が生徒にとって新鮮だからか、などと問答して、展示作業で忙しい担当学芸員を悩ませました。


 内覧会の日に、その疑問に対する答えのひとつを、かつて教員として教育版画運動の現場で活躍しておられた石田彰一先生からうかがうことができました。さまざまな技術を要する版画は、教員にとっては絵画よりも、より生徒と密接にかかわることができるというのです。版画を通しての生徒と教員の交流を深められることが、教育現場に適したものだったのです。

 このお話をうかがったのは、石田先生の指導でつくられた川崎市東大島小学校版画クラブによる共同制作版画「民家園」の前でした。「これだけ大きな作品(畳1畳ほどもあります)なら、版画とはいえ、1点制作だったでしょう」、とお尋ねすると、いえいえ、親御さんたちも欲しいとのことで、放課後遅くまで皆で残って複数刷ったのです。頑張る子供たちのために、ご家庭から弁当も届けられていました。」とのこと。今なら家庭から子供に夜の弁当を届ける先は受験塾でしょう。熱い時代だったことがつたわるお話でした。

大久保純一(おおくぼ じゅんいち 町田市立国際版画美術館館長)