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        シャルル・マルヴィル(1813-1879)          シャルル・マルヴィル
      《パリ市庁舎(コミューン前)》c. 1871       《パリ市庁舎(コミューン後)》1871  
               鶏卵紙 東京都写真美術館                       鶏卵紙 東京都写真美術館

 1870~1871年の普仏戦争でプロイセンに敗北したフランスは、さらにパリ・コミューンというフランス人同士が殺し合う悲惨な内戦を経験しました。長い歴史をもつパリ市庁舎の建物が焼き払われたのはこの時です。2枚の写真はコミューン前とコミューン後の市庁舎を同じアングルからとらえた貴重な記録です。中央の塔や屋根が失われ、窓も破れた様子が正確に捉えられていますが、どこか冷静な記録という印象があります。

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レオン・ジャン=バティスト・サバティエ(1827-1887)
『パリとその廃墟』より 《パリ市役所:1871年5月24日炎上》
1873 リトグラフ 大佛次郎記念館

 まさに市庁舎が炎上している様子を描いた当時のリトグラフです。建築とともに文書をはじめとする貴重な資料も大量に失われました。市庁舎の前のバリケードでは武器を手に国民軍兵士たちが戦っています。手前に転がる女性の死体や、男性の掲げる赤旗の竿頭にあしらわれたフリギア帽などから、彼らはパリの市民軍(コミューン派)と考えていいでしょう。

市庁舎の火災は放火によるものです。内戦の最終段階でパリの市民軍は歴史的建造物に次々と火を放ちました。大きな建造物が政府軍の拠点にされることを恐れたためとも言われます。

内戦が政府軍の勝利で終わると、コミューン派に対して苛烈な処分が行われました。ここで紹介しているサバティエのリトグラフ画集は1873年に刊行されたものです。当時の政治状況を考えると、コミューン派を擁護する作品の出版は難しかったはずです。事実をそのまま記録したように思えるこの作品にも、同時代の人々は「貴重な建物に火を放ち、秩序を乱した反乱者」という非難を読み取っていたかも知れません。

パリ・コミューンの頃は湿板写真が主流で、撮影の際にはガラス板に感光材を塗布して、その場ですぐ撮影する必要がありました。フィルム・カメラのように前もって準備しておくことができず、決定的瞬間の撮影は非常に困難でした。報道記録の分野でも、その不足分を版画が補っていたといっていいでしょう。しかし人の手で描かれる版画には主観的な意見が入る余地も大きく、歴史資料としてみる場合にはその点を考慮する必要があるでしょう。

1873年から始まったパリ市庁舎の再建は1892年に完成、マルヴィルの写真とほぼ同じ美しい姿を現在もセーヌ河畔に見ることができます。